玄品ふぐ銀座店等で虎ふぐ刺29円、「ふくの日」までコースも割引

【銀座新聞ニュース=2015年1月30日】とらふぐ料理専門の「玄品ふぐ」チェーンを運営する関門海(大阪府大阪市西区北堀江2-3-3、06-6578-0029、東京本部・中央区日本橋茅場町1-9-2、稲村ビル、03-5649-0029)は2月1日から9日まで「てっさ29円フェア」を開催する。

2月9日の「ふくの日」まで9日間、「玄品ふぐ 銀座一丁目の関」(中央区銀座1-13-5、十一屋ビル、03-3567-8488)など全115店で1人前1180円(税抜き)のとらふぐの刺身「てっさ」を29円(税抜き)で提供する。ただし、1人1皿限り。また、通常のコースも1151円(税抜)引きとし、「玄コース」(付出し、てっさ、てっちり、雑炊、デザート)が通常3980円(税抜)のところを2829円(税抜)で提供する。

「ふくの日(ふぐの日)」は下関ふく連盟が1980年に制定した記念日で、下関ではふぐ(河豚)のことを「ふく」と呼ぶことから、2月9日を語呂合わせで「ふくの日」にしている。

会社とウイキペディアによると、関門海は1980年に創業者である山口聖二(やまぐち・せいじ、1961-2005)が大阪府藤井寺市でとらふぐ料理専門店「ふぐ半」を創業したのがはじまりで、ふぐを下関を通さずに生産地から直接仕入れ、「てっちり」が1980円など安価で料理を提供した。

1989年5月に「株式会社さかな亭」(2001年に「関門海」)を設立、従業員へののれん分けをはじめたが、業績が下降し、1999年11月にのれん分け制度を廃止、各店舗を営業譲渡により本社直営とした。1999年7月に港区新橋に関東1号店「下関ふぐ新橋店」(現「玄品ふぐ新橋の関」)を出店した。

2002年6月から店舗名を「玄品ふぐ」に統一、2004年11月にはフランチャイズもはじめ、フランチャイズ「玄品ふぐ 銀座一丁目の関」を開店し、2005年6月に東証マザーズに上場、11月に創業者の山口聖二が事故死し、遺族3人が2007年2月に相続税を同社の株式で物納し、一時財務大臣(国)が筆頭株主となった。

2007年11月に創業者一族の資産管理会社「ヤタガラスホールディングス」が同社に対する株式公開買い付け(TOB)を実施し、財務省が応じ、主要株主がヤタガラスホールディングスになっている。ただ、関東財務局(国)が5386株(5.6%)を所有、3位の株主となっている。

2007年3月に「カネジ」を設立し、民事再生手続を申請して経営破たんした「かね治」より2億2000万円で総菜宅配事業の譲渡を受け、10月にサッポロビールと資本業務提携を結び(2012年8月に解消し、サッポロビール所有の5102株=5.3%=は当時、副社長だった波戸淳司=はと・じゅんじ=さんが約8000万円で買い取る)、2008年に「だいもん」を子会社化、回転すし事業をはじめ、11月にカネジとアクト・デリカを統合し「トドクック」に改称、2011年9月に「トドクック」を万代グループに譲渡した。

2011年11月期に債務超過に陥ったが、2012年5月に第三者割当増資を実施し、2013年3月期第3四半期連結決算で解消している。

銀座店の営業時間は16時から24時30分(土・日曜日・祝日は23時30分)まで。無休。

資生堂ロオジエでバレンタイン向け黒トリュフコース

【銀座新聞ニュース=2015年1月25日】資生堂(中央区銀座7-5-5、03-3572-5111)が運営する「ロオジエ」(中央区銀座 7-5-5、地下1階、0120-156-051)は1月16日から3月14日までディナーコース「ムニュ・ラ・トリュフ・ノワール・メラノスポルム (LA TRUFFE NOIRE MELANOSPORUM)」を提供している。

「ロオジエ」が3月14日まで期間限定で提供しているディナーコース「ムニュ・ラ・トリュフ・ノワール・メラノスポルム(LA TRUFFE NOIRE MELANOSPORUM)」に使われている黒トリュフ。

「ロオジエ」が3月14日まで期間限定で提供しているディナーコース「ムニュ・ラ・トリュフ・ノワール・メラノスポルム(LA TRUFFE NOIRE MELANOSPORUM)」に使われている黒トリュフ。

フランス料理の「ロオジエ」がバレンタインとホワイト デーを対象に、フランス南西部のペリゴール地方の黒トリュフ「ペリゴール・トリュフ」をぜいたくに使ったディナーのスペシャルコースメニューを提供してい る。メニューはシェフのオリヴィエ・シェニョン(Olivier Chaignon)さんが考案している。

メニューは前菜が「帆立貝と黒ト リュフのフィユテ ポワローのクレームとトリュフのクーリィ ソースぺリグー」、次いで「鴨フォワグラのラビオル野菜とトリュフのジュリエンヌ エミュルショネした黒トリュフのブイヨン」、魚介類料理が「クルスタッセのジュをラケしたオマール・ブルー 晩白柚とアイスプラントのサラダ仕立て 黒トリュフのラメルアンディーブのムースリーヌ グレープフルーツ風味」。

リゾットが「フランス産ピジョンロワイヤルのロティ 黒トリュフ入りスペルト小麦のリゾット ブーダン・ピジョンとジュ」、デザートが「カカオ豆のクロカンに詰めた黒トリュフとショコラブランのアイスクリーム」と「黒トリュフのスフレとパルフェグ ラッセ カリカリのオパリーヌ 黒トリュフ風味のキャラメル」となっている。この後、「フリヤンディーズのワゴン」とコーヒーがつく。

ウイ キペディアによると、トリュフはキャビア,フォアグラとともに世界の3大珍味とされ、日本では「セイヨウショウロ(西洋松露、Tuber spp)」と呼ばれるきのこの総称で、通常のきのことは外観が大きく異なり、かさ・ひだ・柄を欠き、ゆがんだ球状ないし塊状をなしている。

内 部は初めは淡い灰色ないしほぼ白色を呈するものが多いが、成熟するとともにより暗色となり、多くは黒っぽい地に不規則で淡色の脈を生じ、全体としては大理 石状の模様を形成する。成熟するに伴い、特有の芳香を発し、老熟すると大理石状の模様は不明瞭になり、香りも弱くなる。

「黒いダイヤ」とも呼ばれ、フランス産のペリゴール・トリュフ(黒トリュフ、Truffe melanosporum Vitt.)とイタリア産の白トリュフ(Truffe magnatum Pico)が特に珍重され、食用に採取されている。

日 本ではクロアミメセイヨウショウロ(Truffe aestivum Vitt、ヨーロッパで「夏トリュフ」と呼ばれる)やイボセイヨウショウロ(Truffe indicum Cooke et Massee)などの近縁種が最近になって報告されている。近年、中国産のイボセイヨウショウロが、黒トリュフや白トリュフの廉価な代用品として大量に ヨーロッパに輸出されている。

トリュフが文献に登場するのは、紀元前16世紀で、ギリシア・ローマ時代に生態や調理方法、健康への効能につ いて多くの文献が記されている。ピタゴラス(Pythagoras、紀元前582-紀元前496)が健康への効能を説いたのが最初とされている。当時のト リュフは現在の黒トリュフとは異なり、テルファスという食用きのこだった。

ローマ時代が過ぎるとトリュフは忘れられ、14世紀フランスから 再び注目され、この時代のトリュフは現在の黒トリュフと同じという。1825年にジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン(Brillat- Savarin、1755-1826)が著書「美味礼讃」の中で、トリュフを「台所のダイヤモンド」と称し、媚薬としての効能を賞賛した。フランス、北部 イタリア、イストリア地方の日常の料理、国際的なグルメ界では高く評価されている。

1808年に南フランスのヴォクリューズ県アプトのジョ ゼフ・タロン(Joseph Talon)がトリュフの宿主となることが分かっているオークの木の下から集めたドングリをその根の間に播くことを思いついた。実験は成功し、数年後、新 しく育てたオークの木の周囲の土の中にトリュフが発生した。

これ以降トリュフ栽培は急激に拡大し、1847年にヴォクリューズ県カルパン トラのオーギュスト・ルソー(Auguste Rousseau)が7ヘクタールにわたってオーク(これもトリュフが発生する木の周りから得たドングリ)を植え、その後大量のトリュフの収穫を得て、 1855年のパリ万国博覧会で賞を獲得した。

19世紀の末に、南フランスのぶどう園が侵入害虫のブドウネアブラムシによって壊滅し、別の伝 染病により南フランスのカイコが壊滅し、こうして、広大な土地がトリュフ栽培のための空き地となり、トリュフを生産する樹木が何千本も植えられ、1892 年にはフランス全体で収穫量は2000トンに上がり、1890年には750平方キロのトリュフ園があった。

20世紀に入ると、フランスの工業化とそれに伴う郊外への人口の移動により、これらのトリュフ園は放棄されて、第1次世界大戦では従軍した男性の20パーセント以上が亡くなり、フランスの田園地帯に深刻な打撃を与え、トリュフ栽培のノウハウは失われた。

し かも、19世紀に植えられたトリュフ園の寿命が尽きた。トリュフを生産する樹木の生活環は平均30年で、1945年以降、トリュフの生産が急減した。現在 ではわずか20トンにすぎない。黒トリュフはほぼヨーロッパのみで生産され、フランス(生産の45パーセント)、スペイン (35パーセント) 、イタリア (20パーセント) となっている。白トリュフは北および中央イタリアに見られ、トスカーナ州、ロマーニャ地方、マルケ州で生産されている。

野外でトリュフを探す場合は、特別に訓練されたメスのブタかイヌを用いる。ブタはかつてよく使われたが、現代の農家にはトリュフを食べないイヌの方が好まれる。

ただ、イヌがトリュフの香りについて訓練が必要なのに対して、メスのブタには訓練が不要で、トリュフに含まれる化合物がメスブタを強く引きつけるオスのブタの性フェロモンと類似しているためとされている。

1996年、国際きのこアカデミーの高野吉則(たかはし・よしのり)さんと近畿大学農学部の稲葉和功(いなば・かずなり)さんとの共同研究により、世界で初めて菌床方式による人工栽培に成功している。

オ リヴィエ・シェニョンさんは1978年フランス・モンタルジ(ロワレ県)生まれ、1994年に地元の1つ星レストラン「オーベルジュ・ド・ラ・クレ・デ・ シャン」の見習いとして入店、オルレアンの政府公認専門学校で調理理論と基礎を学び、1996年に「アプロンティシェフ(ジュニアシェフ)コンクール」フ ランス大会で優勝、1999年から2004年までパリの「レストラン オペラ」や「タイユヴァン」、イギリス・ロンドンの「スケッチ」で修業した。

2005年に「ピエール・ガニェール パリ本店」のセクションシェフに就任、同年に「ピエール・ガニェール・ア・東京」総料理長、2009年から「ピエール・ガニェール」(ANAインターコンチネンタルホテル東京)の総料理長を務めている。

営業時間はランチが12時から14時、ディナーが18時から21時。価格は3万8000円(税込み、別途サービス料12パーセントがかかる)、日曜日は休み。

丸善丸の内で谷口弘明「装飾画」展、琳派400年

【銀座新聞ニュース=2015年1月12日】丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は1月14日から20日まで4階ギャラリーで谷口弘明さんによる「華やかな光彩の世界-新琳派 谷口弘明装飾画展」を開催する。

京友禅の図案家で、友禅と日本画を融合させた「装飾画」を描く谷口弘明(たにぐち・こうめい)さんの新作を展示する。

「装飾画」は装飾性に富んだ絵画のことで、屏風(びょうぶ)やふすまなどの家具に描かれた絵で、家具を絵で飾ることで、家具の芸術性が強調されることになり、俵屋宗達(たわらや・そうたつ、生没年不詳)や尾形光琳(おがた・こうりん、1658-1716)たちが大和絵をもとに大成させた。

谷口弘明さんは尾形光琳を創始とする「琳派」の流れを汲んでおり、「新琳派」として装飾画を描き、2010年にギリシャのアテネクラシックマラソンの優勝トロフィーを北山杉を使って制作している。

「琳派」は本阿弥光悦(ほんあみ・こうえつ、1558-1637)や俵屋宗達を創始し、時間や場所、身分が遠く離れた人々によって受け継がれたのは、他に類を見ない特色とされている。同じような主題や図様、独特の技法を意識的に選択、踏襲することで流派の統一性を保持し、絵師独自の発見と解釈が加わり、再構成され、独自の芸術を生み出した。

1615年に徳川家康(とくがわ・いえやす)から、洛北の鷹峯(たかがみね)の地を拝領し、本阿弥一族や町衆、職人などの法華宗徒仲間を率いて移住し、芸術村(光悦村)を築いた。それから400年経ったことから、2015年を「琳派」400年としている。

谷口弘明さんは1937年京都府京都市生まれ、1956年に染色図案家の石正雄(いし・まさお)塾に入塾し、10年間絵を学び、京都市産業デザイン展で市長賞、日図展知事賞などを受賞し、1966年に独立、1976年にインドに外遊後、個展「さらさの道」を、1989年から全国で個展を開いている。

2006年に画歴50年を記念して日本図案家協会の表彰を受け、2007年に京都市の浄土真宗心光寺の天井画を制作、2010年にアテネクラシックマラソンの優勝トロフィーを制作した。2012年にパリのアクリマタシオン公園での日本イベントに参加し、中国・上海礼品博物館に出品している。現在、社団法人日本図案家協会会員、光玄会会員、絵画教室「万葉会」を主宰している。

17日、18日13時から17時まで谷口弘明さんが来場する。

開場時間は9時から21時(最終日17時)まで。入場は無料。

ダイヤモンドD、アセアン食の大使の栗原友と提携、メニュー開発で

(過去の記事については店舗名、個人名などを検索すると見られます)
【銀座新聞ニュース=2015年1月3日】ダイヤモンドダイニング(港区芝4-1-23、三田NNビル、03-6858-6074)はこのほど、栗原友さんと戦略的業務提携を結んだと発表した。

築地斉藤水産で魚のさばき方のレッスンや、ハーブ、スパイスを使ったオリジナルレシピにより料理教室を開いており、アセアン(東南アジア諸国連合)フード大使を務める栗原友(くりはら・とも)さんと提携して、ダイヤモンドダイニングのメニュー開発に協力してもらうのが狙いとしている。

栗原友さんは1975年東京都生まれ、母親が料理研究家の栗原はるみさん、父親が元キャスターで株式会社「ゆとりの空間」会長の栗原玲児(くりはら・れいじ)さん、ファッション誌のフリーライター、アタッシュドプレス、衣食住コンシェルジュとしての執筆を経て、料理家として活動し、2009年3月にアセアンフード大使に就任、4月にレストラン「アポンテ(APONTE)」の女将を務め、2012年より築地斉藤水産に勤務している。

ダイヤモンドダイニングは創業者で社長の松村厚久(まつむら・あつひさ)さんが1996年3月に東京都豊島区に「有限会社エイアンドワイビューティサプライ」を設立したのがはじまりで、2001年6月に「バンパイヤ・カフェ(VAMPIRE CAFE)」を開店、飲食店業に進出し、主に居抜き物件を中心に出店を続けた。

2002年12月に有限会社から株式会社化にし、社名を「株式会社ダイヤモンドダイニング」に変更し、2007年に株式会社大阪証券取引所ニッポン・ニュー・マーケット「ヘラクレス」(現ジャスダック)に上場し、2010年に100店舗100業態を実現し、独自のマルチコンセプト(個店主義)戦略を貫き、基本的に「1店舗1コンセプト」の出店を続けている。居抜き物件を活用した低コストの出店を行い、2011年にアメリカに進出、2014年11月に東京証券取引所第2部に上場している。

謹賀新年ごあいさつ

新年あけましておめでとうございます。

昨年はアベノミクスの影響で円安となり、国際企業の業績が大幅に好転したものの、すでに長年の円高により多くの企業が海外生産へ移管し、輸出の増加にはつながらず、4月の消費税の増税により国内の消費も低迷気味で、「第3の矢」はなかったとの海外メディアの見方もあり、ひじょうに難しい局面を迎えています。
こうした中で、銀座新聞ニュースとしては、「銀座」という地域とは外れた情報でも扱うなど、さまざまな情報を掲載するようにしております。とくに健康については、多面的な扱いを心がけるようにしています。

こんごともご支援をよろしくお願いします。