インド、感染者1000万超も新規は2万超に鈍化、わが州は収束へ(54)

【モハンティ三智江のインド発コロナ観戦記=2020年12月29日】インドの累計の感染者数は12月19日に1000万人を超えたが(21日付け統計ては1010万人、死者数14万6000人)、回復率が目覚ましいせいで(新規2万4000人超を、回復者2万5000人超が上回る)、実質の陽性者数は現在50万人を切り(49万人)、人口13億人以上だから、比率換算すると、日本の実質数より若干多いくらいだ。

コロナ禍で汚染解消したせいか、鮮やかな紫のハマヒルガオが満開に。長い移住生活でも初見で、美しさに感激。

ほぼ同じ数字でインドはホッとし、日本は第3波と騒いでいるわけだか、それ以前の経緯と比較してのことなので、感染爆発が止まって鈍化維持のインドが、胸を撫で下ろし、ここに来て急増している日本がすわっとなるのも致し方ないかもしれない。

しかし、総感染者数がアメリカに次ぐワースト2位のインドで推移を見守ってきた在住者から見ると、日本の第3波はさしてパニックに陥るほどのものでない。まだ、本格的爆発には、余力があるということで、かといって油断していいというわけではないが、東京も新規1000人台に達さないうちは、まぁ、大丈夫なのではないかと、あくまで個人的見解だが、推測する。

唯一、憂慮すべきは、日頃、無菌環境で感染症対策部門が脆弱な日本の医療崩壊リスクである。が故に、重症者を極力出さないようにと東京都が神経質になるのもやむをえず、ついに「Go To トラベル」一時停止を余儀なくされた政府についても、遅きに失した感はあるが、英断と評価したい。

浜を観光用のラクダが往く。今日は客日照り、空の鞍で軽々と。

経済を回さなければならないとの板挟みの振興策だったから、窮地に陥っていた飲食店並びに観光業者は一時的にも需要が回復して息をつけたと思う。どこの国でも、経済と感染対策のバランスは難しく、インドも例外でないが、在外邦人としては内心、人が動けば、感染リスクが高まるので、危ないなぁとは思っていた。

振り返るに、インド東部の当オディシャ州(Odisha)は、3月22日から全土に先駆けて厳格なロックダウン(都市封鎖)を開始、まだ、全国的には感染者数は微々たるもので、コロナ政策模範州と褒めそやされていた初期から、厳しい対策を州民に強いてきたわけである。経済は完全ストップ、救済措置皆無、観光業者は7カ月もの長い長い休業要請を強いられることになった。

6月からは、膨大な移民労働者の流入で感染者数がうなぎ上り、初期の模範州は、国内で8位の感染悪州の汚名を着せられた。以後4カ月で累計感染者数は32万人突破、が、長い間の努力がようやく実って、9月末には、全土共に歯止めがかかり、今現在は、人口4600万人で実質陽性者数は3000人ちょっと(死者数は1800人超)、新規数は1日300人台まで急落した。

インド移住33年目で初めて醤油を切らし、日本円にして1000円以上払いオンライン購入。今まで年1、2度は帰っていたので、その度に日本食を調達、醤油は切らしたことがなかった。しかし、コロナ禍で帰国延期を余儀なくされ、やむを得ず、4倍以上高値のKikkomanを購入する羽目になった。

一番ホッとしているのは、ひたすら厳格な措置を州民に敷いた州政府、経済・救済無視の苛酷な犠牲を強いてでも、人命優先を最重要視した州首相、ナヴィーン・パトナイク(Naveen Patnaik)であろう。

あまりに厳しすぎる政策に、ホテル業に従事する在留邦人としては、不満が高まることもあったが、結局、州首相の英断は間違っていなかったと思う。

収束に向かいつつある当州に比べ、未だに感染抑制が十分とはいえぬ西の発展州グジャラート(Gujarat)、マハラシュトラ(Maharashtra)を避けて、民間投資も殺到しているからだ。10月末時点で日本円にして5500億円と、コロナ元年にもかかわらず、6年連続の高額をマーク、元々資源豊かな州として注目され、近年州都の発展は目覚ましかったから、投資額が半減した西部州をしり目に、ちゃっかりパイを横取りした感じだ。

現時点で唯一ミリオン突破のワースト州マハラシュトラは回復率も一番低く(現在総感染者数190万人、死者数4万8000人超)、実質陽性者数もいまだ11万人もいるだけに、年末年始の集団外出を警戒し、州政府が12月22日から1月5日までの2週間、23時から6時までの夜間外出禁止令を敷いたほどなのだ。

抑制に成功し、ホッと息をついている東部に比べ、西はいまだ最大警戒の中、インド亜大陸は広大なので、各州のコロナ情勢も、天地の格差、まさに悲喜こもごもで、年末年始と浮かれるわけにもいかない都会州はお気の毒だ。

こちとら、嫌というほど、長いロックダウンを強いられたので、再発令されたら、うんざりを通り越して、失意のどん底だ。田舎州定住でしみじみよかったと思う。

来年1月3日には、当地プリー(Puri)のシンボル的ヒンドゥ寺院、ジャカンナート・テンプル(Jagannath Temple)も開院予定で、高名なメインテンプルがオープンすれば、年始のローカル参拝客も増えて、ホテル街も巡礼旅行者で賑わうはずだ。

師走も下旬に入り、車の往来もとみに増えて、けたたましいクラクション、大ボリュームで流される音楽、工事音など、以前の騒音地獄とまではいかずとも、騒々しい日常が戻りつつある。ここしばらくの平和な静けさがかき乱されるようで遺憾、手放しで喜べないものもあるが、街が活気に息づくことは、ノーマルに回帰しつつあるということて、快哉を叫ばなければならないのだろう。

大型ホテルは連日の挙式需要に賑わっている。当ホテルもぼちぼち客が戻りつつあるが、平常時にはほど遠い。ホテル格上げプランもよぎるこの頃、高まる式需要に応じられるだけの設備を整えた再建案である。

今は第2波の懸念はせずに、長いこと耐えた我が身を労って、楽しいクリスマス、希望に満ちた新年を迎えたい。この試練を乗り越えた先に、最高に輝かしい第2の人生が待っているのだと信じたい。

著者の私から、日本の読者の皆さまに、来たる2021年が希望に満ちた、文字通りのニュー、輝かしい新未来となることを心から祈願し、2020年最後の観戦記としたい。

●本年のご愛読誠にありがとうございました。衷心より御礼申し上げます。来年も引き続きご愛読のほどくれぐれもよろしくお願い致します。各位ご自愛なさって、良いお年をお迎えくださいませ。A Happy New Year!2021

(「インド発コロナ観戦記」は「観戦(感染)記」という意味で、インドに在住する作家で「ホテル・ラブ&ライフ」を経営しているモハンティ三智江さんが現地の新型コロナウイルスの実情について書いており、随時、掲載します。モハンティ三智江さんは福井県福井市生まれ、1987年にインドに移住し、翌1988年に現地男性(2019年秋に病死)と結婚、その後ホテルをオープン、文筆業との二足のわらじで、著書に「お気をつけてよい旅を!」(双葉社)、「インド人には、ご用心!」(三五館)などを刊行しており、感染していません。

また、息子はラッパーとしては、インドを代表するスターです。13億人超と中国に次ぐ世界第2位の人口大国、インド政府は3月24日に全28州と直轄領などを対象に、完全封鎖命令を発令し、25日0時から21日間、完全封鎖し、4月14日に5月3日まで延長し、5月1日に17日まで再延長、17日に5月31日まで延長し、31日をもって解除しました。これにより延べ67日間となりました。ただし、5月4日から段階的に制限を緩和しています。

12月23日現在、インドの感染者数は1009万9066人、死亡者数が14万6444人、回復者が966万3382人、アメリカに次いで2位になっています。アメリカの感染者数は1823万0242人、死亡者数が32万2765人(回復者数は未公表)です。州別の最新の数字の把握が難しく、著者の原稿のままを載せています。

また、インドでは3月25日から4月14日までを「ロックダウン1.0」とし、4月14日から5月3日までを「ロックダウン2.0」、5月1日から17日までを「ロックダウン3.0」、18日から31日を「ロックダウン4.0」、6月1日から6月末まで「アンロックダウン(Unlockdown)1.0」、7月1日から「アンロックダウン2.0」と分類していますが、原稿では日本向けなので、すべてを「ロックダウン/アンロックダウン」と総称しています。

ただし、インド政府は5月30日に感染状況が深刻な封じ込めゾーンについては、6月30日までのロックダウンの延長を決め、著者が住むオディシャ州は独自に6月末までの延長を決め、その後も期限を決めずに延長しています。この政府の延長を「ロックダウン5.0」と分類しています)

丸善日本橋で版画展、加山又造、小倉遊亀、梅原龍三郎、アイズピリら

【銀座新聞ニュース=2020年12月28日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は12月31日まで3階ギャラリーで「歳末版画バザール」を開いている。

丸善・日本橋店で12月31日まで開かれている「歳末版画バザール」に出品されている加山又造の「双鶴」(木版画、1977年)。

日本の風景画家で「国民的画家」として知られる東山魁夷(ひがしやま・かいい、1908-1999)をはじめとする、特選の版画を歳末特別価格で展示販売している。

今回、出品しているのは、東山魁夷をはじめ、「シルクロードの画家」といわれる平山郁夫(ひらやま・いくお、1930-2009)、日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現した加山又造(かやま・またぞう、1927-2004)、日本画家で「帝展」や「院展」にたびたび落選し、「落選の神様」とまでいわれた片岡球子(かたおか・たまこ、1905-2008)。

女性画や静物を生き生きと描いた小倉遊亀(おぐら・ゆき、1895-2000)、上村松篁(うえむら・しょうこう、1902-2001)の子息で花鳥画の第一人者として知られる元京都市立美術大学副学長の上村淳之(うえむら・あつし)さん、日本画家で元京都造形芸術大学長の千住博(せんじゅ・ひろし)さん。

前衛芸術家で、ヨーロッパで学んだ油彩画に、桃山美術や琳派、南画といった日本の伝統的な美術を取り入れ、装飾的な世界で知られた洋画家の梅原龍三郎(うめはら・りゅうざぶろう、1888-1986)、バラの絵で知られる洋画家、中川一政(なかがわ・かずまさ、1893-1991)。

孤高の洋画家で自宅の虫や花を描き続けた熊谷守一(くまがい・もりかず、1880-1977)、具象系派の画家で、軽快なタッチと鮮やかな色彩で静物、風景、人物などのリトグラフを制作したポール・アイズピリ(Paul Aizpiri、1919-2016)、アメリカ在住でレーザーやホログラムを駆使した現代美術家、ヒロ・ヤマガタさんら。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)まで。

講談協会、日本橋亭で元旦から初席、琴星、貞花、琴梅、貞心ら

【銀座新聞ニュース=2020年12月28日】講談協会(事務局・03-3272-6888)は2021年1月1日から5日まで「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル、03-3245-1278)で「講談協会初席」を開く。

講談協会が2021年1月1日から5日まで「お江戸日本橋亭」で開く「講談協会初席」で大トリを務める一龍斎貞心さん。

講談協会が毎年恒例としている「お江戸日本橋亭」で12時50分から開く初席で、講談協会の会員の講談師が総出で出演する。

1月1日は前座に続いて、二ツ目の宝井梅湯(たからい・うめゆ)さん、真打の宝井琴鶴(たからい・きんかく)さん、真打の田辺一乃(たなべ・かずの)さん、講談協会理事兼事務局長で、真打の宝井琴星(たからい・きんせい)さん。

仲入り後は、真打の一龍斎貞橘(いちりゅうさい・ていきつ)さん、真打の田辺鶴瑛(たなべ・かくえい)さん、トリは講談協会理事で、日本演芸家連合理事長、社団法人日本芸能実演家団体協議会常任理事で、真打の一龍斎貞花(いちりゅうさい・ていか)さん。

2日は前座に続いて、二ツ目の神田(かんだ)こなぎさん、真打の神田菫花(かんだ・すみか)さん、真打の神田(かんだ)あおいさん、講談協会理事で、真打の宝井琴柳(たからい・きんりゅう)さん・

仲入り後は、真打の宝井梅福(たからい・うめふく)さん、真打の一龍斎春水(いちりゅうさい・はるみ)さん、トリは講談協会常任理事で、真打の宝井琴梅(たからい・きんばい)さん。

講談協会が2021年1月1日から5日まで「お江戸日本橋亭」で開く「講談協会初席」に出演する桃川鶴女さん。

3日は前座に続いて、二ツ目の一龍斎貞弥(いちりゅうさい・ていや)さん、真打の田辺鶴遊(たなべ・かくゆう)さん、真打の宝井一凜(たからい・いちりん)さん、講談協会理事兼事務局補佐で、真打の宝井琴調(たからい・きんちょう)さん。

仲入り後は、真打の神田織音(かんだ・おりね)さん、真打の神田香織(かんだ・かおり)さん、トリは講談協会理事で、真打の一龍斎貞山(いちりゅうさい・ていざん)さん。

4日は前座に続いて、二ツ目の田辺銀冶(たなべ・ぎんや)さん、真打の神田山緑(かんだ・さんりょく)さん、真打の田ノ中星之助(たのなか・ほしのすけ)さん、真打の田辺南北(たなべ・なんぼく)さん。

仲入り後は、真打の田辺一邑(たなべ・いちゆう)さん、真打の一龍斎貞友(いちりゅうさい・ていゆう)さん、トリは講談協会理事兼副会長で、真打の宝井琴桜(たからい・きんおう)さん。

5日の楽日は前座に続いて、二ツ目の田辺(たなべ)いちかさん、真打の一龍斎貞寿(いちりゅうさい・ていじゅ)さん、講談協会監事で、真打の桃川鶴女(ももかわ・つるじょ)さん。

講談協会が2021年1月1日から5日まで「お江戸日本橋亭」で開く「講談協会初席」に出演する神田香織さん。

仲入り後は、真打の田辺凌鶴(たなべ・りょうかく)さん、講談協会監事で、真打の神田(かんだ)すみれさん、大トリは講談協会理事兼事務局長で、真打の一龍斎貞心(いちりゅうさい・ていしん)さん。

ウイキペディアなどによると、講談は奈良、平安の頃に原型が見られ、その後、江戸時代(1603年から1868年)の大道芸のひとつとして「辻講釈(つじこうしゃく、または町講釈)」が誕生し、「太平記」(全40巻で1318年から1368年までを描いた軍記物語)などの軍記物を注釈を加えつつ調子をつけて語り、1704年から1710年までの宝永(ほうえい)年間には公許の常設小屋で上演され、「講釈」と呼ばれた。

1818年から1830年の文政(ぶんせい)年間には話芸としてほぼ確立し、いくつかの流派が誕生し、講釈での人気演目が歌舞伎や人形浄瑠璃で上演されることもあった。明治時代(1868年から1912年)に入って、講釈は「講談」と呼ばれるようになった。

江戸末期から明治時代にかけて、講談は全盛期を迎え、明治末期には「立川文庫」など講談の内容を載せた「講談本」が人気を呼び、新聞や雑誌に講談が連載されるようになった。しかし、漫才など他の人気大衆芸能の誕生、大衆メディアの発達などに追いつけず、次第に衰退した。

大東亜戦争(1941年12月7日から1945年9月2日)後はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により、仇討ちや忠孝ものの上演が禁止され、一時は大きな影響を受け、さらにテレビの普及により、衰退を続けた。現在は講談師の所属団体として「講談協会」と「日本講談協会」があり、落語界と比較して女性の進出がめざましく、講談協会、日本講談協会とも男性より女性の協会員のほうが多い。

落語は会話によって成り立つ芸なのに対し、講談は「話を読む芸」で、独特のしゃべり調子と張り扇で釈台(机)をたたいて展開されるのが特徴となっている。

講談界では「講談組合」が1881年に設立され、1968年に「講談協会」が設立されたが、田辺夕鶴(たなべ・ゆうづる、後に「天の夕づる」に改名し、その後廃業、1944年東京都生まれ)のポルノ講談により、講談界が割れ、1973年に分裂した。

神田ろ山(かんだ・ろざん、1908-1984)、小金井芦州(こがねい・ろしゅう、1926-2003)、神田伯治(かんだ・はくじ、後に6代目神田伯龍、1926-2006)、一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)さん、宝井琴鶴(たからい・きんかく、後に5代目宝井馬琴、1903-1985)ら協会解散派の「講談組合」と、神田山陽(かんだ・さんよう、1909-2000)や田辺一鶴(たなべ・いっかく、1929-2009)ら解散反対派の「日本講談協会」が誕生した。

1974年に宝井馬琴門下の宝井琴鶴(たからい・きんかく、現6代目宝井馬琴)さん、宝井琴梅(たからい・きんばい)さん、宝井琴桜(たからい・きんおう)さん、一龍斎貞正(いちりゅうさい・ていせい、現一龍斎貞花)さんが「講談組合」を脱会して宝井馬琴一門と一龍斎貞丈(いちりゅうさい・ていじょう、1928-2003)一門として「東京講談会」を設立した。

1980年7月に「講談協会」として統一され、1991年10月に選挙方法に異議を唱えた神田山陽一門が「日本講談協会」を設立し、神田山陽門下の神田松鯉(かんだ・しょうり)さん、神田紫(かんだ・むらさき)さん、神田紅(かんだ・くれない)さんらが日本講談協会を率いている。

時間は12時50分から16時ころまで。入場料は当日3000円、前売2800円、後援会「ご贔屓連」2000円。問い合わせは講談協会(03-3272-6888)まで。

丸善丸の内で熊谷守一、田崎広助、ピカソ、ユトリロら特選展

【銀座新聞ニュース=2020年12月27日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は2021年1月2日から6日まで4階ギャラリーで「丸善絵画特選展」を開く。

丸善・丸の内本店で1月2日から6日まで開かれる「丸善絵画特選展」に出品されるラウル・デュフィの「モンソネスの私たちの家」(リトグラフ)。1942年から1943年にかけて約2年間、デュフィはナチス占領下にあるパリを離れ、スペイン国境沿いのモンソネスにあるロラン・ドルジュレス(Roland Dorgeles、1886-1973)の別荘に住んでおり、そこでこの作品を描いた。

20世紀を代表する国内外の画家の油彩画、水彩画、リトグラフ、シルクスクリーン、銅版画など、さまざまな作品を特別価格で提供する。12月最後の「絵画特選展」の延長という位置づけになっている。

出品される画家は日本を代表する板画(版画)家で、「仏」を題材にした作品で知られる棟方志功(むなかた・しこう、1903-1975)、孤高の洋画家で自宅の虫や花を描き続けた熊谷守一(くまがい・もりかず、1880-1977)、幻想的な女性像で知られる洋画家の東郷青児(とうごう・せいじ 、1897-1978)。

パリを中心とするヨーロッパの歴史が刻まれた街並みを描き続けた洋画家の荻須高徳(おぎす・たかのり、1901-1986)、阿蘇山を好んで描き、「阿蘇の田崎」と呼ばれ、晩年は「朱富士」を描いた洋画家の田崎広助(たざき・ひろすけ、1898-1984)。

ロシア出身のユダヤ系フランス人画家・マルク・シャガール(Marc Chagall、1887-1985)、スペイン出身で、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家・パブロ・ピカソ(Pablo Picasso、1881-1973)、フランスの画家で、フォーヴィスム(Fauvisme、野獣派)のリーダ-的存在であり、「色彩の魔術師」といわれたアンリ・マチス(Henri Matisse、1869-1954)。

19世紀から20世紀のフォーヴィスム(野獣派)を代表するフランス人画家で、「色彩の魔術師」と呼ばれたラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877-1953)、近代のフランス人画家・モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo、1883-1955)、第2次世界大戦後の具象絵画の代表的な画家・ベルナール・ビュッフェ(Bernard Buffet、1928-1999)。

アンニュイな女性、森にたたずむパリジェンヌ、海に浮かぶヨットなどの絵で知られるフランス人画家のジャン=ピエール・カシニョール(Jean Pierre Cassigneul、1935年生まれ)さん、第2次世界大戦後の具象絵画の画家・ポール・アイズピリ(Paul Aizpiri、1919-2016)、フランスの画家で、「成熟の赤」の使い手で知られるロジェ・ボナフェ(Roger Bonafe、1932年生まれ) さんら。

開場時間は9時から21時(最終日は16時、1月2日、3日19時まで)。

サニーヘルス、週1の動物性食品排除と植物性蛋白質で胃腸整える

【銀座新聞ニュース=2020年12月26日】健康食品、美容商品、化粧品などの販売会社、サニーヘルス(中央区八重洲2-1-6、八重洲kビル、03-6701-3000)はこのほど、レポート「ゆるベジタリアン『フレキシタリアン』で体すっきりダイエット!」を発表した。

フレキシタリアンとは、動物性食品を完全に排除するのではなく、控えめにしながらも時と場合によっては食べることもできる。1キロの牛肉を育てるのに、11キロもの穀物飼料と20トンもの大量の水が必要となる。週に1回だけでも200グラムの牛肉をやめると、その1食あたりで4トンの水を節約できる。

ヘルシーなイメージのあるベジタリアン(菜食主義者)に興味はあっても、肉や魚をまったく食べないのは本当に健康にいいのだろうかーなど美容や健康の意識が高い人こそ、そう考える場合が多いと思われる。

実際に、そこまでストイックな食事法は長続きしないし、ビタミンB12などの栄養素が圧倒的に不足してしまう。しかしながら、完璧なベジタリアンではなく、例えば週末だけの「ゆるいベジタリアン」であれば、体にメリットをもたらすことができる。食べすぎた後のリセット効果や疲れた内臓を休ませる作用など、体調を整えることに有効だ。

この方法は、動物性食品を少し取り入れながら野菜を中心に食べるスタイルで、「フレキシタリアン」と呼ばれている。2019年にアメリカのオンライン誌「USニューズ&ワールド・レポート」の「最高の食事法」の第3位に選出されたこともある(1位は地中海料理、2位はダッシュダイエット)、今、注目の食事法である。

●フレキシタリアン、ヴィーガン、ベジタリアンの違い

フレキシタリアンとは、「flexible(フレキシブル、柔軟性)」と「Vegetarian(ベジタリアン、菜食主義者)」を組み合わせた造語で、動物性食品を完全に排除するのではなく、控えめにしながらも時と場合によっては食べるのがフレキシタリアンといえる。

週に1度だけ動物性食品を避けて、植物性タンパク質や代替肉(フェイクミート)を摂ることで、翌日には体がすっきりと軽くなっていることを実感できるという。

よく耳にする「ヴィーガン」や「ベジタリアン」など肉や魚を食べない菜食主義者は、大きく5つに分かれ、その違いは以下の通りだ。
1)ラクト・ベジタリアン
乳製品は食べるベジタリアンで、インド人の菜食主義者はこのタイプが多い。

2)オボ・ラクト・ベジタリアン
卵と乳製品は食べるベジタリアンのことで、欧米で「ベジタリアン」というとこれを指す。

3)ヴィーガン
乳製品、卵、はちみつなど動物性食品を一切食べず、革製品、シルク、ウールなど動物由来の製品も排除している。

4)ダイエタリー・ヴィーガン
食事のみがヴィーガンで、食用以外の製品に関しては避けない。

5)フルータリアン(果食主義)
ヴィーガンの一種で、果物、ナッツ類など、木に実るものだけを食べる。

●環境保護の観点でベジタリアンが増加傾向

こうしたベジタリアンたちが動物性食品を食べない理由は人によりさまざまだが、ダイエットや健康面、動物愛護の観点、環境問題、食糧問題などが主な要因とされている。最近は特に環境問題と食糧問題が取り沙汰され、国連食糧農業機関(FAO)も、動物を食用に飼育することは世界的な環境問題になっていることを示唆している。

1キロの牛肉を生産するためには、1キロもの穀物飼料、20トンもの大量の水が必要となる。また、全世界の温室効果ガス排出の18%が畜産業関連とされ、特に牛肉の生産による排出量がもっとも多く、畜産業全体の排出ガスの約80%にも上るという。

牛が食べる飼料の生産、加工、牛のたい肥から発生するガスなどが主な排出源となっており、輸送時の排出は意外にもわずか5%程度とされている。

アメリカではダイエットや健康へのメリットだけでなく、こうした問題に対する意識の高まりからベジタリアンの考え方に共感する人が増えている。

●日本人にはフレキシタリアンが最適

日本においても、ベジタリアンとまでいかなくても、ゆるめのフレキシタリアンになって肉の消費を抑えれば、資源や環境を守ることにつながる。週にたったの1回だけでも200グラムの牛肉をやめれば、その1食あたりで4トンほどの水を節約できることになる。

とはいえ、環境問題を考えてフレキシタリアンになってみるというのは、いまいちピンと来ないかもしれない。では、ダイエットによく、胃腸の調子を整える食事法だと考えてみよう。

特に暴飲暴食をしてしまったあとに行うことで、体調がリセットされる効果があるので、年末年始などごちそうを食べることの多いシーズンにはお勧めできる。翌日には体がすっきりと軽くなっていることを実感できるはず。

肉や魚の代わりとなるタンパク源には、豆腐、厚揚げなどの植物性タンパク質を利用する。また、近年関心の高まっている「プラントベース」の代替肉(フェイクミート)を活用することもできる。

大豆ミートやソイミートなどの名前で販売されていて、肉の食感を模した代替肉は、価格的にも買いやすいし、唐揚げや生姜(しょうが)焼き風の味付けで、野菜と一緒に炒め物にするなどの方法により、違和感なくおいしく食べることができる。

週に1度だけ動物性食品を避ければ、それはもう立派なフレキシタリアンとなる。軽い気持ちで、ゆるく始めてみてはいかがだろうか。

ベジタリアンやヴィーガンを目指すのはハードルが高いが、フレキシタリアンなら無理なく体に優しい食事を取り入れることができる。体をリセットさせたい時や週末だけなど、自身のライフスタイルに合った形で行うことができるので、体が重いと感じたら際にはトライしてみてほしい。