ヴァニラでD・ジョンストン「アートワーク」展、「FUN」のジャケット等

【銀座新聞ニュース=2020年7月31日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル、03-5568-1233)は8月1日から23日までダニエル・ジョンストン追悼展「Daniel Johnston Exhibition The Story of an Artist」を開く。

ヴァニラ画廊で8月1日から23日まで開かれるダニエル・ジョンストン追悼展のフライヤー。

アメリカのシンガーソングライター、アウトサイダー・アーティスト、イラストレーターのダニエル・ジョンストン((Daniel Johnston、1961-2019年9月10日)は1980年代から40枚以上ものアルバムを制作し、そのシンプルで美しく、ピュアで歪な楽曲は「ニルヴァーナ」のカート・コバーン(Kurt Cobain、1967-1994)らに影響を与え、音楽シーンにおいて神秘的な存在として世界中で支持されている。

ダニエル・ジョンストンは音楽と並行して、主題を同様としたアートワークの制作を続けて、作品内に登場するのは、ひとつ目の不気味な生物や悪魔、彼の永遠の恋人・ローリー、フランケンシュタインなどのモンスター、性と畏敬の対象としての女性、自身を投影したおばけのキャスパーなどを描いている。

今回は、生涯の膨大な作品の中から、1994年に発売された自らのアルバム「ファン(FUN)」のジャケットにも使用した作品をはじめ、カラー作品、モノクロ作品を中心として展示する。また、ポスター類などのコレクションも同時に展示する。

ウイキペディアなどによると、ダニエル・ジョンストンは1961年カリフォルニア州サクラメント生まれ、すぐにウェストバージニア州ニューカンバーランドに引っ越し、1980年代前半から音楽活動をはじめ、自宅で録音したカセットテープを配布するという形で作品を発表し、そのカセットのひとつが地方紙オースティン・クロニクルの音楽評担当者から絶賛された。

1985年にテキサス州オースティンで行われた「ウッドショック・ミュージック・フェスティバル・イン・オースティン(Woodshock music festival in Austin)」に出演し、音楽専門のケーブルテレビ、MTVから注目され、「ニルヴァーナ」のカート・コバーン(Kurt Cobain、1967-1994)をはじめとする多くの音楽家に影響を与え、2005年にはその半生がドキュメンタリー映画「悪魔とダニエル・ジョンストン」として公開されている。

作曲数は500曲を超え、40枚を超えるアルバムの半数以上が今も販売されている。アート作品は、2006年のホイットニー美術館の隔年行事にも出展されている。カート・コバーンが着ていたダニエルの「ハイ・ハウアーユー(Hi、How Are You?)」Tシャツは、2006年にヒューストン・クロニクル紙で「世界中で最も需要の高いインディー・アーチストのTシャツ」と評されている。米国をはじめ、カナダ、ヨーロッパ、日本などでツアーしており、2003年、2010年と来日し、公演した。2019年9月10日夜、臓発作を起こして死去した。享年58歳。

開場時間は12時から19時30分(最終日は17時20分)、入場料は1000円。入場に際してはマスク着用、検温などがある。時間指定有の完全チケット制で、定員制で1時間単位の時間指定で完全入れ替えとなる。ライブポケット(https://t.livepocket.jp/e/6ct6z)を通じて予約する。当日券はない。会期中無休。

インド、東部に感染拡大、わが休業のホテルが避難地に(30)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年7月31日】7月20日は、インド全土の1日の感染者数が4万人を超えてブラジルを抜き、この分では、アメリカを抜くのではと懸念されたが、21日は3万7000人台に戻り安堵、とはいえ、今後の推移を見ないと、増減はわからず、依然歯止めがかかったわけでない。

プリー東浜のホテル街に、初期のロックダウン(都市封鎖)が戻ってきた。メインロードのCTロードは封鎖、人影が消えた。

22日現在、インド全土の感染者数は119万人(回復者数75万3000人、死者数2万8732人)、憂慮されるのは、拡大する西インド(ワーストのマハラシュトラ州=Maharashtra=は32万7000人)をよそに、感染者が少なめだった中・東部にも広がっていることで、当オディシャ州(Odisha)も例外でない。

ここに来て、南のカルナータカ州(Karnataka)が感染者数7万1069人(死者数1464人)と急増、次いでアンドラプラデシュ州(Andhra Pradesh、感染者数5万8668人、死者数758人)、東側の西ベンガル(West Bengal、4万7030人中、死者980人)、ビハール(Bihar、2万6379人中、死者179人)、次いでオディシャ州(1万9835人中、死者108人)と増え続けている。

当地プリー(Puri)も感染者が続出、その一帯は封じ込めゾーンとして封鎖されている。私の住むチャクラティルサ・ロード(Chakratirsa Road)でも、メインロードから引っ込んだ後方で感染者が出て、その一帯はシール(封止)された(プリー地方全体での陽性者数は99人、死者数2人)。

かつて一時帰国時の機内から、幸運にも富士山が見下ろせ、その壮麗さに感激したのは何年前だったか。国際線が再開されて、日本行きの便に乗れるのはいつになるのだろうか。

このチャクラティルサ・ロードを東に1キロ近く直進すると、漁村地帯となり、ペンタコタ(Penthakata)と言われる、南のアンドラプラデシュ州からの、言語もオディシャのオディヤ語(Odia)でなく、テルグー語(Telugu)を話す移民の特殊エリアだ。最下層のカースト民が浜に掘っ立て小屋を立てて漁労で生計を立てているスラムエリアで、一般住民は避けて通る地域なのだが、ここで22日22人の集団感染が発覚、陽性率40%という恐ろしい数字には、いよいよ危機が間近に迫ったと当方もびびった。

また、わが家から4キロ程離れたグランドバザール(Grand Bazaar)のジャガンナート寺院(Jagannath Mandir)にほど近いエリアからも1人、わがホテルのマネージャーである甥の一家が身の安全のため、封鎖が解かれるまで、別棟のコッテージに寄宿して、わが家の住人が4人増えた。

といっても、2週間は距離を保ち、接触も最小限、休業要請中のホテルの部屋ががら空きなので、隔離には問題ない。

ここ数日、物々しい雰囲気で、パトカーがサイレンを鳴らしながら日に何度も警告アナウンス、住民の不安を煽り立てている。

今月末に、当州の感染者数が2万5000人から3万人に達することは間違いなく、回復率70%といっても、陽性者は1万人近くに膨れ上がり、由々しき状態だ(一夜明けて、わが居住エリア周辺は、24日の21時から8月3日の5時までの9日間、完全封鎖されることを知った。詳細は次号でお届けする)

●身辺こぼれ話/波の花を初観察

朝のベンガル湾散策が日課になって1週間たった。当地も感染者が急増しているので、一日中止して体調を見たが、どうにもよくないので、また復活、昨日21日は大変珍しい現象を目撃した。

ベンガルの波は荒めだが、雨季の今は特に豪快に押し寄せる。大波が弾けて白く泡立ち、波打ち際に石鹸の泡に似た白く柔らかなバブルがフリルのように縁どり、強めの南風がその上を吹き抜けていった。

純白の泡レースは風の威力に砕け散ると見えて、軽やかに受け止めて、まるでぼたん雪のようなバブルの玉を模造、ころころと雪の玉のように吹き散り、砂上を滑るように転がっていった。

波の泡の粒がいくつもころころと濡れ砂の上を転がり滑り抜けていく様子は、汀に咲いためずらかな小花のようにも見えた。波の花が咲き散らす砂上の点々と穿たれた巣穴からするすると、砂色の小蟹が出没、美しい自然現象に思わず、見とれた。

素足でそっと踏みしめた泡は柔らかくくすぐるように、くるぶしにまとわりついた。

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

7月27日現在、インドの感染者数は143万5616人、死亡者数が3万2771人、回復者が91万7568人、アメリカ、ブラジルに次いで3位になっています。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています。また、タージ・マハルも開放する方針を撤回して、引き続き閉鎖されています)

丸善丸の内で宮嶋祐一、中沢梓「日本画」展

【銀座新聞ニュース=2020年7月31日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は8月4日まで4階ギャラリーでみやじまゆういちさんと中沢梓さんによる「和の輪を紡ぐ‐日本画二人展」を開いている。

丸善・丸の内本店で8月4日まで開かれているみやじまゆういちさんと中沢梓さんの「日本画二人展」のフライヤー。

「洋画然とした作風ながらも岩絵具の質感にこだわり、視点を変えることで当たり前と思っていた事物をユーモラスかつ感動的に描き出す」(アート・データ・バンク)日本画家のみやじまゆういち(宮嶋祐一)さんと、「武者絵」や「大和絵」など馬や弓をテーマとする人物画や歴史画を描く日本画家の中沢梓(なかざわ・あずさ)さんという「日本画というジャンルに強いこだわりを持ちながら、まったく違う世界観をもつ」2人が創る「和の輪」を楽しめる作品を展示する。

みやじまゆういちさんは1982年石川県金沢市生まれ、2007年に金沢美術工芸大学美術工芸科を卒業、在学中の2005年に日展に初入選、その後、個展を開き、2019年にはマレーシアの「アート・エクスポ・マレーシア(Art Expo Malaysia)2019」に出品している。

中沢梓さんは1984年東京都生まれ、2007年に女子美術大学芸術学部絵画学科日本画専攻を卒業、2009年に同大学大学院美術研究科修士課程美術専攻日本画研究領域を修了、在学中の2008年に「源氏物語一千年記念祭姫君たち展」で優秀賞を受賞した。

2009年に全日本弓道連盟月刊機関誌「弓道」の表紙絵を担当、2010年にドローイング・デッサン・版画コンクールで入選し、銀賞、ロジェ・ブイヨ賞を受賞、2014年に伊勢丹新宿店で個展を開き、2018年に伊勢丹新宿店で二人展、2019年に東武百貨店池袋店で二人展を開いている。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)まで。

丸善丸の内で中嶋紫都「漆染めファッション」展、バッグや財布等

【銀座新聞ニュース=2020年7月30日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は8月4日まで4階ギャラリーで中嶋紫都さんによる「漆ファッション展」を開いている。

丸善・丸の内本店で8月4日まで開かれている中嶋紫都さんによる「漆ファッション展」のフライヤー。

「漆(うるし)」を使って、漆織と漆染めのファッショングッズを制作している中嶋紫都(なかじま・しず)さんが、京都西陣織の漆箔を主とした「織」と、布に直接漆を「染」める独自に開発した方法によるオリジナルなテキスタイルを使用して、制作した実用的なウェアやバッグ、財布、スカーフなどを展示販売する。

中嶋紫都さんによると、西陣では「引箔(ひきはく)」という技術で、漆の美しい光沢を持った生地を作る。渋柿でにじみ止めをした和紙に本漆を幾重にも塗り重ね、その上から色漆で彩色を施し、深みのある色を作り出す。

さらに、その上から、漆を接着媒体として本金の切箔、切金などを貼り付け、最後は温度が一定に保たれた部屋で乾燥させ、漆を熟成させることで美しい光沢を作り出している。中嶋紫都さんはこの技術をもとに新しい発想を加えて、現代的な工房独自の織物にしている。

ウイキペディアによると、「漆」はウルシ科のウルシノキ(漆の木、Poison oak)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料で、塗料としては漆工などに利用されるほか、接着剤としても使われる。

空気中の水蒸気が持つ酸素を用い、生漆に含まれる酵素(ラッカーゼ)の触媒作用によって、常温で重合する酵素酸化、空気中の酸素による自動酸化により硬化する。硬化すると極めて丈夫なものになるが、二重結合を含んでいるため、紫外線によって劣化する。

また、マンガン化合物を含む「地の粉」と呼ばれる珪藻土層から採取される土を混ぜると、厚塗りしても硬化しやすくなり、螺鈿(らでん)に分厚い素材を使う際にこれが用いられる。金属などに塗る場合、110度以上に加熱することで焼き付け塗装することもできる。

もっとも一般的な用途は塗料として用いることで、漆を塗られた道具を「漆器」という。黒く輝く漆塗りは伝統工芸としてその美しさと強じんさが評価され、食器や高級家具、楽器などに用いられる。漆は熱や湿気、酸、アルカリにも強く、腐敗防止、防虫の効果もあるため、食器や家具に適している。一方、紫外線を受けると劣化するし、極度の乾燥状態に長期間さらされると、ひび割れたり、はがれたり、崩れたりする。

塗料としての漆の伝統的な色は黒と朱であり、黒は酸化鉄粉や煤(すす)、朱漆には弁柄や辰砂などが顔料として用いられ、黒漆と朱漆を使って塗り分けることもある。昭和以後は酸化チタン系顔料(レーキ顔料)の登場により、赤と黒以外の色も出せるようになった。

江戸時代には、漆は接着剤として用いられ、小麦粉と漆を練り合わせて、割れた磁器を接着する例があった。硬化には2週間程度を要し、接着後、接着部分の上に黒漆を塗って乾かし、さらに朱漆を塗り、金粉をまぶす手法を金継ぎといい、鑑賞に耐えられる、工芸的価値を高めるものとして扱われてきた。

また、漆の新芽は食べることができ、味噌汁や天ぷらにすることもある。これは漆塗りの職人が漆に対する免疫をつくろうとして食べたのが始まりとされる。採取する際は、樹の幹の表面に切り込みを入れ、染み出す樹液を缶などを使って溜め、切り込みの溝にも樹液が溜まっているので、これも合わせてかき集め、集めた樹液を「あらみ」と呼ぶ。

「あらみ」には、樹皮やゴミなどが混ざっており、少し加熱して流動性を上げてから濾過(ろか)をする。現在は、綿を加えた上で、遠心分離器で分離する方法も使われている。濾過が終わったものを「生漆(きうるし)」と呼ぶ。生漆を精製し、その過程で油分や鉄分などを添加すると、精製漆となる。

生の漆が肌につくとかぶれるが、これはウルシオールによるアレルギー反応で、漆器になるとかぶれることはほとんどない。まれに、作られて間もない場合、かぶれることもあるが、これは重合され残ったウルシオールが揮発するためとされている。漆にかぶれた場合は、ワラビの根を煎じた汁、煮た沢ガニの汁、ほう酸水などを患部に塗る民間療法がある。

中嶋紫都さんは1961年に京都市立芸術大学グラフィックデイザン科専攻を卒業、「早川良雄(はやかわ・よしお)デザイン事務所」に勤務、1968年に「中嶋紫都染色工房」を設立、1975年から東京や大阪で「中嶋紫都創作きもの展」を開き、1987年にアメリカ・ハワイ大学で講義し、1989年に1989ジャパンデザインコンペティション石川「21世紀の塗・染展」で金賞、同年にニューヨーク州立ファッション工科大学パーソンズ(美術大学)で講義した。

1992年に「メード・イン・キョウト(Made in KYOTO)」ベストデザイン大賞で銅賞、1994年にうるし織バッグとうるしレースが「京都デザイン優品」に選定され、1999年に「1999国際漆デザイン展」で奨励賞、2008年と2009年にフランス・パリの「メゾン&オブジェ(Maison&Objet)2008、2009」に出展、2016年に漆プリント(うるし染)パリPVアワードにノミネートされている。

会期中、10時から19時まで中嶋紫都さんが来場する。

開場時間は9時から21時(最終日は16時)。

毎日の通勤者はご苦労様、医療従事者には感謝だね(309)

【tamaoのOL独り言=2020年7月30日】まだまだ梅雨が明けないけど、もう夏休みですね。今年の夏休みって、どうなるの?

我が家の百合が、がんばって咲いています。もう季節は夏、早いですね!

会社は休みが決まっているからお盆中はお休み、でも学生さんはどうなんだろうか?もちろん学校によって違うのだろうけど、春に新しく学校に入った生徒さん達、果たして何回学校に行ったのか。いやいや心配することはございません、ちゃんと毎日学校通ってます、なんだろうか?

確かにたまに電車で通勤すると、学生さん達がちゃんと通学しているのを見る。大学生はオンラインでの授業と聞いているけど、中高生でオンラインというのは難しいのではないのかな?思わず彼ら、彼女たちに聞いてしまって不審者と間違えられてしまいそう。聞けませんけど。

コロナでいろいろ大変だけれども、こんなに苦労しているのだから、新しい働き方なり、学び方を考えて取り入れていかなきゃいけないのよね。学び方はもう新しく考える必要はないかもしれないけど、これから必要になるかもしれないし。働き方だって、全国的な改革が進めば何があるかわからない。

そもそも家にいて仕事をしていても、家のことなど何もできなくて、凄くいいチャンスなのに、片付けも出来なくて・・・。もしかしたら、どっかが欠落しているのかと思ってしまうぐらいなのだ。

まぁ、でも、今のところ、何冊も同じ本を買っていないことはわかったので、ちょっとだけ何かが欠落していることで収まっているかなと思うことにしよう。とか言っても、まず仕事の効率を考えなくてはいけないんだった。ええと、何かいい案ありますか?

ともかく、こんな状況で毎日通勤している方、本当にご苦労様です。そんな人がいるからこそ、日本は成り立っているのだと思います。

電車も本数も変わらず、時間も狂わず、助かります。でも、本数も、時間も変わらないということは、人は減っているのだから儲けは減ってるわけなんで、本当は本数減らしたいのだろうけれど、きっと誰かにダメって言われているんだろうね。

これは一例で、ほとんどの会社がそういうふうに削らない、削れない部分があるんだろうなぁ。でも、それは日本の会社のいいところなので、そういう部分は削らないようにして欲しいよね。

医療従事者の方々にもだけど、それ以外の働く人にも感謝していかないといけないね。ヨーロッパで、決まった時間になったら、医療従事した方へ感謝を表すことがあったかと思う。同じように日本でも、実行しないのかな?小さなことだけど(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。