志門で「ドローイング」大賞の大島愛が個展

【銀座新聞ニュース=2019年1月27日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル3階、03-3541-2511)は1月28日から2月9日まで大島愛さんによる「第7回「ドローイングとは何か」大賞受賞記念展を開く。

ギャルリー志門で1月28日から2月9日まで開かれる大島愛さんの第7回「ドローイングとは何か」大賞受賞記念展のフライヤー。

2018年の第7回「ドローイングとは何か」展で大賞を受賞した大島愛(おおしま・あい)さんが新作を中心に個展を開く。

「ドローイングとは何か」は審査員で美術評論家の金沢毅(かなざわ・たけし)さんが中心になって、「ドローイング」を完成された線描画とし、習作や下絵と一線を画した作品を発表する場を公募展として立ち上げ、2010年からはじめ、2018年が7回目になる。応募者数が81人で、作品数が157点の中から大島愛さんの作品が大賞(副賞は10万円と実行委員会主催の個展)に選ばれている。

大島愛さんは1986年広島県生まれ、2008年に尾道市立大学芸術文化学部美術学科油画コースを卒業、2010年に尾道市立大学大学院美術研究科美術専攻絵画研究分野を修了、2018年に広島市立大学芸術学部美術学研究科博士前期課程映像メディア研究室を修了している。

2012年に東京で個展を開き、2016年に「ゲンビどこでも企画公募2016」で入選、2017年に第4回宮本三郎記念デッサン大賞展で優秀賞、2018年にFACE2018展損保ジャパン日本興亜美術賞で入選している。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)、入場は無料。日曜日は休み。

フード協18年外食2%増、4年連続、客数・単価堅調で

【銀座新聞ニュース=2019年1月26日】一般社団法人「日本フードサービス協会」(港区浜松町町セントラルビル、03-54031-29-6、浜松-1060)は1月25日、2018年と2018年12月の「外食産業市場動向調査」(全店ベース)を発表した。

飲食のマーケティング会社、favy(新宿区西新宿6-16-6、新宿タツミビル、050-1746-3240)が展開する、料理人が独立して飲食店を運営できる「リダイン銀座(re:Dine GINZA)」(中央区銀座4-3-1、並木館9階)に、このほど自ら展開する定額制コーヒースタンド「コーヒーマフィア(coffee mafia)」第3号店(050-3628-5009)を開店した(画像はフライヤー)。
毎月、定額の会員権を購入すると、ランクに合わせて、毎日コーヒーを無料で飲めるシステムで、シングルコ-ヒーのクイックカップで飲める3000円(ライト=Light=プラン)、クイックカップに10種類以上のスパイスやシロップなどのうち2種類を飲み比べできる4800円(スタンダード=Standard=プラン)、すべてのコーヒーメニューを味わえる6500円(プレミアム=Premium=プラン、いずれも税込)の3種類がある。営業時間は8時から21時で無休。

全業態で2018年の外食産業の売上高は前年比2.3%増と4年連続で前年を上回った。5月連休後の節約志向、7月豪雨の天候不順などで伸び率が縮小したものの、年間を通して堅調に推移した、としている。

また、2018年の店舗数は同0.4%増、客数が同0.8%増、客単価が同1.5%増だった。

業態別では「ファーストフード」の特に洋風が引き続き堅調に推移し、同3.3%増で3年連続プラス、「ファミリーレストラン」も客単価の上昇と依然堅調な「焼き肉」により同1.3%増で7年連続プラス、「ディナーレストラン」も同3.2%増で7年連続プラス、「喫茶」も同0.8%増で7年連続プラス、「パブレストラン/居酒屋」は同1.5%減で10年連続マイナスだったものの、下げ止まり傾向にある、としている。

業態別では「ファーストフード」が店舗数が同0.4%増、客数が同1.7%増、客単価が同1.5%増だった。「ファミリーレストラン」は店舗数が同0.8%増、客数が同0.6%減、客単価が同1.9%増だった。「ディナーレストラン」は店舗数が同1.4%減、客数が同2.5%増、客単価が同0.7%増だった。「喫茶」は店舗数が同0.7%増、客数が同1.0%減、客単価が同0.7%増だった。「パブレストラン/居酒屋」は店舗数が同1.7%減、客数が同1.2%減、客単価が同0.4%減だった。

一方、12月は、振替休日により土・日曜日、祝日数が1日多い曜日まわりのなか、各種キャンペーンや季節商品の訴求などが奏功したところが多かったファーストフードに牽引され、全体の売上高は前年同月比2.1%増と28カ月連続して前年を上回った(既存店ベースは未公表)。

業態別では、ファーストフード(FF)が同3.7%増で2015年12月から36カ月連続プラス、ファミリーレストラン(FR)が同0.3%増と2カ月ぶりにプラス、パブ・居酒屋が同0.7%増と3カ月続けてプラスとなり、ディナーレストランが同3.0%増と2016年9月から28カ月連続して前年を上回り、喫茶が同0.9%減と3カ月ぶりにマイナスだった。

また、12月の店舗数は同0.4%増、客単価が同0.9%増だった。

日本フードサービス協会の統計は会員が197事業者数(11月202、10月201、9月199、8月190、7月194、6月200、5月204、4月207、3月200、2月195、1月192)、店舗数が3万6637店(3万6567店、3万6380店、3万6602店、3万6572店、3万6524店、3万6689店、3万7232店、3万6843店、3万6759店、3万6359店、3万6197店)が対象。

内訳はファーストフードが56社(58社、57社、60社、57社、59社、61社、61社、60社、59社、55社、54社)、1万9954店(1万9990店、1万9844店、2万0086店、2万0001店、2万0024店、2万0163店、2万0603店、2万0023店、2万0571店、1万9689店、1万9768店)。

ファミリーレストランが52社(52社、51社、52社、50社、53社、52社、54社、56社、52社、52社、50社)、9814店(9847店、9759店、9848店、9778店、9848店、9921店、9911店、9875店、1万0061店、9187店、9946店、9773店)、パブ・居酒屋が33社(32社、34社、33社、32社、30社、33社、34社、34社、33社、32社、31社)、2388店(2335店、2393店、2381店、2241店、2193店、2271店、2361店、2245店、2467店、2247店、2202店)。

ディナーレストランが25社(26社、26社、26社、23社、23社、24社、25社、26社、26社、26社、27社)、1007店(1013店、1012店、1010店、959店、999店、1004店、999店、1000店、1002店、978店、1017店)、喫茶が14社(16社、16社、14社、15社、15社、15社、15社、17社、16社、16社、16社)、2062店(2064店、2054店、2059店、2061店、2097店、2081店、2130店、2239店、2229店、2227店、2164店)。

外食産業(上場企業)の売上高上位3社の12月の既存店売上高は1位のゼンショーホールディングス(すき家、国内店舗数1933店)が同2.0%増と7カ月続けてプラス、2位のすかいらーく(全グループ、3200店)が同0.7%増と5カ月続けてプラス、3位のコロワイド(全グループ、国内の直営1509店、FC店1188店)が同0.7%減と4カ月続けてマイナスだった。

「江戸の会」で三田徳明が雅楽を語る、演奏も

【銀座新聞ニュース=2019年1月25日】「懐かしい江戸へいらっしゃいの会」(事務局・港区六本木7-8-8、03-3479-3644)は2月3日14時から銀座会議室三丁目(中央区銀座3-7-10、松屋アネックスビル2階)で「第127回懐かしい江戸へいらっしゃいの会」を開く。

2月3日に開かれる「第127回懐かしい江戸へいらっしゃいの会」に出演する三田徳明さん。

「懐かしい江戸へいらっしゃいの会」は約20年前に浄土真宗本願寺派「妙泉寺」(中央区築地4-14-18)の建て替えに際して、本堂で一夜を語り明かす会を開いたところ、参加者からの要望で定期的に開くようになり、参加者が増えたため文祥堂ホールに移して年間5回程度開催してきた。しかし、文祥堂ホールが2010年8月末をもって閉鎖されたため、第89回から銀座会議室三丁目に移して続けている。

今回は2019年最初の会合で、「三田徳明雅楽研究会」代表の三田徳明(みた・のりあき)さんが「雅楽と鑑どころ・聴きどころ」と題して、日本の歴史における芸能の中核である雅楽について解説し、演奏する。

鉄道トリビアなどによると、1872年9月12日(グレゴリオ暦では10月14日)に新橋駅(後に貨物専用の汐留貨物ターミナル駅、現在は駅が廃止され再開発)と横浜駅(現桜木町駅、距離は29キロメートル)間が開通した鉄道の開業式が行われた。

客車は8両編成で、開業式には宮内省の伶人(れいじん、現宮内庁式部職楽部)も同行し、新橋から発車の際に「慶雲楽(きょううんらく)」を演奏し、横浜発車の際には「蘭陵王(らんりょうおう)」を、新橋に戻った際には「還城楽(げんじょうらく)」が演奏された。また、近衛砲隊日比谷練兵場で101発の祝砲が、品川沖の軍艦から21発の祝砲が撃たれたとされている。

また、「君が代」は歌詞が10世紀初めに編さんされた「古今和歌集」の題しらず、読人しらずの短歌のひとつからとられ、曲はイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン(John William Fenton、1831-1890)が作曲した。

しかし、洋風の曲で、日本人に馴染みにくかったため、改訂され、1880年に宮内省式部職雅楽課の伶人、奥好義(おく・よしいさ、1857-1933)がつけた旋律を一等伶人の林広守(はやし・ひろもり、1831-1896)が曲にし、それを1879年に来日したドイツ人の音楽家で、海軍軍楽教師フランツ・エッケルト(Franz Eckert、1852-1916)が西洋風和声を付けた。現在では、林広守を「君が代」の作曲者としている。

1880年10月25日に試演し、11月3日の天長節に初めて公に披露され、以後、国歌として扱われるようになり、1999年に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国歌に制定された。三田徳明さんがこうした雅楽と歴史的な出来事を説明する。

ウイキペディアによると、雅楽とは世界最古のオーケストラといわれ、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽は重要無形文化財であり、ユネスコの無形文化遺産にも選ばれている。アジア大陸の諸国からもたらされた音楽や舞に、上代以前から伝わる音楽や舞が融合し日本化した芸術で、10世紀頃に大まかな形態が成立し、今日まで伝承されている。

現在では、日本古来の歌謡をもとに平安期に完成された、神道や皇室に深い関わりをもつ歌舞「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」、5世紀頃から9世紀頃までに大陸から伝わった楽舞をもとに日本で作られた「大陸系の楽舞」、日本古来の民詩や漢詩に節づけをし、大陸からの渡来楽器による伴奏をともなう平安期に作られた歌曲「謡物(うたいもの)」がある。

「大陸系の楽舞」は中国、天竺、林邑(りんゆう、チャンパ王国、現在のベトナム)系の唐楽(とうがく)と、朝鮮半島、渤海(ぼっかい)系の高麗楽(こまがく)がある。宮内庁式部職楽部による定義では、宮内庁式部職楽部が演奏する曲目の内、洋楽を除くものとされている。

ただし、平安時代に行われた楽制改革により、大陸から伝来したものは編曲や整理統合がなされ国風化しているため変化している。主に京都の貴族の間で行われていた宮廷音楽としての雅楽の形態については応仁の乱(1467年から1477年まで約10年間にわたった内乱)以降、江戸幕府が楽師の末裔(楽家)をあつめて再編するまで、100年以上ほぼ断絶していたので往時の形態をどこまで継承しているかは不明とされている。

江戸時代に入ると江戸幕府が南都楽所(奈良)、天王寺楽所(大阪)、京都方の楽所を中心に「禁裏様楽人衆」を創設し、宮中の雅楽を復興した。紅葉山にある徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)の廟所での祭儀のため三方楽所より8人の楽人が江戸に召喚され、1618年に寺社奉行の傘下に「紅葉山楽人」が設置された。宮中では朝儀全般の復興が行われる中で、古曲の復曲が盛んに行われた。

明治時代に入ると、明治政府によって三方楽所や紅葉山楽所の楽人が東京へ招集され「雅楽局」(後の宮内省雅楽部)が編成された。しかし、各楽所や楽家によって演奏方法や舞の振り付けが異なり、伝承されていた楽譜や曲目にも差があった。そこでこれらを統一する作業が行われた。このとき楽曲の取捨選択により明治選定譜と呼ばれる楽譜が作成された。

明治選定譜の作成後は選定曲以外の曲の演奏を行わないため、1000曲以上あった楽曲の大半が途絶えたとされている。その後、「宮内省雅楽部」は「宮内庁式部職楽部」となり100曲ほどを継承しているが、使用している楽譜が楽部創設以来の明治選定譜に基づいているにもかかわらず、昭和初期から現代にかけて大半の管弦曲の演奏速度が遅くなったらしく、曲によっては明治時代の3倍近くの長さになり、これに合わせて奏法も変化している。

楽器のみの演奏を管絃と言い、主として屋内で演奏され、舞を伴う演奏を舞楽と言い、主として屋外で演奏される。曲の調子には何種類かあったが、現在は、唐楽に6種類、高麗楽に3種類が残る。唐を経由して伝来したものを左方舞(左舞)と言い、伴奏音楽を唐楽と呼ぶ。 朝鮮半島(高麗)を経由して伝来したものを右方舞(右舞)と言い、伴奏音楽を高麗楽と呼ぶ。

三田徳明さんは東京都生まれ、学習院大学を卒業、同大学大学院を修了、9歳より雅楽を学び、中学生の時から安倍季昌(あべ・すえまさ)さんに師事し、代々京都御所に仕えてきた京都方楽家(きょうとがた・がっけ)の安倍家のひちりきと右舞を修め、1988年に「都民芸術フェスティバル」で舞楽「蘭陵王」を舞い、1993年に瑞穂雅楽会を率いてタイ大使館で雅楽を公演、1995年にアメリカ・ニューヨークのカーネギーホールで「蘭陵王」と「納曽利」を上演した。

現在、行なわれていない奈良時代の演奏形式を再現するコンサートを開いている。また、雅楽を「アジアの総合芸術」と捉え、「アジア里探(Return)プロジェクト」を推し進めている。東京芸術大学講師、韓国芸術総合大学招聘講師などを務めた。現在、「雅楽瑞鳳会」主席、学習院大学文学部非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師。於玉稲荷神社(葛飾区新小岩4-21-6)禰宜(ねぎ)。

時間は14時から17時で、料金は弁当込みで4000円。申し込み、問い合わせは「懐かしい江戸へいらっしゃいの会」まで。1月28日頃まで申し込む。

蔦屋書店で「高崎市物語」、山田かまち作品等関連文化紹介

【銀座新聞ニュース=2019年1月25日】群馬県高崎市(群馬県高崎市高松町35-1、027-321-1111)や高崎商工会議所(1群馬県高崎市問屋町2-7-8、027-361-5171)、高崎観光協会(群馬県高崎市八島町222、高崎モントレー、027-330-5333)で構成される「高崎ビジネス誘致キャンペーン実行委員会」(高崎市産業政策課内、027-321-1255)は1月25日から30日まで銀座蔦谷書店(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX6階)の「GINZA ATRIUM」で「タカサキ ギンザ物語」を開く。

1月25日から30日まで銀座蔦谷書店で開かれる「タカサキ ギンザ物語」のフライヤー。

「タカサキ ギンザ物語」はベルリン国際映画祭2018に参加した映画「家族のレシピ」をはじめ、2017年にオープンし、スポーツの国際大会が開かれ、2020年東京オリンピック・パラリンピックも開かれる「高崎アリーナ」、9月には音楽ホール「高崎芸術劇場」が開館することから、高崎市の「これからの物語」を集めている。

具体的には17歳で亡くなった群馬県高崎市生まれの山田(やまだ)かまち(①960-1977)を「今もなお生きつづける山田かまち」として詩や絵画などを展示する。また、3月9日から公開される映画「家族のレシピ」の紹介、高崎市の音楽・舞台芸術発信の場として1961年に開設された「群馬音楽センター」を発展させた、9月に開業する高崎芸術劇場(群馬県高崎市栄町9-1)の詳細も公開する。

ウイキペディアによると、高崎市は古くから交通の要衝で、中山道(国道17号、国道18号)と三国街道(群馬県道25号高崎渋川線)の分岐点、関越自動車道と北関東自動車道の分岐点、上越新幹線と北陸新幹線の分岐点となるなど、全国有数の交通拠点都市である。新幹線の停車する高崎駅は群馬県の県庁所在地・前橋市の玄関口ともなっており、群馬県の交通の中心地となっている。平成の大合併では、倉渕村、箕郷町、群馬町、新町、榛名町、さらには吉井町を編入し、広大な市域に県内一の約37万人の人口を擁している。

1598(慶長3年)に上野国高崎藩の初代藩主、井伊直政(いい・なおまさ、1561-1602)により城が建設され、このころ「高崎」という名称を決め、「高崎城」とした。1604(慶長9)年に酒井家次(さかい・いえつぐ、1564-1618)が高崎藩主となり、1619(元和5)年に安藤重信(あんどう・しげのぶ、1557-1621)が高崎藩主となり、1710(宝永7)年に間部詮房(まなべ・あきふさ、1666-1720)が高崎藩主となる。

17歳で感電死した山田かまちの作品「プリーズ・ミスター・ポストマン」。

1717(享保2)年に松平輝貞(まつだいら・てるさだ、1665-1747)が高崎藩主となり、以後、明治維新に到るまで松平家が代々高崎藩主を務めた。

江戸時代には高崎藩の城下町として、中山道69次中4番目に規模が大きい宿場町であり、物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。街道筋の田町、本町、新町(現あら町)などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われた。

鍛冶町には鍛冶職人、鞘町には刀の鞘師、白銀町には金銀細工師らが住み、当時の職人の町は今も町名として留めている。1871(明治4)年に廃藩置県で群馬県の県庁所在地となり、1872(明治5)年に県庁の建物が高崎城内にあり、軍事上の要地であったことから、1873年1月に政府の兵部省に接収されてしまい、群馬県庁を高崎から前橋に移転し、1873(明治6)年に入間県(現埼玉県)の県令の河瀬秀治(かわせ・ひでじ、①840-1928)が群馬県令(現群馬県知事)を兼任したため、入間県と群馬県を合併し、熊谷県に置き換わり、県庁は熊谷に置かれた。

1876(明治9)年に再び群馬県に置き換わり、県庁も高崎に再設置される。1881(明治14)年に県庁が前橋に移転し、1884(明治17)年に高崎線高崎駅が開業されている。1889(明治25)年に西群馬郡高崎町が成立し、1897(明治30)年に上信電鉄上信線が開業されている。

1900(明治33)年に市制施行で高崎市となり、1945(昭和20)年に群馬交響楽団を発足し、1958年に開府360周年を迎え、1982年11月に上越新幹線高崎駅が開業され、2006年から2009年にかけて3回の町村合併が行われ、県庁所在地の前橋市を抜いて、群馬県最大の人口を抱える都市となり、2010年に市制110周年を迎え、2011年に群馬県では2番目となる中核市に移行した。

日本一のだるまの産地であり、国道18号沿いにはだるまの生産工場が集中している。また、数少ないオーケストラのある地方都市であり、高崎マーチングフェスティバルが開かれるなど、音楽に関する活動が盛んであることから、高崎市は「音楽のある街」と名乗っている。

また、高崎フィルム・コミッションにより、ドラマ・映画・プロモーションビデオなどの撮影を誘致しており、しばしば高崎の市街地や学校などが登場する。毎年、高崎映画祭を開催するなど、音楽以外の芸術・文化活動も盛んである。さらに、昭和40年代の上越新幹線ルート発表を契機に市が主導となっておこなった再開発事業などは30にもおよんだ。

「家族のレシピ」は2016年のシンガポールと日本の外交関係樹立50周年を記念し、日本とシンガポールのソウルフード、ラーメンと肉骨茶(バクテー)がつなぐ、国境を越えた家族愛を描いている。斎藤工(さいとう・たくみ)さんが主演し、松田聖子(まつだ・せいこ)さんが共演している。

会期中、毎日12時と17時から「高崎物語・夏」のプロモーションビデオを上映する。

27日13時からラジオ高崎の特別番組として高崎市長の富岡賢治(とみおか・けんじ)さんが出演する。

毎日15時からラジオ高崎による公開収録(公開生放送)「ラジタカシックス」を開く。
25日は女優の手島実優(てしま・みゆう)さん、26日は映画監督の枝優花(えだ・ゆうか)さん、27日は音楽家の松井常松(まつい・つねまつ)さん、28日は歌手の加藤登紀子(かとう・ときこ)さん、29日は二ツ目の落語家、林家つる子(はやしや・つるこ)さん、30日はソフトボール日本女子代表の上野由岐子(うえの・ゆきこ)さんが出演する。

毎日14時からリサイタルやトークショーを開く。
25日はソプラノ歌手の本島阿佐子(もとじま・あさこ)さんがリサイタル、26日は女優で音楽家のシシド・カフカさんがトークショー、27日はソプラノ歌手の永井美加(ながい・みか)さんがリサイタル、28日は群馬交響楽団カルテットによるアンサンブルコンサート、29日は落語家の林家つる子さんの落語会、30日はタレントで高崎観光特使のジョイ(JOY)さんがトークショーを開く。

25日から28日まで13時(27日は12時30分)、17時30分から日本一の生産量の高崎だるまの職人が目の前で「ダルマの絵付け」を実演する。

開場時間は11時から20時。入場は無料。

予想外のラストに、シルバをもう一度見たくなる「マイル22」(255)

【ケイシーの映画冗報=2019年1月24日】アメリカ国内で活動しているロシア諜報機関のアジトを急襲したCIA(アメリカ中央情報局)極秘チームのリーダー、ジェームズ・シルバ(演じるのはマーク・ウォールバーグ=Mark Wahlberg)は、思わぬトラブルから味方に犠牲者の出る大銃撃戦のなかでも、冷静に対処できる優秀なエージェントでした。生き残った最後のひとりが不吉な言葉を残します。「後悔するぞ」「慣れてるさ」と引き金を引くシルバ。

現在、一般公開中の「マイル22」((C)MMXVIII STX Productions, LLC. All Rights Reserved.)。

16カ月後、シルバの率いるチームは東南アジアの小国インドカーで、危険な放射性物質セシウムの行方を追っていました。そんなとき、現地の警察官がアメリカへの亡命を求めてきました。その男ノア(演じるのはイコ・ウワイス=Iko Uwais)は、自身の安全と引き換えに、セシウムの情報を引き渡すと取り引きをもちかけます。

半信半疑であったシルバたちですが、厳重な警戒を破った刺客に襲われたノアの姿を見て、現状を悟るのでした。

アメリカ大使館から空港まで22マイル(およそ35キロ)、敵だらけの市街をノアを護って戦うシルバたちは、犠牲を強いられながらも任務を果たそうと全力で戦います。その状況を、ロシアの航空機が密かに監視していました。その監視対象とは。

本作「マイル22」(Mile 22、2018年)の主演(製作)マーク・ウォールバーグと監督(共同脚本・製作)のピーター・バーグ(Peter Berg)は、この5年間でじつに4作品も主演と監督というコンビで映画をつくっています。

制作費は3500万ドル(約35億円)で、興行収入が世界で3147万ドル(約31億4700万円)。

これまでの3本が、実際に起きた事件や事象をもとにした作品であるのに対し、本作は完全なオリジナルの映画となっています。

日本の紹介文で、「W(ダブル)バーグ」と表現されるほどのコンビであるウォールバーグとバーグ監督ですが、この作品も“共同作業”だったそうです。

「これまで実話に基づいた映画を3本作ってきたけど、そろそろなにか違うものを作りたかった。」(「映画秘宝」2019年2月号)

それは盟友であるウォールバーグも同様だったようで、「同じく僕(バーグ監督)らはフィクションで激しいアクションの映画を作りたいと思っていた。」(前掲誌)

そのきっかけが、かつて本稿でもとりあげた全編の90%が格闘・戦闘シーンというインドネシア映画「ザ・レイド」(The Raid、2010年)を知ったことだったそうです。ここで白羽の矢が立ったのが、警官ノア役のイコ・ウワイスでした。

「ザ・レイド」の主演であり、インドネシアの伝統的格闘技であるシラットの達人であるウワイスは出演だけでなく、母国から仲間を呼び寄せて本作の武術指導も兼ねており、(自身の出演シーンもふくめて)、積極的に関わったそうです。

「ピーター(バーク監督)は、僕を信頼し、格闘シーンを自由にやらせてくれたんだ。(中略)僕はつい攻撃的で凶暴なシーンにしがちだけど、ピーターの要求はそれ以上だった(笑)。」(パンフレットより)

本作ではシルバの部下サム(演じるのはロンダ・ラウジー=Ronda Rousey)にも女子柔道のオリンピック銅メダリスト(北京にて)が配役されており、こちらも本物の格闘家でアスリートです。

当然ながら、映画撮影の現場スタッフとして、ハリウッドのスタントチームも加わるので、プロフェッショナル同士の軋轢が想像できてしまいます。

自分もこうした“現場の異常な状況”を見聞しております。「スタジオのスタッフ間で意思の疎通ができておらず、ピリピリした空気に、慣れないキャストが萎縮してしまっている・・・」といった情景でしょうか。

バーグ監督もその点は気になっていたようです。
「みんな最初は互いに探り合っていたよ。(中略)でもイコはとても努力家だったから、スタントの連中も彼についていったんだ。素晴しい光景だったよ。」(パンフレットより)

私見ですが、映画監督というのは、癇癪(かんしゃく)をおこしたり、相手をさんざんに罵ったりする暴君(たとえば、本作の主役であるシルバのような)ではいけないと考えています。劇中のシルバは天衣無縫といいますか、頭も切れるが性格もキレ気味という、フィクションでは魅力的ですが、正直にいって、自分とその周囲には居てほしくない人物です。あくまでスクリーン上で活きる存在です。

そして、本作のラストは、正直、まったく想像していない展開となっていきます。派手なアクション・シーンに目を奪われてしまいがちですが、ストーリーにも工夫があり、すなおに「一本、とられたな」という感想を持ちました。シルバの大暴れ、もう一度見てみたいと思います。次回は「ナチス第三の男」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。