京橋エドグランで、スーツでヨガ、綿本彰が指導

【銀座新聞ニュース=2018年4月26日】中堅の不動産会社、日本土地建物(千代田区霞が関1-4-1)は4月27日と28日の2日間、「京橋エドグラン」(中央区京橋2-2-1)地下1階大階段で「乱れた心の整え方-簡単にできる階段ヨガ&瞑想入門」を開く。

4月27日と28日の2日間、京橋エドグランで開かれる「乱れた心の整え方-簡単にできる階段ヨガ&瞑想入門」のフライヤー。

「日本ヨーガ瞑想協会」(中央区京橋3-3-13、平和ビル、03-3516-1196)会長で、「綿本ヨーガスタジオ」(同)を主宰する綿本彰(わたもと・あきら)さんが講師となって、無料で参加できるヨガイベントを開く。

27日18時30分から「お勤め帰りの階段ヨガ&瞑想」とし、仕事で疲れた腰や肩まわりを重点的にほぐし、簡単な呼吸法を行った後に瞑想/マインドフルネス体験を行う。

28日14時から「疲れをリセットする階段ヨガ&瞑想」とし、1日歩き回って疲れた脚まわりを中心に簡単なヨガを行い、その感覚に集中しながら瞑想/マインドフルネスの感覚を養う。

講師を務める綿本彰さん。

綿本彰さんは大阪府生まれ、幼い頃より、1978年に日本ヨーガ瞑想協会を設立した名誉会長の故綿本昇(わたもと・のぼる)からヨガを学び、神戸大学システム工学科を卒業、インドでヨガやアーユルヴェーダを学び、帰国後の1994年にヨガの指導をスタートした。

2000年からは、ロサンゼルスやニューヨーク、ロンドンなど、世界各地でハタヨガ、ラージャヨガ、パワーヨガ、クリパルヨガ、ヴィニヨガ、チェアヨガ、リストラティブヨガ、陰ヨガ、ヨガニドラなどさまざまなスタイルのヨガを研修している。

2003年にパワーヨガ専門スタジオ「綿本パワーヨガスタジオ」をオープンした。現在、インドやイタリア、イギリスなど、世界各国でヨガや瞑想の指導を行っている。

ウイキペディアによると、ヨガ(Yoga)は古代インド発祥の修行法で、アーサナ(asana、姿勢)やプラーナーヤーマ(呼吸法)のみを重視する健康的なものや、瞑想による精神統一を重視するものなどさまざまある。狭義には、六派哲学のヨガ学派から始まり、解脱、すなわち個体魂の神への結合を実現するための実践体系を指す。男性の修行者はヨーギン(ヨーギー)、女性の修行者はヨーギニーと呼ばれる。

紀元前2500年から1800年のインダス文明に、その起源をもつ可能性が指摘されている。同文明の都市遺跡のモヘンジョ・ダロからは、坐法を組み瞑想する神像やさまざまなポーズをとる陶器製の小さな像などが見つかっている。

ヨガという語が見出されるもっとも古い書物は、紀元前800年から500年の「古ウパニシャッド初期」に成立した「タイッティリーヤ・ウパニシャッド」とされており、紀元前350年から300年頃に成立したとされる「カタ・ウパニシャッド」にもヨガの最古の説明が記載されている。

2世紀から4世紀ごろに、サーンキヤ学派の形而上学を理論的な基礎として、その実践方法がパタンジャリ(Patanjali)によって「ヨガ・スートラ」としてまとめられ、解脱への実践方法として体系づけられた。内容としては主に観想法(瞑想)によるヨガ、静的なヨガであり、そのため「ラージャ・ヨガ(王・ヨガ)」と呼ばれている。

その方法がアシュターンガ・ヨガ(8階梯のヨガ)と言われる8つの段階で、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(座法)、プラーナーヤーマ(調気法、呼吸法を伴ったプラーナ調御)、プラティヤーハーラ(制感、感覚制御)、ダーラナー(精神集中)、ディヤーナ(瞑想、静慮)、サマーディ(三昧)である。これらを根本教典として「ヨガ学派」が成立した。

12世紀から13世紀には、タントラ的な身体観を基礎として、動的なヨガが出現し、「ハタ・ヨガ(力=ちから・ヨガ)」と呼ばれている。現在、世界中に普及しているヨガはこの「ハタ・ヨガ」の方法とされている。内容としては難しい坐法(アーサナ)や調気法(プラーナーヤーマ)を重視し、超能力などを追求する傾向もある。

科学的な研究は1920年代にインドマハーラーシュトラ州ロナワラ市に設立されたカイヴァルヤダーマ・ヨガ研究所で開始され、インド中央政府はその後、8校の「ヨガと自然療法医科大学」をはじめ30校を超える大学にヨガ学科を設置している。その内の1つであるスワミ・ヴィヴェーカナンダ研究財団の教育部門はインド中央政府人的資源管理省より2002年5月にヨガ大学院大学として認定をうけ修士号、博士号を発行している。

定員は90人程度で、ヨガマットなど特別な道具は不要、普段着やスーツで参加できる。

銀座三越で「あいぱく」アイス100種以上、アイスマンらライブ

【銀座新聞ニュース=2018年4月25日】国内最大手の百貨店、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1、03-3352-1111)が運営する銀座三越(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は4月25日から5月7日まで7階催物会場と9階銀座テラスで「アイスクリーム万博『あいぱくTOKYO』in 銀座三越」を開いている。

銀座三越で5月7日まで開かれている「アイスクリーム万博『あいぱくトウキョウ(TOKYO)』イン(in)銀座三越」に出品される桔梗屋の「桔梗信玄ソフト+」(500円)。

「アイスクリーム万博(あいぱく)」は2014年3月に設立された一般社団法人「アイスマニア協会」(港区芝3-23-1、セレスティン芝三井ビルディング、03-4571-2536)が主催するイベントで、2015年から「あいぱく」をはじめ、2016年1月1日から12月31日までに開いた「あいぱく」に出品された商品を候補として、2017年3月に「あいぱくアワード2016」を開いて、6商品が選ばれている。

最高金賞が桔梗屋(山梨県笛吹市)の「桔梗信玄ソフト」、金賞がニューヨーク堂(長崎県長崎市)の「長崎カステラアイス」、銀賞がスマイルクリエイト(広島県福山市)の「揚げもみじアイス」、特別賞(3点)がとりみカフェ(兵庫県神戸市)の「すずめチュンアイス」、カスターノ(castano、鹿児島県奄美諸島)の「奄美塩ジェラート」、京都利休園(京都府京都市)の「宇治抹茶アイス80」が選ばれた。

今回の銀座三越での「あいぱくトウキョウ(TOKYO)」では、桔梗屋(山梨県笛吹市)の「桔梗信玄ソフト」(500円)と「桔梗信玄ソフト吟造り+恋い抹茶」(540円)、「オリジナル桔梗信玄餅アイス」(330円)、「桔梗信玄餅アイス 抹茶」(350円)、京都利休園の「極濃抹茶アイス・ほうじ茶アイス」を濃い抹茶、極み抹茶、神抹茶の3段階で提供する「シングル」(濃い・極みが500円、神が600円)、「ダブル」(濃い・極みが700円、神が800円)、「黒ほうじ、玄米茶、朝宮紅茶アイス」(各410円)、「プレミアム宇治抹茶3段階」(410円から470円)。

同じく販売されるマンハッタンロールの「マンハッタンロールアイス」(各850円)。

ニューヨーク堂の「長崎カステラ生ソフト」(プレーン、抹茶各540円)、マンハッタンロール(東京都渋谷区)の「マンハッタンロールアイス」(各850円、限定メロンのみ1000円)、コールド・ストーン・クリーマリー(東京都中央区)の「ミント・ミント・ミント」(カップ、コーンとも550円)、カスターノの「奄美塩、奄美黒糖、喜界島の白ごま、さとうきび酢、奄美の天然水チョコシャーベット、宇検村たまごバニラ」(各320円)、「メリメロジェラート 練乳入りパッションシャーベット」(320円)など100種類以上が登場する。

日本アイスクリーム協会によると、アイスクリームは乳成分の量によって、アイスクリーム、アイスミルク、ラクトアイス、氷菓の4つに分けられる。これらの定義と成分規格は、食品衛生法にもとづく「乳及び乳製品の成分規格に関する省令」と「食品、添加物等の規格基準」の2つの法律によって定められている。

アイスクリームは乳固形分15.0%以上で、うち乳脂肪分8.0%以上をいう。乳固形分と乳脂肪分がもっとも多く含まれており、ミルクの風味が豊かに感じられる。アイスミルクは乳固形分10.0%以上、うち乳脂肪分3.0%以上で、乳固形分と乳脂肪分はアイスクリームに比べて少なが、牛乳と同じくらいの乳成分を含んでいる。植物油脂が使われることもある。

ラクトアイスは乳固形分3.0%以上で、乳脂肪分は含まれていない。ほかに比べて、乳固形分が少なく、植物油脂が使われることもある。上記3種類以外のものを氷菓といい、乳固形分はほとんどなく、果汁などを凍らせたアイスキャンディーやかき氷などがあたる。

可食部100グラム当たりのカロリーはアイスクリームが乳脂肪分が12%の場合212キロカロリー、8%の場合、180キロカロリー、アイスミルクが167キロカロリー、ラクトアイスが高脂肪で224キロカロリー、低脂肪で108キロカロリー、氷菓(シャーベット)が127キロカロリーとなっている。

国内の市場(4種類の合計)は2010年に4000億円を突破し、2012年から増え続けており、2014年が前年比0.9%増の4369億円(うち、アイスクリームが1365億円、ラクトアイスが1430億円)、2015年が同6.4%増の4647億円(同1427億円、1515億円)、2016年が同6.3%増の4939億円(同1546億円、1566億円)と5000億円に近付いている。

古代のアイスクリームは今のシャーベットのようなもので、お菓子としてではなく疲れた体を元気にする「健康食品」として利用され、アラブでは古代ギリシャやローマで、中国でもこの甘い氷菓は次第に人々の心をとらえ、王侯貴族や裕福な人たちに嗜好品として愛された。

氷雪は、はじめは食品を保存するために利用され、やがて雪や氷を冬に貯蔵しておき、夏に食べるようになった。しかし、当初は兵の指揮を鼓舞し、肉体を元気づける健康食品として利用され、この氷や雪を「健康食品」としてではなく、純粋に嗜好品として求めたのが古代ローマ、共和政ローマ期の政治家、ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar、BC100-BC44)だ。

彼は若者をアペニン山脈に走らせ、そこから氷や雪を運ばせて、乳や蜜、ワインなどを混ぜて飲んでいたと伝えられている。ローマ帝国の皇帝ネロ(Nero Claudius Caesar Augustus Germanicus、37-68)はアルプスから奴隷に万年雪を運ばせ、バラやスミレの花水、果汁、蜂蜜、樹液などをブレンドして作った氷菓「ドルチェ・ビータ」を愛飲していたと言われている。

ローマの将軍クイントゥス・マキシマス・グルゲオ(Quintus Maximus Gurgeo)の文献には氷菓の製法が記され、これが最古のアイスクリームのレシピといわれている。古代ギリシャのアレクサンドロス3世(大王、Alexander The Great Bust、BC356-BC323)は奴隷たちに山から氷雪を運ばせ、果汁に糖蜜を加えた飲み物を好んだといわれている。

3000年以上に中国で作られた菓子であるとベネチア共和国の商人、マルコ・ポーロ(Marco Polo、1254-1324)は伝えている。1295年にマルコ・ポーロは父と叔父との25年間のアジア横断の旅を終え、ベネチアに帰還するが、ジェノヴァとの間で戦争が起こり、捕らえられて投獄されてしまう。獄中で口述したのが「東方見聞録」で、マルコ・ポーロは北京で乳を凍らせた「ミルクアイス」を味わい、その製法をヨーロッパに持ち帰ったといわれている。

ウイキペディアによると、16世紀初頭にパドヴァ大学のイタリアの学者、マルク・アントニウス・ジマラ(Marcantonio Zimara、1475-1535)が常温の水に多量の硝石を溶かすと溶解熱により吸熱し、冷却することを発見した。16世紀中ごろにはイタリアの舞台デザイナー、建築家、ベルナルド・ブオンタレンティ(Bernardo Buontalenti、1531-1608)が氷に硝石を加えることでマイナス20度程度まで温度が下がることを発見した。この原理を利用して人工的に食品を凍結させるという技術が可能となり、その水溶液から硝石は何度でも回収できた。

現在のアイスクリームの原型は16世紀中ごろ、フィレンツェでブオンタレンティがメディチ家のために創作したセミフレッドのズコットとされている。フランスのオルレアン侯アンリ(後のアンリ2世、Henri2 de France、1519-1559)に嫁いだメディチ家のカテリーナ・デ・メディチ(Caterina de’Medici、1519-1589)が、菓子職人とともにフランスに持ち込んだとも言われるが、根拠がないという意見もある。

1686年シチリア出身のフランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリ(Francesco Procopio dei Coltelli、仏名フランソワ・プロコープ、Francois Procope、1651-1727)がパリでカフェ「ル・プロコープ」を開店し、1720年、シチリアの氷菓グラニータをアレンジしたグラス・ア・ラ・シャンティ(glace a la chantilly)を売り出した。これはホイップクリームを凍らせた氷菓であったが、アイスクリームの商業的成功の最初の例と見なされている。

英国には1624年、カトリーヌの孫アンリエット・マリー(Henrietta Maria of France、1609-1669)がチャールズ1世(Charles 1、1600-1649)の元に嫁いだときにジェラート(アイスクリーム)職人を伴い、伝わったとされる。チャールズ1世の宴会でフランスの料理人ド・ミレオによって作られ、賞揚されたという。チャールズ1世は、アイスクリームの製法を秘密にし、王にだけアイスクリームを提供する見返りに、アイスクリーム職人に一生年金を与えたという伝説がある。

しかし、この逸話は19世紀以前の文献には現れず、アイスクリーム売りによる創作とされている。このころまでのアイスクリームにはまだ乳製品をほとんど使用してなく、代わりにメレンゲを使用したシャーベットに近いものであった。

初期のアイスクリームは、冷たいボウルの中で手によって造られた。このため、製造は大変に困難で、これを改良する発明は主に18世紀に移民によってアイスクリームが伝わったアメリカで生まれた。

1846年、アメリカのナンシー・ジョンソン(Nancy Johnson) という主婦によって「手回し式アイスクリームフリーザー」というかく拌機が発明された。1851年にはメリーランド州ボルチモア市の牛乳屋ヤコブ・フッセル(Jacob Fussell、1819-1912)が余った生クリームを処理するために世界初のアイスクリーム製造工場を造った。

この後、アイスクリームは量産品と、生洋菓子に分かれ、量産品のアイスクリーム製造は、アメリカがさかんで、一方、1867年にドイツで製氷機が発明されると、この冷凍技術と酪農の発達に伴い、アイスクリームの工場生産時代を迎えた。

日本人で初めてアイスクリームを食べたのは1860年(万延元年)に咸臨丸で渡米した遣米使節団であるとされている。

日本初のアイスクリームとしては、1869(明治2)年6月(旧暦)、遣米使節団のメンバーであった町田房蔵(まちだ・ふさぞう)がアメリカに密航した後に帰国した出島松蔵(でじま・まつぞう)から製法を教わり、横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で製造・販売している。「あいすくりん」という名称で、1人前の値段は2分(現在価で約8000円)と大変高価な物であったため、民衆に敬遠され、なかなか浸透しなかった。

原料は、生乳、砂糖、卵黄といたってシンプルなもので、これはいまは「カスタードアイス」とも呼ばれている。横浜沿革誌によると、1869年は大赤字となり、一時休業したが、1870年4月の横浜総鎮守伊勢山皇大神宮創建の祭に際して再開したところ、祭礼の賑わいと初夏の日差しにより「頗る繁盛を極め、因て前年の失敗を快復」したとある。

1899(明治32)年7月に東京銀座の資生堂でも売り出し、人気メニューとなり、その後、日本でアイスクリームの工業生産がスタートしたのは1920(大正9)年だった。また、「アイスクリームの日」とされる「5月9日」は当時の東京アイスクリーム協会(現日本アイスクリーム協会)が1964年5月9日に、アイスクリームシーズンとなる連休明けの時期であるこの日に記念事業を行い、諸施設へアイスクリームをプレゼントしたことから、翌1965年に「アイスクリームの日」と制定した。

期間中、9階銀座テラスなどでライブが開かれる。
28日、29日、30日、5日、6日の15時から、1973年東京都足立区生まれ、2010年からコンビニアイス評論家として活動をはじめ、その後「アイスマニア協会」を設立して代表理事を務めるアイスマン福留(あいすまん・ふくとめ)さんによるトークショーを開く。

28日13時と16時の2回、劇団「ワハハ(WAHAHA)本舗」に所属するコミックバンド「ポカスカジャン」によるライブを開く。

5月3日13時と15時の2回、福井県生まれ、筑波大学卒業、リクルートを経て、2013年秋から活動しているせりかなさんいよるライブを開く。

5日14時に、「メイクスマイルアーティスト」のミワンダフルさんがメイク術を披露する。

営業時間は10時30分から20時。

丸善丸の内で長船善祐「写実絵」展

【銀座新聞ニュース=2018年4月24日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は4月25日から5月1日まで4階ギャラリーで長船善祐さんによる「油絵展 実写を超えた詩情」を開く。

丸善・丸の内本店で4月25日から5月1日まで開かれる長船善祐さんの「油絵展 実写を超えた詩情」に出品される作品。

独学で油絵を学び、独自の視点で写実絵画を追求する若手洋画家の長船善祐(おさふね・ぜんすけ)さんが新作を中心に約30点を展示販売する。

長船善祐さんは1982年大分県佐伯市生まれ、静岡大学教育学部理科専攻を卒業、5年ほど大分県内の小学校で教師を勤め、2010年に独立して画家として制作している。2010年、2011年と2年連続で日展に入選するなど3回入選している。

開場時間は9時から21時(最終日は17時)まで。入場は無料。

国際フォーラム等GWに「新世界」でクラシック400公演

【銀座新聞ニュース=2018年4月24日】クラシック専門の演奏家、マネジメント会社の株式会社KAJIMOTO(中央区銀座6-4-1、東海堂銀座ビル、03-3574-0969)、東京国際フォーラム(千代田区丸の内3-5-1、03-5221-9000)、東京都豊島区(豊島区南池袋2-45-1、03-3981-1111)、三菱地所(千代田区大手町1-1-1、大手町パークビル、03-3287-5100)で構成される「ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018運営委員会」(03-3574-6833)は5月3日から5日の3日間、東京国際フォーラム、東京芸術劇場、池袋西口公園、南池袋公園などで「ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018」を開く。

5月3日から5日の3日間、開かれる「ラ・フォル・ジュルネTOKYO2018」で、ヨアヒム・コンクールを優勝したバイオリン奏者のアレクサンドラ・コヌノヴァ(Alexandra Conunova)さんはベートベンのバイオリン協奏曲を演奏する。

2005年5月から東京国際フォーラムを中心に、大手町、丸の内、有楽町で開いてきた「ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)・オ・ジャポン」は、今回から「ラ・フォル・ジュルネ・トウキョウ(TOKYO)」と改称し、東京芸術劇場(豊島区西池袋1-8-1、03-5391-2111)、池袋西口公園(豊島区西池袋1-8-26)、南池袋公園(豊島区南池袋2-22-1)など開催場所を増やしてクラシック演奏会を開く。

「ラ・フォル・ジュルネ」は1995年にフランスの港町ナントで生まれたクラシック音楽祭で、毎年テーマとなる作曲家やジャンルを決め、ナント市のコンベンションセンター「シテ・デ・コングレ」の9つの会場で、同時並行的に約45分間のコンサートが、朝から夜まで開かれ、コンサート数は5日間で300公演になる。

中世の地中海沿岸地域の多彩な音楽を自在に融合し、色彩豊かな音楽を奏でるアンサンブル「カンティクム・ノーヴム」。

2000年にはポルトガル・リスボン、2002年にはスペイン・ビルバオ、2005年5月から東京国際フォーラムで開かれている。2009年に石川県金沢市とブラジル・リオデジャネイロ、2010年に新潟市、滋賀県びわ湖、ポーランド・ワルシャワ、2011年に佐賀県鳥栖市(とすし)でも催されている。

2018年が14回目となり、2015年から従来の音楽家を取り上げる方式から、横断的なテーマを設定して、それに関連するクラシック曲を演奏しており、2018年は「UN MONDE NOUVEAU-モンド・ヌーヴォー新しい世界へ」がテーマで、3日間で有料、無料含めて約400公演(うち有料が178公演、うち丸の内地区125公演、池袋地区53公演)が上演される。

バイオリン奏者のアレーナ・バーエワ(Alena Mikhailovna Baeva)さんはハリウッド映画音楽の礎を築いたコルンゴルトのバイオリン協奏曲を演奏する。

アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタン(Rene Martin)さんは「いつの時代も作曲家たちは人生のある時期、母国を離れて外国」に移り住んだという。20世紀には「政治的な理由で、多くの作曲家が生まれ故郷や住み慣れた街に別れを告げ」たが、バロック時代には、作曲家たちは「異国への好奇心に突き動かされ新天地を目指し」た。「作曲家たちが自分たちのルーツから遠く離れた場所で書きあげた作品は、どれも意味深く、感動的」とし、「そこにはノスタルジーとともに、『新しい世界』と出会う欲求や希望を感じとることができる」としている。

今回、取り上げる作曲家と曲目は「全体主義体制や内戦から逃れ、新しい世界へ亡命・移住した」人として、ポーランド出身で、主にフランスで活躍したショパン(Fryderyk Franciszek Chopin、1810-1849)「ピアノ協奏曲第1番・第2番、マズルカ、バラード」、ロシア出身で、ロシア革命によりヨーロッパを経てアメリカに移ったラフマニノフ(Sergei Vasil’evich Rachmaninov、1873-1943)「ピアノ協奏曲第4番、交響的舞曲」。

ユダヤ音楽クレズマーを代表するクラリネット奏者ヨム(Yom)さんが、弦楽四重奏団と組んだ「ヨム&クアチュール・イクシィ」がジャンルを超えて異次元サウンドを披露する。

ウクライナ出身でロシア革命により日本などを経てアメリカにわたり、さらに後にソ連に帰国し、スターリン(Joseph Stalin、1878-1953)と同じ1953年3月5日に亡くなったプロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev、1891-1953)「ピアノ協奏曲第3番、古典交響曲」。

ロシア出身で、ロシア革命により、フランスを経てアメリカに移り住んだストラヴィンスキー(Igor Fyodorovich Stravinsky、1882-1971)「弦楽のための協奏曲、兵士の物語」、オーストリア=ハンガリー帝国のブリュン(現チェコ・ブルノ)出身で、ナチス・ドイツによるオーストリア併合によってアメリカに亡命したコルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold、1897-1957)「バイオリン協奏曲」。

オーストリア=ハンガリー帝国出身でナチス・ドイツから逃れてアメリカに移住し、この間、ユダヤ教からプロテスタントに改宗し、さらにナチスに抗議するため、ユダヤ教に再改宗したシェーンベルク(Arnold Schonberg、1874-1951)「ピアノ協奏曲」、オーストリア=ハンガリー帝国(ハンガリー王国)出身で、第2次世界大戦によりアメリカに移り住んだバルトーク(Bartok Bela Viktor Janos、1881-1945)「ピアノ協奏曲第3番、管弦楽のための協奏曲」。

スペイン出身で、英国、フランスで活動したアルベニス(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual、1860-1909)「イベリア」、スペイン出身で、幼児期に失明し、主にフランスとスペインで活動したロドリーゴ(Joaquin Rodrigo Vidre、1901-1999)「アランフェス協奏曲」。

「自らの意志で母国を離れ、新しい世界へ移住した」人として、ドイツ出身で、後に英国に帰化したバロック時代のヘンデル(George Frideric Handel、1685-1759)「合奏協奏曲第1番、シャコンヌ」、イタリア出身で、ポルトガルでマリア・マグダレーナ・バルバラ(Maria Magdalena Barbara Xavier Leonor Teresa Antonia Josefa de Braganca、1711-1758)王女(後にスペイン王フェルナンド6世= Fernando 6、1713-1759)=の王妃)に音楽を教え、その後、マリア・バルバラがスペイン王家に嫁いだため、同行する形でスペインに移り住んだバロック時代のスカルラッティ(Domenico Scarlatti、1685-1757)「ソナタ」。

オーストリア帝国(現チェコ)のプラハ近郊出身で、 英国やアメリカで活躍した後期ロマン派のドヴォルザーク(Antonin Dvorak、1841-1904)「交響曲第9番『新世界より』、チェロ協奏曲」。

「魂の深淵に新しい世界を求めた」人として、神聖ローマ帝国(9世紀から10世紀ころに成立し、1806年まで存在した、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心に存在した国家)ケルン大司教領(現ドイツ)出身で、20代後半から難聴になり、宮廷や有力貴族に仕えることなく、大衆に向けた作品を発表したベートーベン(Ludwig van Beethoven、1770-1827)「交響曲第3番『英雄』、ピアノ協奏曲第5番『皇帝』」。

神聖ローマ帝国ウィーン出身で、ドイツ歌曲などで功績を残したシューベルト(Franz Peter Schubert、1797-1828)「冬の旅、幻想曲」、ザクセン王国(現ドイツ)出身で、当時の最高のピアノ奏者のクララ・シューマン(Clara Schumann、1819-1896)と結婚し、作曲家として音楽評論も行い、ドイツを中心に活動したシューマン(Robert A.Schumann、1810-1856)「幻想曲」。そのほか、中世の放浪の歌や地中海沿岸地方の音楽などのワールドミュージック、ジャズ、映画音楽などを取り上げる。

期間中、東京国際フォーラムの地上広場キオスクステージの無料公演は当日に公表される。

期間中、東京国際フォーラムの地下2階ホールE(ハイネ)でも無料公演が開かれるが、参加するには有料公演のチケット、または半券が必要となる。

会期中の入場者数は約50万人(丸の内は44万人、池袋6万人)の入場を見込んでいる。

1曲あたりの演奏時間は45分で、有料公演の料金は1500円から。ほかに、期間中、無料の地上広場の演奏もある。チケットはすでに販売しており、一部は売り切れ。詳細はHPで。問い合わせは0120-086-720まで。無料公演でもチケットの半券が必要な場合もある。

フォルクス新橋店など5月2日と9日に感謝デー

【銀座新聞ニュース=2018年4月24日】「牛丼の吉野家」を運営する吉野家を傘下にもつ吉野家ホールディングス(中央区日本橋箱崎町36-2、Daiwaリバーゲート、03-5651-8800)グループのアークミール(同、03-5651-8652)は5月の2日と9日に「フォルクス新橋店」(港区区新橋1-18-21、第一日比谷ビル、03-3501-7979)などで「肉の日感謝デー!!」を実施する。

5月2日と9日に「フォルクス新橋店」などで実施される「肉の日感謝デー!!」で、9日はハンバーグメニューを頼むともう1枚ハンバーグがもらえる。

毎月、2日と9日に「フォルクス」店と「ステーキのどん」店、「しゃぶしゃぶすき焼どん亭」で「肉の日感謝デー!!」を実施する。銀座周辺では「フォルクス新橋店」と「フォルクス晴海トリトン店」(中央区晴海1-8-16、トリトンスクエア、03-3532-2720)で、2日に来店した家族の中で、小学生以下を対象に終日、お菓子つかみ取りができる。

9日は「フォルクス」でハンバーグメニューを注文すると、ハンバーグをもう1枚プレゼントする(ランチメニューと子ども向けメニューは対象外)。

アークミールは富士フードが1976年に「ステーキのどん」1号店を群馬県前橋市に開店したのがはじまりで、1990年に旧「株式会社どん」が設立され、1991年に旧「株式会社どん」に商号変更し、1998年に旧「株式会社どん」が富士フード株式会社より「ステーキのどん」の店舗運営を譲受し、2005年に「株式会社フォルクス」の株式をダイエーから取得して子会社化した。

「フォルクス」は1970年にスーパーのダイエーがファミリーレストラン事業の一環として大阪市大淀区(現北区)に設立し、1号店の中津店を出店したのがはじまりで、1987年に大証に上場し、2006年に「株式会社どん」と「株式会社フォルクス」が合併し、フォルクスを存続企業とし、社名を「株式会社どん」としたが、大証では「不適当な合併等」(いわゆる「裏口上場」)に係る猶予期間入りした(2010年に上場廃止)。

2007年に吉野家ホールディングスと業務提携し、2008年に吉野家ホールディングスの連結子会社となり、2010年に14億円の債務超過状態に陥るも、吉野家ホールディングスの資金貸付により解消し、2015年に株式交換により吉野家ホールディングスの完全子会社となり、商号を「株式会社アークミール」に変更し、2016年に東京都中央区に東京都北区から本社を移転した。現在、店舗は177店(国内174店、海外3店)を展開している。

開催時間は新橋店が16時から21時、晴海トリトン店が17時から21時。