資生堂パーラーでカレーフェア、神戸牛カレーや紀州鳥スープカレー等

【銀座新聞ニュース=2019年7月31日】国内最大の化粧品メーカーの資生堂(中央区銀座7-5-5、03-3572-5111)が運営する「資生堂パーラー銀座本店」(中央区銀座8-8-3、東京銀座資生堂ビル、03-5537-6241、0120-471-004)は8月31日まで「2019夏のGINZAカレーフェア」を開いている。

資生堂パーラー銀座本店で8月31日まで開かれている「2019夏のギンザ(GINZA)カレーフェア」で提供されている1日20食限定の「神戸ビーフのプレミアムカレーライス」(5000円)。

今回は神戸牛を使ったカレーライスで、「神戸ビーフのプレミアムカレーライス」(5000円、1日限定20食) は神戸牛の中でも調理長が選んだ部位を、資生堂パーラーオリジナルのシチューソースで塊のまま煮込み、 柔らかく作りあげたメニューだ。このほか、4種類のカレーライスを提供している。

ウイキペディアによると、神戸牛は兵庫県で生産された「但馬牛」(黒毛和種)からとれる枝肉が一定の基準を満たした場合に、「但馬牛」の呼称の代わりに用いることができる牛肉のブランド名で、日本3大和牛の1つとされる。神戸牛の証しとして、兵庫県の花であるノジギクを形どった刻印が押されている。

歴史的には、神戸港が1868年に開港され、多くの外国人が入るようになり、農家の作業などに飼育されていた但馬牛を食べた英国人が、その味を絶賛したことが始まりとされている。これがのちに「神戸ビーフ」と呼ばれ、外国へ輸出されたり、全国に流通するようになった。神戸開港と同時に伊藤博文(いとう・ひろぶみ、1841-1909)が兵庫県知事に就任するが、英国留学の経験がある伊藤博文は好んで神戸ビーフを食べた。

同じく提供されている「和歌山県産“紀州うめどり”のブレゼと夏野菜のスープカレー」(2900円)。

現在の神戸ビーフ(神戸肉)は、役畜として飼われてきた小柄な但馬牛が食肉用に改良を重ねられ、肉の断面に霜降り(サシ)と言われるマーブル状に脂肪が入った肉質のものが出来るようになったことにより生まれた。

1980年代には「神戸ビーフ」などの名称が知られるようになったが、明確な基準がなかったため肉質にはバラつきがあり、兵庫県が協賛して1983年に生産、流通、消費の関係団体が集まって「神戸肉流通推進協議会」(事務局:全農兵庫県本部畜産部)を創設し、同協議会により「神戸ビーフ」というブランドが誕生し、定義が明確化された。このとき、牛脂肪交雑基準(BMS)値はNo.7以上とされた。

2001年にBSE問題や産地偽装事件が問題になると、2003年の牛肉トレーサビリティ法施行を前にして、2002年9月にBMS値をNo.6以上に「神戸ビーフ」の基準を下げた。2006年4月1日の規約改定により、450キロ以下だった枝肉重量基準は470キロ以下となり、下限がメスは230キロ、オスは260キロとなった。

2009年に当時のアメリカ大統領のオバマ(Barack Hussein Obama2、1961年生まれ)さんが、訪日を前に「神戸ビーフとマグロが食べたい」との要望を外交筋を通じて行っていた。

兵庫県産(但馬牛)のうち、歩留等級が「A」または「B」等級ならば「但馬牛」など「但馬ビーフ」と呼称される牛肉となり、このうち、以下のすべての基準を満たした牛肉は、神戸ビーフや神戸肉、神戸牛の呼称を用いることもできる。

メスでは未経産牛、オスでは去勢牛で、脂肪交雑のBMS値No.6以上、枝肉重量がメスでは230キロから470キロ、オスでは260キロから470キロ、瑕疵(かし)の表示がある枝肉は、神戸肉流通推進協議会の委嘱会員の判定に依存する。こうした「神戸ビーフ」の基準を満たしている牛肉は、神戸ビーフと但馬牛のいずれかの銘柄名を任意に選んで出荷することができる。

ほかに、「和歌山県産“紀州うめどり”のブレゼと夏野菜のスープカレー」(2900円)は鶏肉本来のうま味、 適度な弾力と柔らかさが特徴の紀州うめどりをカレー風味のブイヨンで煮込んでいる。鶏肉はくずれる食べやすさで、香り高いスパイスを感じるカレースープという。

「オマールエビとホタテ貝のカレー サフランライスを添えて」(4900円)は軽くソテーすることで香りと甘みを引き立たせたオマールエビとホタテ貝に、 甲殻類のうまみとココナッツの香るカレーソースを合わせ、魚介と相性のいいサフランライスを使用している。

「黒毛和牛三枚肉プレミアムカレーライス」(5000円)はきめ細かいさしの入った霜降りの黒毛和牛の3枚肉のなかでも特別柔らかい部位を選び、 エスパニョールソースでじっくり煮込んだ。柔らかい牛肉と、たまねぎを加え、甘みを感じるカレーソースと組み合わせている。

「低糖質版 アグー豚と夏野菜のキーマカレー」(3200円、糖質量38グラム)は昭和の時代から文化人に人気だったスパイシーな秘伝のカレーソースと低糖質カレーソースをブレンドし、 まろやかでコクのあるキーマカレーに仕上げた。粗く2度挽きしたアグー豚のロース肉、糖質量を抑えるためにカリフラワーの茎を混ぜたご飯と、カレーソースとの相性もいいという。

カレーライスはインド料理を元に英国で生み出され、それに日本でアレンジが加えられたとされている。インドのカレーより、とろみが強く、英国海軍のメニューに採用されたとき、船の揺れに対応するためという説や、ソースを重視するフランス料理の手法を取り入れたとの説がある。

日本に初めてカレーライスの調理法を紹介したのは、1872年に出版された「西洋料理指南」で、食材として「ネギ、ショウガ、ニンニク、バター、エビ、タイ、カキ、鶏、アカガエル、小麦粉、カレー粉」を挙げている。同書にはインドのチャツネも掲載されているが、カレーとは結び付けられていないという。

また、同年に出された「西洋料理通」では「牛肉、鶏肉、ネギ、リンゴ、小麦粉、ユズ、カレー粉」を挙げている。しかし、カエル肉を使ったレシピは普及せず、ネギ(長ネギ)も大正時代にほぼタマネギに替わられた。大正時代後期(1923年の関東大震災後)には、そば屋がカレー南蛮やカレー丼のような和洋折衷料理を出すようになり、国産の安価なカレー粉が登場したことで、このころに現在の日本のカレーライスの原型が完成したと考えられている。

1873年に陸軍(幼年生徒隊)食堂の昼食メニューにライスカレーが加えられ、1876年に札幌農学校(現北海道大学)の教頭だったウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826-1886)が「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定めた。

1877年に東京の洋食食堂「風月堂」が初めて日本でライスカレーをメニューに載せた。1908年に帝国海軍が配布した「海軍割烹術参考書」に「カレイライス」のレシピが載せられた。その後、新宿中村屋や資生堂パーラーや阪急百貨店などでカレーライスが発売されたが、1941年から1945年まで食料統制のため、軍用以外のカレー粉製造販売が禁止され、陸軍ではライスカレーのことを「辛味入汁掛飯」と言い換えた。1946年にカレー粉の製造販売が再開され、カレーメーカーは宣伝カーを使用して主婦へカレーのレシピを教えるなど、一般家庭への普及に努めた。

現在、日本の家庭ではカレー粉、小麦粉、油脂、うま味成分などを固形化した「インスタント・カレールウ」を使って調理することが多い。1926年にハウス食品(当時は浦上商店)が「ホームカレー粉」の商品名で初めて発売し、固形製品は1954年にエスビー食品が初めて発売した。また、カレーの具としてジャガイモ、ニンジン、タマネギが不可欠となっている。

農林水産省総合食料局食品産業振興課によると、2008年度のカレー粉の生産量(同年度で調査終了)が8406トン(前年度比10.1%減)、金額が71億円(同2.0%減)、カレールゥの生産量が10万5164トン(同1.6%増)、金額が860億円(同4.0%増)となっている。とくにカレールゥの生産金額は2000年度の856億円から2006年度まで減少を続けていたが、2007年度に増加に転じている。日本経済新聞によるとカレールゥのシェアはハウス食品が約61%、エスビー食品が約28%、江崎グリコが約10%と推計され、ほぼ3社による寡占市場となっている。

また、日本海軍では土曜日の昼食はカレーライスと決められていたが、これは海上自衛隊にも引き継がれている(週休2日制からは金曜日に変更)。長期航海中に曜日の感覚を取り戻すためだとも、休日前に食料庫の整理をするためともいわれている。また、陸上自衛隊では各部隊ごとに独自のレシピによるカレーがあり、催事などで一般の見学者に振舞われている。

資生堂パーラーのカレーソースは3日かけて作られている。ラードで玉ねぎ、にんにく、しょうがをゆっくり揚げ、香りが移ったら、小麦粉とカレー粉を合わせて炒め、オーブンへ入れて1時間焼き、焼き色がついて深みのあるとび色になると、鶏ガラ、香味野菜、ブイヨンを加えて煮込み、ていねいにこして、まろやかでコクがあるカレーソースが出来上がるという。ごはんは銀製のアントレディッシュに、カレーソースはソースポットで提供される。

営業時間は11時30分から21時30分。ほかにサービス料が10%かかる。月曜日が休み(祝日は営業)。銀座本店(レストラン)は9月1日から10月31日まで改装のため休業する予定。

丸善丸の内で陶炎会展、鈴木吉彦、大浜孝一、村山圭子ら

【銀座新聞ニュース=2019年7月31日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は7月31日から8月6日まで4階ギャラリーで「第47回陶炎展」を開く。

丸善・丸の内本店で7月31日から8月6日まで開かれる「第47回陶炎展」に出品される徳梅信子さん「遥かな宇宙(そら)」。

結成以来40年以上になる作陶グループで、2013年から会長を務めている鈴木吉彦(すずき・よしひこ)さんが率いる「陶炎会」が47回目のグループ展を開き、20人の会員が花器、食器などカラフルな作品を展示販売する。

鈴木吉彦さんのほかに出品するのは、荒田真代(あらた・まさよ)さん、市川治男(いちかわ・はるお)さん、伊藤しげ子(いとう・しげこ)さん、宇佐美陽子(うさみ・ようこ)さん、大浜孝一(おおはま・こういち)さん、川副咲(かわぞえ・さき)さん、小崎宇多子(こざき・うたこ)さん、小平征男(こだいら・ゆきお)さん、駒ヶ嶺独楽(こまがみね・こま)さん、佐田和子(さた・かずこ)さん。

関口踏絵(せきぐち・ふみえ)さん、徳梅信子(とくうめ・のぶこ)さん、「トウゲイ(Tougei)21」を主宰する林孝行(はやし・たかゆき)さん、広瀬純(ひろせ・じゅん)さん、保坂悦子(ほさか・えつこ)さん、水野智生(みずの・ともお)さん、村山圭子(むらやま・けいこ)さん、森田修一(もりた・しゅういち)さん、和田美希(わだ・みき)さん。

鈴木吉彦さんは1947年千葉県佐原市(現香取市)生まれ、1969年に千葉大学教育学部を卒業、1970年に須藤武雄(すどう・たけお、1931-1998)に15年師事し、1974年に陶炎会展に出品(以後、毎年出品)、1977年に千葉県八千代市に工房を構え、1996年に千葉県展に入選(以後10年連続出品)した。

2001年に千葉県美術会員に推挙され、2006年に退職を機に石川県能登町に工房を移し、2012年に珠洲市陶芸センターに入所(基礎研修課程)、2014年に珠洲市陶芸センター自立支援工房に入所、2014年に第55回石川の伝統工芸に入選、2015年に第71回現代美術展に入選している。

陶炎会は1968年に村木朝司(むらき・ちょうじ)さんを発起人代表として「教育陶芸研究会」を発足し、6月に発会式を開き、村木朝司さんが初代会長に就任し、6月に国立教育会館で設立総会を開いた。

1970年2月に「教陶研作品展」を開き、1972年6月にグループ名を「陶炎会」とし、「陶炎展」第3回展を開き、1973年3月に「陶炎会選抜展」として松坂屋銀座店で開き、現在の陶炎展がスタートした。

2005年に駒ヶ嶺修三さんが会長に就任し、2012年に松坂屋銀座店の閉店に伴い、同会場での「陶炎展」は第40回展をもって終了した。2013年に鈴木吉彦さんが3代目会長に就任し、丸善・丸の内本店を会場にして第41回展を開いた。

1日17時から授賞式とオープニングセレモニーを開く。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。

編集注:「荒田真代」の「真」、「広瀬純」の「広」は正しくはいずれも旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。

編集注:「小崎宇多子」の「崎」は正しくは「大」が「立」です。

丸善日本橋で池田あきこ「ダヤン版画」展、サイン会も

【銀座新聞ニュース=2019年7月30日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は7月31日から8月6日まで3階ギャラリーで池田あきこさんによる「ダヤンアートフェア&版画展」を開く。

丸善・日本橋店で7月31日から8月6日まで開かれる池田あきこさんの「ダヤンアートフェア&版画展」に出品される「ロンドンベビー(BABY)2」。

7月31日から9月3日まで3階ギャラリーなどで開かれる「丸猫展 2019サマー(SUMMER)」のひとつで、架空の世界「わちふぃーるど」に住む猫の「ダヤン」を中心とした物語で知られる「株式会社わちふぃーるど」(埼玉県富士見市鶴瀬西3-1-5、049-268-1250)の代表取締役、池田あきこ(池田晶子=いけだ・あきこ)さんが新作版画「理想の図書館」や「ケーキの上から飛び出そう!」などの作品を展示販売する。

池田あきこさんは1950年東京都武蔵野市吉祥寺生まれ、1970年に青山学院短期大学国文科を卒業、在学中はバトントワリング同好会の所属、卒業後は読売広告社に入社、1973年から母が始めた皮細工工房を手伝い、自ら革人形などを制作し、1974年に子どもの頃作った、オリジナルキャラクターの「わちふぃーるど」を自分のペンネームとして使い、1976年から皮工房「わちふぃーるど」とし、本格的に革小物の生産をはじめた。

1983年に東京・自由が丘に直営店「わちふぃーるど」を開店、店のマークとして猫のダヤンが誕生、パステルと色鉛筆を使い、絵を描きはじめ、1986年に「株式会社わちふぃーるど」を設立、代表取締役社長に就任、1987年から不思議な国わちふぃーるどの物語を、ダヤン中心に創りはじめ、ショートストーリー中心の「12の月の物語」を刊行した。

1988年に初の絵本「ダヤンのおいしいゆめ」(ほるぷ出版)を刊行、1992年に日本テレビ系連続アニメ「ヨーヨーの猫つまみ」の原作を手がけ、1993年に小学3年生国語教科書(東京書籍)「手ぶくろを買いに」のさし絵を手がけ、コレクションブックシリーズ第1作「ダヤンのたんじょうび」を刊行した。

1996年に画集「サウス風物詩」を刊行、モロッコやイタリアを旅し、帰国後、スケッチ紀行「モロッコへ行こう」を刊行、1999年に不思議の国わちふぃーるどを解明する長編ファンタジー第1巻「ダヤン、わちふぃーるどへ」を刊行し、2007年に長編ファンタジー第7巻「ダヤン、タシルへ帰る」で完成した。2010年に長編ファンタジー新シリーズ第1巻「ダヤン、クラヤミの国へ」を刊行、2012年に第2巻「ダヤンと恐竜のたまご」を刊行している。ほかに、2012年から2016年までムック本5冊を刊行している。

4日13時から池田あきこさんによるサイン会を開く。31日から対象版画や書籍を税込3000円以上を購入すると、先着100人までサイン会に参加できる整理券を配布する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)、入場は無料。

立川銀座で岩松由美ら能楽講座、辻井と国東薫が写真

【銀座新聞ニュース=2019年7月30日】ブラインド業界の最大手メーカー、立川ブラインド工業(港区三田3-1-12、03-5484-6100)の銀座ショールーム(中央区銀座8-8-15、03-3571-1373)地下1階「タチカワ銀座スペース Atte」は8月1日から7日まで「第35回能楽金春祭り 能楽講座」を開く。

立川ブラインドの銀座ショールームで8月1日から7日まで開かれる「第35回能楽金春祭り 能楽講座」の写真展に展示される辻井清一郎さんの作品「船弁慶」(シテは柏崎真由子さん)の一場面。

8月7日に銀座金春通りで開かれる「第35回能楽金春祭り」の関連イベントで、1985年に第1回能楽金春祭りが開かれて以来、2019年で35回目を迎え、2010年から能楽に関連した写真展、能楽講座を立川ブラインドの「オッテ(Atte)」で開いている。

能楽金春流シテ方(主人公)で、重要無形文化財保持者だった仙田理芳(せんだ・りほう、本名・辻井=つじい=みどり、1939-2010)の夫で、能楽写真家の辻井清一郎(つじい・せいいちろう)さんと、同じく国東薫(くにさき・かおる)さんによる金春流能楽の舞台写真を展示する。

辻井清一郎さんは会社員時代を含めて45年以上にわたって金春流の能楽写真を撮影しており、会社員生活の第一線を退いた20年ほど前から本格的に能楽写真の撮影に取り組んでいる。

8月1日から7日まで開かれる「第35回能楽金春祭り 能楽講座」の子ども向け能体験の会場風景。画像は2018年開催時。

国東薫さんは2004年に「ぢ32階日本広告写真家協会公募展」で入選、2011年にAPAアワード2011写真作品部門で入選、2012年に個展を開き、2014年に「阿波和紙フォトコンテスト心情・いんべの里スポンサー賞を受賞している。近年は大蔵流の狂言やシテ方金春流の舞台を中心に能楽写真を撮影している。

4日、6日、7日は金春流能楽師らが展示作品を解説するなどギャラリートークを開く。

1日12時から金春流能楽師の岩松由美(いわまつ・ゆみ)さんが小学生・中学生を対象にした能体験会を開く。14時から金春流能楽師で、重要無形文化財総合指定保持者(人間国宝)で、「金春円満井会(こんぱるえんまんいかい)」理事長の本田光洋(ほんだ・みつひろ)さんが「能面について・神と鬼」と題して講演する。

2日12時から金春流能楽師の中村昌弘(なかむら・まさひろ)さんが小学生・中学生を対象に能体験会を開く。14時からシテ方金春流80世宗家(前宗家)で、重要無形文化財「能楽」保持者の金春安明(こんぱる・やすあき)さんが「江戸時代を金春流は?」と出しして、講演する。

3日12時から金春流能楽師の本田芳樹(ほんだ・よしき)さんが小学生・中学生を対象に能体験会を開く。14時から杏林大学客員教授、東京大学非常勤講師のピーター・マクミラン(Peter MacMillan)さんが「私がなぜ新作能を作るか」と題して講演する。

4日12時から金春流能楽師の安達裕香(あだち・ゆうか)さんによるギャラリートークを開く。14時から金春流能楽師の森瑞枝(もり・みずえ)さんが「『式楽』とは何か」と題して講演する。

6日12時から金春流能楽師で「金春円満井会」常務理事の山井綱雄(やまい・つなお)さんによるギャラリートークを開く。の安達裕香(あだち・ゆうか)さんによるギャラリートークを開く。14時から金春円満井会理事で、重要無形文化財総合指定保持者の金春穂高(こんぱる・ほだか)さんによる「謡・仕舞」の体験会を開く。

7日12時から金春流能楽師の柏崎真由子(かしわざき・まゆこ)さんによるギャラリートークを開く。

岩松由美さんは1982年生まれ、国学院大学を卒業、2005年に富山礼子(とみやま・のりこ)さんに入門、金春流能楽師となった。

本田光洋さんは1942年東京都生まれ、1947年に「三井寺」で子方にて初舞台、1948年に「初雪」で初シテ、1958年に入門免状、1965年に早稲田大学第一政治経済学部経済学科を卒業、1976年に文化庁芸術祭優秀賞、1982年に本職分免状、1987年から1991年まで能楽協会理事、1987年に重要無形文化財総合指定に認定されている。

中村昌弘さんは1978年東京都生まれ、79世金春信高さん、高橋万紗(たかはし・まさ)さん、高橋忍さんに師事し、中央大学法学部法律学科を卒業、1981年に高橋万紗さんに入門、1985年に能「桜川」で子方、1998年に能「田村」で初シテ、年2回に国立能楽堂でシテを舞い、現在、狛江市をを中心に能楽普及の活動のため「社会教育団体 狛江能楽普及会」を発足し活動し、金春円満井会理事。

ピーター・マクミランさんは1959年アイルランド生まれ、アイルランド国立大学を卒業、1980年に同大学助手、1981年から1985年に南カロライナ州立大学助手、1986年から1987年にメリーランド大学講師、1988年から杏林大学外国語学部助教授、1995年から同大学外国語学部教授、並行して早稲田大学、都立大学、明星大学で非常勤講師、百人一首の英訳で知られ、「西斎」名義で「新富嶽三十六景」を執筆している。

1996年から1998年の2年間、日本の文部省より研究資金援助を受け、2008年度に「英詩訳・百人一首―香り立つやまとごころ」で日本翻訳文化特別賞、日米友好基金日本文学翻訳賞などを受賞している。

安達裕香さんは1989年生まれ、早稲田大学を卒業、本田光洋さんに師事し、2014年に「小鍛冶」(円満井会定例能)で初シテとしてデビューした。

森瑞枝さんは1961年生まれ、国学院大学大学院文学研究科(神道学専攻)博士課程後期単位取得を修了、1981年から1988年まで国学院大学金春流能楽研究会に所属、2005年に能楽協会に入会、2007年に「東北」(円満井会定例能)で初シテ、円満井会定例能などで地謡を務め、現在、金春円満井会理事。

山井綱雄さんは1973年神奈川県横浜市生まれ、シテ方金春流能楽師の梅村平史朗(うめむら・へいしろう、1906-1979)の孫にあたり、5歳で初舞台、12歳で初シテ、以来、さまざまな能楽に出演し、1998年に金春流若手能楽師の会「座・スクエア(SQUARE)」を結成、2002年にアメリカ・ロサンゼルスで公演した。

2008年にイギリスの演劇祭「エジンバラ・フェスティバル・フリンジ」に現代演劇役者として出演、その後、現代演劇に出演したり、ほかの分野の音楽家と共演するなど、能の普及と可能性の探求に務めている。現在、「金春円満井会」理事、社団法人「能楽協会」会員。

金春穂高さんは1965年奈良県生まれ、金春栄治郎(こんぱる・えいじろう、1895-1982)の孫で、金春晃実(こんぱる・てるちか、1931-2002)の長男。神戸大学教育学部を卒業、1969年に子方で初舞台、1978年に初シテなどを経験する。重要無形文化財「能楽」保持者。

柏崎真由子さんは1980年北海道函館市生まれ、東京造形大学美術学科絵画専攻領域を卒業、能楽師となった。

能楽講座は定員が30人で、当日、30分前から受け付ける。受講は無料だが、子ども体験会に参加を希望する人は白足袋または白靴下を持参する。

開場時間は11時30分から17時(最終日は16時30分)で、月曜日が休み。入場、参加は無料。

シーズファクトリーが70年代以前の古時計フェア、川瀬友和らトーク

【銀座新聞ニュース=2019年7月30日】時計関連の雑誌などを出版しているシーズ・ファクトリー(港区赤坂4-6-3 シャトー佐和ビル、03-5562-0841)は8月3日と4日の2日間、紙パルプ会館(中央区銀座3-9-11)2階の「銀座フェニックスプラザ」で、「LowBEAT アンティーク時計フェア in 銀座」を開く。

シーズ・ファクトリーが8月3日と4日の2日間、紙パルプ会館の「銀座フェニックスプラザ」で開く「ロービート(LowBEAT)アンティーク時計フェアイン(in)銀座」に出品される1970年代以前のアンティーク時計。

シーズ・ファクトリーが2012年4月に創刊し、毎年2月と10月に発行しているアンティークウオッチ(古時計)専門誌「ロービート(LowBEAT)」編集部が2018年から主催している、ロレックスやオメガなどの海外ブランドやセイコーなどの国産ブランドまで、1970年代以前に製造されたアンティークウオッチを中心に販売するイベントだ。

今回、出品するのは「アイテム(ITEM)」(渋谷区神南1-15-11、03-3476-5506)、「アンティークMJQ」(中央区銀座3-9-11、南海東京ビル、03-6264-7189)、無店舗「M.P.C」(090-8892-6966)、「英国屋」(栃木県宇都宮市上戸祭1-1-7、028-622-8598)。

「オールタイム(All Time)」(株式会社ガイズエンタープライズ、神奈川県横浜市鶴見区豊岡町22-9、K3ハウス、045-717-9070)、「キュリオスキュリオ(Curious Curio)」(神奈川県川崎市高津区久地2-6-60、044-833-7908)、「京都屋」(滋賀県大津市浜大津2-5-18、077-522-3759)、「クールオークション」(株式会社クールサポート、荒川区西尾久8-38-1、03-6458-2660)。

「アンティーク時計フェア」の2018年の会場風景。

「ケアーズ(CARESE)」(江東区森下1-14-9、03-3635-7667)、「スイートロード」(神奈川県川崎市幸区南幸町2-21、シノックスプラザ、044-544-8177)、「セレクト(SELECT)」(台東区上野6-5-1、岩坂ビル、03-5846-8834)、「ダイワ時計店」(神奈川県厚木市中町3-11-17、大和ビル、046-221-0895)。

「ディスカバリーウォッチ(DISCOVERY WATCH)博多」(福岡県福岡市博多区中洲5-1-1、三春堂ビル、092-291-2202)、「ノース・ビレッヂ」(有限会社札幌開発サービス、北海道札幌市白石区平和通7丁目北14-34、沼田ビル、011-887-0871)、「NOSTIME ヴィンテージウオッチストラップ」(5W株式会社、中央区日本橋本石町2-1-1、アスパ日本橋、営業所・中央区銀座1-15-4、銀座一丁目ビル、03-6214-2426)。

「BQ」(広島県広島市西区観音町3-17)、「フィリップス(Phillips)」(港区六本木6-6-9、ピラミデビル、03-6273-4818)、「プライベートアイズ(PRIVATE EYE’S)」(北区滝野川6-28-7、03-3940-0707)、「マサズ パスタイム(Masa’s Pastime)」(武蔵野市吉祥寺本町2-35-11、元町スギビル、0422-38-8744)。

「まるか」(大阪府大阪市中央区船場中央3-2-8、船場センタービル8号館、06-6251-4582)、無店舗「モキタス(MOKI+)」(090-2729-8867)、「ムーンフェイズ」(本店・岐阜県岐阜市金宝町1-3、058-266-7759、銀座店・中央区銀座1-6-6、GINZA ARROWS、03-5250-7272)、「リベルタス」(大阪府大阪市西区南堀江1-16-1、MEBLO16、06-6643-9455)など。

ウイキペディアによると、「ロレックス(Rolex)」はスイスの腕時計メーカーだが、1905年にドイツ人のハンス・ウィルスドルフ(Hans Wilsdorf、1881-1960)がロンドンで「ウィルスドルフ&デイビス」として創業したが、当時は時計関税が高額だったため、以後漸次スイスに拠点を移し、その過程でメーカー化した。

1907年にスイスのラ・ショー゠ド゠フォン、レオポルド通りロバート9番地に事務所を開設した。1915年11月15日にウィルスドルフがドイツ語の名称であり、1914年に始まった第1次世界大戦の影響から英国向けの輸出に支障があるため、「ロレックス・ウォッチカンパニー」に社名変更した。その後、何度かの社名変更を経て、1968年に「ロレックス・ルロクル」になった。2013年からF1の公式計時を採用されている。

「オメガ」は1848年にルイ・ブラン(Louis Brandt、1825-1879)がラ・ショー=ド=フォンにて懐中時計の組み立て工房を設立、1877年に息子のルイ=ポール・ブラン(Louis-Paul Brandt、?-1903)が「ルイ・ブラン・フィス(Louis Brandt&Fils)」を設立、セザール・ブラン(Cesar Brandt)が経営に参加、1894年に有名なキャリバー「オメガ」を製作、後にこれを会社名とした。

1930年にティソなどと「SSIHグループ」を結成、1965年に「スピードマスター」がアメリカ航空宇宙局の公式腕時計として採用され、1983年にASUAGグループ(ロンジンなどが1931年に統合)と合併し、「SMHグループ」を結成、1998年に「SMH」を「スウォッチ・グループ」に改称した。

3日13時30分からテレビ東京「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士を務める、ケアーズ会長の川瀬友和(かわせ・ともかず)さんによるトークイベントを開く。

4日12時から2016年から「クロノス日本版」編集長を務める広田雅将(ひろた・まさゆき)さんによるトークイベントを開く。

開場時間は3日が10時から17時、4日が10時から16時。入場料は3日10時から12時が6000円、12時から17時、4日10時から14時が1000円、4日14時以降は無料。