丸善丸の内で横山大観、加山又造、アイズピリら入札展

【銀座新聞ニュース=2018年2月26日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は3月1日から13日まで4階ギャラリーで東山魁夷、平山郁夫、梅原龍三郎らの「東日本大震災復興支援チャリティー『丸善絵画入札会』」を開く。

丸善・丸の内本店で3月1日から13日まで開かれる「東日本大震災復興支援チャリティー『丸善絵画入札会』」に出品される奥村士牛「醍醐」(木版画、1989年)。写生を大切にし、完成までに10年もかけ、その間、醍醐寺の桜だけでなく、さまざまな桜の名所に足を運んで写生したといわれている。

丸善・丸の内本店恒例の春と秋に行う入札会で、内外の巨匠から現代作家まで約200点を展示し、オークション方式で販売する。

出品されるのは日本の風景画家で「国民的画家」として知られる東山魁夷(ひがしやま・かいい、1908-1999)、シルクロードの画家、平山郁夫(ひらやま・いくお、1930-2009)、日本画家で「帝展」や「院展」にたびたび落選し「落選の神様」といわれた片岡球子(かたおか・たまこ、1905-2008)、日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した加山又造(かやま・またぞう、1927-2004)。

女性画や静物を生き生きと描いた小倉遊亀(おぐら・ゆき、1895-2000)、上村松篁(うえむら・しょうこう、1902-2001)の子息で、花鳥画の第一人者として知られる京都市立美術大学名誉教授の上村淳之(うえむら・あつし、1933年生まれ)さん、日本画家で東京芸術学舎学舎長の千住博(せんじゅ・ひろし)さん、東京芸術大学名誉教授の中島千波(なかじま・ちなみ)さん。

日本画家で「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、独特の描法を確立した横山大観(よこやま・たいかん、1868-1958)、塗り重ねにより微妙な色加減を表現した日本画家の奥村士牛(おくむら・とぎゅう、1889-1990)、日本画家でエジプトやインドなどの古代遺跡や神像、抽象画や裸婦など従来の日本画にはなかった題材を描いたことで知られる杉山寧(すぎやま・やすし、1909-1993)、点描画法により、幻想的な風景画で知られる洋画家の岡鹿之助(おか・しかのすけ、1898-1978)。

ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術や琳派、南画といった日本の伝統的な美術を取り入れ、装飾的な世界で知られた洋画家の梅原龍三郎(うめはら・りゅうざぶろう、1888-1986)、バラの絵で知られる洋画家、中川一政(なかがわ・かずまさ、1893-1991)、パリを中心とするヨーロッパの歴史が刻まれた街並みを描き続けた洋画家の荻須高徳(おぎす・たかのり、1901-1986)、孤高の洋画家で自宅の虫や花を描き続けた熊谷守一(くまがい・もりかず、1880-1977)。

具象絵画を代表するフランスの画家、ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet、1928-1999)、アンニュイな女性、森にたたずむパリジェンヌ、海に浮かぶヨットなどの絵で知られるフランス人画家のジャン・ピエール・カシニョール(Jean Pierre Cassigneul、1934年生まれ)さん、具象系派の画家で、軽快なタッチと鮮やかな色彩で静物、風景、人物などのリトグラフを制作したポール・アイズピリ(Paul Aizpiri、1919-2016)、アメリカ在住でレーザーやホログラムを駆使した現代美術家、ヒロ・ヤマガタ(1948年生まれ)さんら。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。入場は無料。売上金の一部は東日本大震災の義援金として、日本赤十字社に寄付される。

丸善日本橋で岡野博「パステルと油彩画」展、本人来場も

【銀座新聞ニュース=2018年2月25日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は2月28日から3月6日まで3階ギャラリーで岡野博さんによる「パステル・油彩画展」を開く。

丸善・日本橋店で2月28日から3月6日まで開かれる岡野博さんの「パステル・油彩画展」に出品される「海景」(パステル)。

美術系団体に属さず、独立して制作している洋画家の岡野博(おかの・ひろし)さんが新作のパステル画と油彩画、約65点を出品する。

岡野博さんは1949年広島県尾道市生まれ、1973年に武蔵野美術大学油画科を卒業、フランスにわたり、1975年にフランス国立装飾美術学校壁画科を卒業、1986年に帰国し、日本で制作している。1978年に泰明画廊で個展(その後、1981年から2年ごとに1999年まで開催)、1986年にベルギーで個展、2008年に「フェア東京2008」に出展(2012年も)、2006年から小学館「本の窓」の表紙を手がけている。

28日と3月3日の13時から17時まで岡野博さんが来場する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。入場は無料。

サニーヘルス、ビタミンCが豊富で美容、健康に適した金柑

【銀座新聞ニュース=2018年2月24日】健康食品、美容商品、化粧品などの販売会社、サニーヘルス(中央区八重洲2-1-6、八重洲kビル、03-6701-3000)はこのほど、レポート「小さな金柑に秘められた美容・健康効果とは?」を発表した。

「天然のサプリ」ともいわれるほど栄養価が高く、昔から民間療法でも用いられてきた薬効の高い金柑。

のど飴や甘露煮でなじみのある、金柑(きんかん)は1月から3月頃の今が旬で、金柑は、風邪予防やのどの痛みに効果があることで知られている。ほのかな苦みと爽やかな酸味と甘さが特徴で、生で皮ごと食べられるので栄養素を余すことなく摂取することができる。

その栄養価は「天然のサプリ」ともいわれるほど高く、昔から民間療法でも用いられてきた薬効の高い食品とされている。

サニーヘルスでは今回、金柑が持つ3つの美容、健康効果について紹介している。まずは「ビタミンCたっぷり!のどケア、風邪予防、美肌に効果あり」で、美肌に風邪予防に抗ストレスにと大活躍のビタミンCが、金柑には100グラムあたり49ミリグラムもの量が含まれており、これはレモン果汁に匹敵する含有量という。

ビタミンCはコラーゲンを生成するのに欠かせない栄養素で抗酸化作用もあり、エイジングケアには必須とされている。また、皮膚や粘膜の細胞を正常に保つ働きや免疫力を高める作用のある「ベータ(β)カロチン」も含まれるため、のどや鼻粘膜のケアに役立ち、風邪予防や症状の改善にも効果的で、若返りのビタミンEや、果物のなかでは珍しくカルシウムも多く含まれている。

続いて注目されるのが「ヘスペリジン(ビタミンP)」だ。金柑の効能でもっとも注目したいのがビタミンPで、ポリフェノールの一種である「ヘスペリジン」だ。柑橘類の皮に多く含まれるため、皮ごと食べる金柑はこの成分を摂取するのにもっとも適した食品といえる。ヘスペリジンはビタミンCと協力して働き、血管をしなやかで強く保ち、血流改善、血中コレステロールの改善、成人病ケアなどの効果があることがわかっている。

3番目が「腸内環境を整える」で、金柑の皮や筋の部分には、食物繊維の一種である「ペクチン」が豊富に含まれている。皮をむいて実だけを食べる温州みかんと同じ量で比べた場合、約4.6倍もの差がある。食物繊維にはコレステロールの吸収を抑える働き、脂肪吸収の抑制、食後血糖値の急上昇を防ぐ作用などがあり、ダイエットには欠かせない栄養素とされている。また、腸内の善玉菌を増やし、腸内環境を整える効果があり、便通の改善だけでなく体質改善にも大きな影響があるという。

4番目に「皮ごとおいしく食べる金柑レシピ」を紹介している。生の金柑が苦手な人でも食べやすいのが「金柑の甘露煮」だ。生食用が出回る時期は短いが、甘露煮にすることで保存性が高まり、長く楽しむことができる。

材料は金柑500グラム、砂糖250グラム(金柑の重量の50%程度)、水が金柑を鍋に入れてひたひたになる程度を用意する。1)金柑を水洗いしてからヘタを取り、包丁で数カ所切れ目を入れる、2)たっぷりのお湯(分量外)で3分ほど茹で、ざるに上げる、3)鍋に2)と砂糖、水を入れ、軽く混ぜ合わせる、4)弱火で20分から30分煮込み、皮が柔らかくなり照りが出てきたら火を止める。常温になるまで冷ましたら、煮沸消毒した清潔な瓶に入れ、冷蔵庫で1カ月程度保存ができる。

そのまま食べてもいいし、甘露煮と甘露煮の汁をマグカップなどに入れて、お湯と少量の蜂蜜を入れて飲めば、のどの痛みや風邪予防に最適という。

金柑は洗うだけで手軽にぱくっとつまめ、忙しい朝や間食にもぴったりで、ビタミンCを摂取するなら生食がお勧めだが、風邪予防やのどの痛みの緩和なら甘露煮でも効果があるとしている。

ウイキペディアによると、金柑はミカン科キンカン属 (Fortunella) の常緑低木の総称で、中国の長江中流域が原産といわれている。スウェーデンの植物学者、カール・ペーテル・ツンベルク(Carl Peter Thunberg、1743-1828)が「ミカン属」に分類し、1915年にアメリカの農学者、植物学者、ウォルター・テニソン・スウィングル(Walter Tennyson Swingle、1871-1952)により新属として分割された。

ヨーロッパに紹介したスコットランド出身の植物学者で、中国からインドに「チャノキ」を持ち出したことで知られるロバート・フォーチュン(Robert Fortune、1812-1880)ヘの献名として新たな学名を与えられた。

日本への渡来は江戸時代の1826(文政9)年で、清国の浙江省寧波(にんぽう)の商船が遠州灘沖で遭難し清水港に寄港した際に、船員が礼として清水の人に砂糖漬けの金柑の実を贈った。その中に入っていた種を植えたところ、やがて実がなり、その実からとった種が日本全国へ広まったとされている。

日本における2013年の収穫量は3744トン、2014年が3666トンであり、その内訳は2014年でみると、宮崎県2498トン(全体の68%)、鹿児島県871トン(24%)で2県で92%を占めている。

三井不が銀座4館の店で十勝チーズ祭り、14店が独自メニュー

【銀座新聞ニュース=2018年2月23日】大手不動産会社の三井不動産(中央区日本橋室町2-1-1、03-3246-3131)グループの商業施設運営管理会社の三井不動産商業マネジメント(中央区日本橋浜町2-31-1、浜町センタービル)は2月26日から3月11日まで銀座ベルビア館(中央区銀座2-4-6)など4館で十勝チーズメーカー4社とのコラボによる「とかちーずまつり」を開く。

三井不動産商業マネジメントが運営する銀座ベルビア館などのレストランで2月26日から3月11日まで開かれる「とかちーずまつり」で提供される十勝チーズを使ったメニュー。

北海道の十勝チーズメーカー、農事組合法人「共働学舎新得農場(きょうどうがくしゃ・しんとくのうじょう)」(北海道上川郡新得町字新得9-1、0156-69-5600)、「ニーズ(NEEDS)」(北海道中川郡幕別町新和162-111)、「十勝野フロマージュ」(北海道河西郡中札内村西2条南7-2、0155-63-5070)、「乳ライフ(life)」(会社は坂根牧場、北海道広尾郡大樹町字大樹396-5、0155-86-5622)の4社の18種類のチーズを元に開発した料理34品を、同社が運営管理する銀座の4館のビルにある14店のレストランで提供する。

4館は同社が運営する銀座ベルビア館、銀座トレシャス(中央区銀座2-6-5)、ギンザ・グラッセ(中央区銀座3-2-15)、ニッタビル(中央区銀座8-2-1)で、使用されるチーズは「共働学舎新得農場」がフロマージュブラン、レラ・ヘ・ミンタル、プチ・プレジール、ラクレット、コバン。「ニーズ」がラクレット、モッツァレラ、カシワ、大地のほっぺ、カチョカバロ、クリームチーズ。「乳ライフ」がカチョカバロ、モッツァレラ。「十勝野フロマージュ」がおいしいカマンベール、ブリ・ド・トカチ、とかち野ウォッシュチーズ、中札内カマンベール、ブリーチーズ。

ウイキペディアによると、チーズ(cheese)とは、牛、水牛、羊、山羊(やぎ)、ヤクなど鯨偶蹄目(げいぐうていもく、ウシ目とクジラ目からなる)の反芻(はんすう)をする家畜から得られる乳を原料とし、乳酸発酵や柑橘果汁の添加で酸乳化した後に、加熱や酵素(レンネット)添加によりカゼインを主成分とする固形成分(カード)と液体成分(ホエー)に分離して脱水した食品(乳製品)の一種をいう。

伝統的に乳脂肪を分離したバターと並んで家畜の乳の保存食として牧畜文化圏で重要な位置を占めてきた。漢語表記では、北魏時代(386年から534年)に編さんされた総合的農書「斉民要術(せいみんようじゅつ)」に記されているモンゴル高原型の乳製品加工の記述を出典とする「乾酪(かんらく)」が使用されている。

古くからある食べ物であり、加工食品としては最古の歴史を持ち、その起源は先史時代まで遡る。ポーランドでは紀元前5500年ごろのスウィデリアン文化時代におけるチーズづくりの道具が発見されており、これが現在のところもっとも古いチーズ製造の証拠である。この人類最古のチーズの原料は山羊の乳であり、現在のポーランドでも多くの種類の山羊乳チーズ(いわゆるシェーブルチーズ)が存在する。

紀元前3100年ごろになるとサハラやメソポタミアの牧草地帯でエジプト人とシュメール人によって酪農が営まれていた。また、チーズづくりがヨーロッパで古くから定着していたことはヘレニズム初期の神話からも読み取ることができる。ローマ帝国が成立する時代には経済活動としてすでに洗練されていて、高価なチーズは上流階級のローマ人の舌を満足させるために長い距離をものともせずに取引されていた。

ローマ帝国崩壊後もヨーロッパでのチーズ利用が衰退することはなく、逆に各地で特徴あるチーズが多数生産されるようになっていった。ヨーロッパでは特に、各地の荘園や修道院において特色あるチーズが生産されることが多かった。中世においては、チーズは脂肪分の多いものが珍重され、15世紀ごろにブルターニュやオランダ、フランドル、イギリスなどでバターの生産が盛んとなると、チーズの質では山岳地帯産のチーズのほうが名声を得るようになっていった。

19世紀半ばには、工業的にナチュラルチーズが大量生産できるようになり、ヨーロッパやアメリカにチーズ工場が建設された。1874年にはデンマークでレンネットが工業的に量産できるようになり、1904年にはアメリカでプロセスチーズが開発され量産された。

日本では飛鳥時代の645年頃から乳牛の伝来と飼育が始まり、蘇(そ)、または酥(そ)、および醍醐と呼ばれるチーズの一種が製造されていた。700年には朝廷が諸国に酥の製造を命じ、8世紀から10世紀にかけては酥の製造が続けられていたとされるが、平安時代末期ごろからすたれた。明治時代になっても、チーズの独特の風味はあまり日本人に好まれず、日本においてはじめてチーズが製造されたのは、1875年に北海道開拓使においてであった。

1933年には北海道の遠浅において、日本で初めてチーズ工場が設立されたが、チーズが本格的に普及するのは大東亜戦争終結後のことである。このチーズは1951年ごろに製造のはじまったプロセスチーズがほとんどであり、ナチュラルチーズは生産も消費もほとんどなかった。しかし、プロセスチーズの消費量は食生活の洋風化とともに急増を続けた。この急増には1970年代に普及のはじまったピザや、1980年代に普及したチーズケーキなどのブームによるところも大きい。この下地の上ではじめてナチュラルチーズが受け入れられていくようになった。

原料や加工法によってチーズは細かく分類され、1000種類以上あるとされるが、基本的にはナチュラルチーズとプロセスチーズの2つに分けられる。ナチュラルチーズは牛乳から直接作られるのに対し、プロセスチーズはいったん作られたナチュラルチーズを溶かし、それを再び乳化剤を添加して固めて作られる。

プロセスチーズはあくまでもナチュラルチーズから作られるものであり、ほかのものから作られるわけではない。プロセスチーズは溶解時に加熱殺菌されているため発酵が止まっており、長期保存が可能となる。また、加熱すると伸びたり分離するナチュラルチーズに比べて安定しており、変化が起きにくいが、ナチュラルチーズに比べて独特な風味は薄いものが多い。ただ、日本ではチーズ市場の45%がプロセスチーズとなっている。

ナチュラルチーズの分類にはいくつもの方法があるが、一般的なものとしてはフレッシュチーズ、白かびチーズ、ウォッシュチーズ、シェーブルチーズ(山羊乳チーズ)、ブルーチーズ、半硬質チーズ、硬質チーズ(ハードチーズ)、超硬質チーズの8種類に分けることが多い。

参加店舗は銀座ベルビア館では「銀座パール・デルソーレ ドゥエ(2Due)」(03-5159-2020)、「オイスターバー&ワイン ブロン(Oysterbar&Wine BELON)銀座店」(03-6264-4538)、「串揚げ 100-001(ひゃくぜろぜろいち)メリーミー」(03-6271-0840)、「テトテ(tetote)」(03-3564-1775)。

「リストランテ エッフェ(Ristorante F effe)」(03-6228-6206)、「トラットリア ラ ココリコ ビレリア ロオスティセリア(TRATTORIA LA COCORICO-Birreria Rosticceria)」(03-5524-3301)の6店舗。

銀座トレシャスでは「スズカフェ(SUZUCAFE)」(03-6228-6090)、「雲仙/串あげもの 旬s(しゅんず)」(03-6228-6091)の2店舗。

ギンザ・グラッセでは「リストランテ・ヒロギンザ(GINZA)」(03-3535-2750)、「ぴょんぴょん舎ギンザウナ(GINZA UNA)」(03-3535-3020)、「赤から銀座店」(03-3535-3232)の3店舗。

ニッタビルでは「ワインホール グラマー(WINEHALL GLAMOUR)」(03-5568-6688)、「元祖手羽先唐揚 風来坊」(03-6280-6689)、「ベルジアンブラッスリーコート アントワープシックス」(03-5568-0091)の3店舗。

営業時間は各店舗に確認を。

HOOTERS店でミスコン国内本選出場15人を選ぶ投票受付中

【銀座新聞ニュース=2018年2月23日】アメリカ生まれのカジュアルアメリカンダイニング&スポーツバー「HOOTERS」を運営するエッチジェー(HJ、新宿区西新宿1-8-5、アルファ107ビル、03-6279-0398)はこのほど「HOOTERS銀座店」(中央区銀座8-5、銀座ナイン1号館、03-6280-6318)などで客による「ミスフーターズジャパンコンテスト2018」の予選投票をはじめた。

「フーターズ(HOOTERS)銀座店」などで客による「ミスフーターズジャパンコンテスト2018」の予選投票がはじまり、投票の対象となる80人のうちの40人。

4月16日に渋谷店(渋谷区道玄坂2-29-5、渋谷プライム、03-6416-3917)で「ミスフーターズジャパンコンテスト」の最終選考会を開き、5月にアメリカで開かれる「ミスフーターズ世界大会」に出場する「フーターズガール(ウェイトレス)」1人を選ぶ。その予選投票が3月19日まで各店舗に来店する客を対象に実施している。

日本では、7店舗で働く「フーターズガール」が260人おり、そのうち80人がミスフーターズジャパンコンテスト2018」にエントリーし、4月16日の本選に出場する15人を客の予選投票と審査員票で選ぶ。

「ミスフーターズ世界大会」はアメリカ以外の国のフーターズガールの中からトップを決める部門で、2017年は日本をはじめ、カナダ、メキシコ、英国、南アフリカ、中国などからの80人の代表が出場し、渋谷店に勤務するヒカ(HIKA)さんが日本人として初めて「ミスワールド」に選ばれた。

残りの40人。この中から15人が4月の国内最終予選に出場する。

「フーターズ(HOOTERS)」は1983年10月にアメリカ・フロリダで生まれたカジュアルアメリカンダイニング&スポーツバーで、チアリーダーをイメージしたウェイトレスの「フーターズガール(HOOTERS GIRL)」が売りで、現在、アメリカで約430店舗、アメリカ以外の28カ国でも展開している。

店内のテレビモニターでスポーツ観戦をしながら、名物のチキンウィングなどのアメリカンフードとドリンクと、「フーターズガール」によるもてなしを楽しむ。「フーターズ」は、「フーターズガール」を見た男性客がフクロウのように目をキョロキョロさせ、フクロウの「ホー、ホー(Hoot,hoot)」という鳴き声に由来しており、「フーターズ」には「女性の胸」という意味もある。

日本では2005年8月に「株式会社エッチジェー」を設立し、2008年6月にアメリカのフーターズ・オブ・アメリカ・インクと契約し、2010年10月に東京・赤坂見附駅前の赤坂東急プラザに第1号店を開店したのをはじめ、2012年6月に銀座ナイン1号館に2号店を開店し、現在、東京4店舗、大阪1店舗、名古屋1店舗、福岡1店舗の計7店舗を展開している。

本選に出場する15人は3月22日に店頭、HPなどで公表し、4月26日の渋谷店の本選のチケットは3月22日から発売する。