丸善丸の内で片岡球子版画展、東山魁夷、小倉遊亀、熊谷守一らも

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【銀座新聞ニュース=2014年1月20日】丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は1月22日から28日まで4階ギャラリーで片岡球子、東山魁夷、平山郁夫らによる「片岡球子と巨匠版画展」を開催する。

日本画家で「帝展」や「院展」にたびたび落選し「落選の神様」とまでいわれた片岡球子(かたおか・たまこ、1905-2008)の版画作品を中心に、日本の風景画家で「国民的画家」として知られる東山魁夷(ひがしやま・かいい、1908-1999)、シルクロードの画家、平山郁夫(ひらやま・いくお、1930-2009)らの作品を展示販売する。

ほかに出品されるのは、日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した加山又造(かやま・またぞう、1927-2004)、女性画や静物を生き生きと描いた小倉遊亀(おぐら・ゆき、1895-2000)、日本画家で京都造形芸術大学元学長の千住博(せんじゅ・ひろし)さん、東京芸術大学美術学部デザイン科教授の中島千波(なかじま・ちなみ)さん。

ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術や琳派、南画といった日本の伝統的な美術を取り入れ、装飾的な世界で知られた洋画家の梅原龍三郎(うめはら・りゅうざぶろう、1888-1986)、孤高の洋画家で自宅の虫や花を描き続けた熊谷守一(くまがい・もりかず、1880-1977)、バラの絵で知られる洋画家、中川一政(なかがわ・かずまさ、1893-1991)らだ。

ウイキペディアなどによると、片岡球子は1905年北海道札幌市生まれ、1926年に女子美術専門学校(現女子美術大学)日本画科高等科を卒業、神奈川県立横浜市大岡尋常高等小学校教諭を勤めながら創作し、「帝国美術院展覧会」(帝展)に3回落選し、1930年に「日本美術院展」(院展)に初入選、1933年にも入選したが、その後は落選が続いた。

1939年から院展の入選が続き、1955年に大岡小学校を退職、女子美術大学日本画科専任講師に就任、1960年に同大学助教授、1965年に同大学教授、1966年に愛知県立芸術大学日本画科主任教授、1973 年より同大学客員教授を務めた。1976年に勲三等瑞宝章を受章、1982年に日本芸術院会員、1989年に文化勲章を受章、100歳を超え、脳梗塞に倒れ、療養に努めたが、2008年に103歳で亡くなった。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。入場は無料。

丸善日本橋で東山魁夷版画100選展

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【銀座新聞ニュース=2014年1月5日】丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は1月7日から14日まで3階ギャラリーで「描くことは祈ること 東山魁夷版画100選展」を開催する。

丸善・日本橋店で毎年新年2回目に開く恒例の展示会で、日本の風景画家で「国民的画家」として知られる東山魁夷(ひがしやま・かいい、1908-1999)の初期の作品から晩年の作品まで約100点を展示販売する。

東山魁夷は画文集「私の風景」(1999年、求龍堂)の中で、「私はずっと以前から、自分は生きているのではなく、生かされていると感じている。また、人生の歩みも、歩んでいるのではなくて、歩まされていると感じる。そういう考えのもとに今日まで、自分の道をたどってきたような気がする」と書いている。それが「描くことは祈ること」につながっている。

ウイキペディアなどによると、東山魁夷は1908年神奈川県横浜市生まれ、1931年に東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業、1933年に東京美術学校研究科を修了し、在学中の1929年に「第10回帝展」に「山国の秋」を出品し、入選、同年8月に「第1回日独文化交換学生」に選ばれ、1933年にドイツ・ベルリン大学哲学科に留学、美術史を学んだ。

1935年に父親の病気により途中で帰国し、1937年に初個展を開催、1939年に日本画院第1回展に「冬日(3部作)」を出品し、日本画院賞第1席を受賞、1940年に結婚した。 1947年に「第3回日展」に「残照」を出品し、特選を受賞、1956年「第11回日展」に「光昏」を出品、日本芸術院賞を受賞した。1965年に日本芸術院会員、1968年に皇居新宮殿壁画「朝明けの潮」を完成、1969年に文化勲章を受賞した。

1974年に日展理事長、 1975年に唐招提寺御影堂の第1期障壁画「山雲」、「涛声」が完成、1976年にドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)功労大十字勲章を受賞、1986年に作者所蔵の自作品を一括して長野県に寄贈、1998年に長野オリンピック開催に合わせて個展を開催、1999年に東京で死去した。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。

日本橋三越と高島屋で江戸消防1区が新春はしご乗り

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【銀座新聞ニュース=2014年1月3日】日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は1月4日11時20分から本館1階中央ホールで江戸消防記念会第1区による「新春はしご乗り」を開く。

日本橋高島屋(中央区日本橋2-4-1、03-3211-4111)は10時と12時に1階で「江戸火消し はしご乗り・木やり唄」を開く。

社団法人「江戸消防記念会」(新宿区四谷三丁目10、消防博物館9階、03-5269-7210)の第1区(神田川、隅田川、月島・晴海から東京湾、東京駅から丸の内を範囲とする)のメンバーによる「新春はしご乗り」と「まとい振り」や「木遣(きや)り」を披露する。

江戸時代の消防団は1719年に大岡越前守忠相(おおおか・えちぜんのかみ・ただすけ、1677-1752)がとび職人を中心に「いろは四十八組」の町火消として江戸に組織したのがはじまりとされ、1867年に「市部消防組」となり、1914年に「江戸消防記念会」が結成され、1954年に社団法人化された。

「江戸消防記念会」は東京都23区を第1区から第11区に地域割りにし、その中で第1区は中央区全部と千代田区の1部を担当している。

「はしご乗り」とは高さ6.5メートルのはしごを使って、その上で演技する。「まとい振り」は組の旗印として取り入れられ、白と黒の2色に統一されている「まとい」を振って、さまざまな技を見せる。

「木遣り」は複数の人員で火消しをする際に力をひとつにまとめるための掛け声や合図として唄われたもので、東京都指定無形文化財に認定されている。