丸善日本橋で万年筆展、パイロット、中屋、仙台大橋等限定品(1)

【銀座新聞ニュース=2021年2月28日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は3月3日から9日まで1階と地下1階などで「第12回世界の万年筆展 展示即売会-手書きと過ごす」を開く。

丸善・日本橋店で3月3日から9日まで開かれる「第12回世界の万年筆展 展示即売会」のフライヤーで、限定販売品が紹介されている。

丸善・日本橋店が2007年に全面改装し、3周年を記念して2010年から開いている恒例のイベントで、世界各国の名前の知られているブランドから国内の手づくり万年筆まで世界の万年筆メーカー22社の製品を展示販売する。また、ペンクリニックやインク作りなどのイベントも開く。

今回の限定品は「パイロットコーポレーション」(中央区京橋2-6-21、03-3538-3700)が「ベスト型、漆塗り、艶緑」(税込7万7000円、限定50本)で、漆塗り万年筆に使われているベスト型をベースに、プレーンなタイプに仕上げ、今回はミドリの漆をかけてある。ペン先は18金、字幅は、F(細)、M(中)、B(太)、BB(極太)の4種類から選べる。

「セーラー万年筆」(墨田区江東橋4-26-5、東京トラフィック錦糸町ビル、03-3846-2651)が「キングプロフィットALブルーコンパス」(11万円、34本限定)で、セーラーのフラッグシップである「キングプロフィット」を金属軸で仕上げた丸善日本橋店オリジナル第5弾となっており、初の銀色仕上げで、マットな風合いと鮮やかなパーツとのコントラストが絶妙としている。ペン先は21金、字幅は、M、Bの2種類。

「プラチナ万年筆」(台東区東上野2-5-10)の子会社、中屋万年筆(台東区東上野2-5-16、岩原ビル)が「ポータブル黒溜廻り止め万年筆 紙とペン」(11万5500円、限定20本)で、廻り止めには龍の模様があり、丸善の原稿用紙「萬年筆物語」を再現した日本橋店限定モデルで、ペン先が14金、字幅がUEF(超極細)、EF(極細)、F、SF(細軟)、M、SM(中軟)、B、BBの8種類。

「仙台大橋堂」(宮城県仙台市青葉区中央3-8-5、新仙台駅前ビル、022-266-2332)が「本漆螺鈿(らでん)磨き蝋色(ろいろ)仕上げ万年筆 暁煌(ぎょうこう)」(15万4000円、限定10本)で、陽光が広がり始める「夜明けの美しさ」を漆、螺鈿、卵殻で組み合わせて表現をした、塗師と職人の技が光る自信作としている。ペン先は21金、字幅はMのみ。

「笑暮屋」(えぼや、荒川区荒川1-38-6、03-3891-5258)が「エボナイト万年筆Nalu(ナルー)翠波」(5万5000円、限定20本)で、キャップから軸までを緩やかな連続する曲線で波を表現し、ハワイの海を想起させ、エボナイトの手触りと美しい曲線で持ち心地のよさを実現しているという。ペン先が14金、字幅がF、MF(中細)、M、Bの4種類。

「サンライズ貿易」(千代田区岩本町2-13-6、03-5833-7701)が「プロフェッショナルギア(低重心モデル)黄地図(きちず)」(4万4000円、Zが4万6750円、限定100本)で、ペンドクターの宍倉潔子さんが監修した日本橋店オリジナルモデルだ。丸善の地図柄ラッピングペーパーの色遣いを軸全体で表現し、ペン先のロゴ刻印が”丸善オリジナル“デザイン。ペン先は21金で、字幅はEF、F、M、B、Z(ズーム、太)の5種類。

丸善オリジナルインキで、1916(大正5)年から製造販売されている「丸善アテナインキ」の日本橋店限定で、第12回を記念して創業者の早矢仕有的(はやし・ゆうてき、1837-1901)からとって「日本橋 早矢仕」(2200円、300個限定)も販売される。

また、3日初日9時30分から地下1階入り口では丸善・日本橋店オリジナル万年筆袋、税込5万5000円(5袋限定、約9万円相当の商品)、3万3000円(10袋限定、約5万4000円相当の商品)、1万1000円(20袋限定、約2万3000円相当の商品)を販売する。

5万5000円は丸善の「ルナシータ万年筆」(6万6000円)、パイロットの「ペンサンブル、2019限定色、ロールペンケース、ブルー」(4400円)、ドイツのロイヒトトゥルム(Leuchtturm)の「高級ノート」(A5サイズ、3190円)などが入っている。

3万3000円は丸善の「アテナザペン クロマ万年筆」(3万3000円、軸色、字幅は選べない)、丸善の「森林楽 ペントレーS(新商品)」(3520円)などが入っている。

1万1000円はパイロットの「カスタムヘリテイジ万年筆」(限定カラー、14金ペン先、1万3200円、軸色、字幅は選べない)、パイロットの「色彩雫3本セット」(2310円)などが入っている。

ウイキペディアによると、「万年筆」は1809年に英国人がペン軸にインクを貯蔵するペンを発明し、特許を取得したのが最初とされ、1883年にアメリカの保険外交員ルイス・エドソン・ウォーターマン(Lewis Edson Waterman、1837-1901)が、調書にインクの染みを作ってしまい、契約を取り逃がしたことをきっかけとして、毛細管現象を応用したペン芯を発明したことが万年筆の基となった。

万年筆が日本に入ってきたのは1884年で、横浜のバンダイン商会が輸入し、東京・日本橋の丸善などで販売された。当時は「針先泉筆」と呼ばれ、「万年筆」と命名したのは、1884年に日本初の国産万年筆を模作した時計商の大野徳三郎(おおの・とくさぶろう、生没年不詳)と言われている。戦前は日本の万年筆製造が盛んで、1940年には世界生産量の50%を日本で生産していたといわれている。

万年筆はペンとともに1960年代頃まで、手紙やはがき、公文書などを書くための筆記具として主流であったが、徐々にボールペンに取って代わられ、1970年代に公文書へのボールペンの使用が可能になり、また水性ボールペンが開発されたことにより、万年筆は事務用、実用筆記具としては利用されなくなっている。

英国のパーカー(Parker)などによると、パーカーは1888年にアメリカ人のジョージ・S・パーカー(George Safford Parker、1863-1937)がペンの特許を申請し、アメリカで筆記具の製造をはじめ、1894年にインク漏れを防止するインク供給システム「ラッキー・カーブ」を発明し、2件目の特許を取得、1906年に金とスターリングシルバーを使った「スネークペン」を発売、1914年に戦場の兵士のために作られた、乾燥した固形インクが装着され、水に浸すだけでインクの役割を果たし、すぐに書き出せる「トレンチペン」が誕生し、1918年に売上高が100万ドルを達成した。

1921年にオレンジ色と25年保証の最高ライン「デュオフォールド(Duofold)」が発売され、1931年に3年間で1021回もの実験を経て開発した速乾性インク「クインク(Quink)」が発売され、1933年に「矢羽クリップ」(1957年からブランドの正式なアイコンとなる)を初採用し、当時の一般的なペンの2倍以上のインク容量とインク残量を目で確認できる「バキューマティック」が発売され、社長を引き継いだケネス・パーカー(Kenneth Parker)が1941年に創業51年を記念して「パーカー51」を発売し、1945年5月7日にドイツの降伏文書の調印にドワイト・D・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower、1890-1969)が「パーカー51」を使用した。

1954年にパーカー初のボールペン「ジョッター」が発売され、初年度に350万本を販売し、1962年に英王室から「ロイヤルワラント(王室御用達)」の称号を授かり、パーカーが英王室御用達となる。1987年にスターリングシルバーを使った4つの「パーカー75」モデルがカスタムメイドで登場し、12月8日に中距離核戦力全廃条約への調印の際に、アメリカ大統領のロナルド・レーガン(Ronald Wilson Reagan、1911-2004)と旧ソ連書記長のミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Sergeevich Gorbachev、1931年生まれ)さんが「パーカー75」を使用した。

1987年に英国資本が入り、本部を英国に移転し、1993年にプロクター・アンド・ギャンブル傘下のジレット社が買収し、2000年にニューウェル・ラバーメイド・グループのオフィス用具部門のサンフォードの傘下になり、2009年に英国工場が閉鎖され、生産拠点がフランスとなっている。

期間中、地下1階入り口で「パーカー」がポップアップショップを開く。1941年に誕生した「パーカー51」の復刻版が2月9日に発売されたことから、新「パーカー51」の試筆販売会と、1921年に発売されたパーカーのフラッグシップモデル「デュオフォールド」の誕生100周年を記念して発売される「デュオフォールド100」の予約承り会を開く。

期間中、3階で「平井木工挽物所」(大阪市生野区巽北3-1-24、06-6752-3875)が黒檀や紫檀、屋久杉、花梨などの天然木を素材に、オリジナルの万年筆やボールペンなどの筆記具を製造販売する。

期間中、地下1階イベントスペースでイタリアの万年筆メーカー「アウロラ(AURORA)」が万年筆などの筆記具を販売する。

5日から7日までの3日間、11時から19時まで、1階でガラス工房「aun(アウン)」(岡山県倉敷市本町1-30、086-489-0988)がガラスペンを発売する。

また、期間中、1階で11時から19時まで「笑暮屋」がエボナイト万年筆を、「仙台大橋堂」が手作り万年筆を販売する。

また、地下1階では、3日と4日の2日間、9時30分から17時30分まで「パイロット」のペンドクターによるペンクリニックを開く。事前予約制。

4日から6日の3日間11時から19時まで「中屋万年筆」が手作り万年筆の実演・販売をする。事前予約制。

5日と6日の2日間、9時30分から17時30分まで「サンライズ貿易」のペンドクター宍倉潔子さんによるペンクリニックを開く。事前予約制。

5日11時から19時まで「インクカフェ-私のカラーインク作り」を開く。参加費は1750円で、定員数は3人、7回開く。事前予約制。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。ほとんどの商品は電話で予約できる。

サニーヘルス、要注意の高脂肪食、摂取したい青魚等不飽和脂肪酸

【銀座新聞ニュース=2021年2月27日】健康食品、美容商品、化粧品などの販売会社、サニーヘルス(中央区八重洲2-1-6、八重洲kビル、03-6701-3000)はこのほど、レポート「脂肪をたっぷり摂取してこそやせられる!?高脂肪食ダイエットとは」を発表した。

高脂肪食ダイエットでは脂肪たっぷりの牛肉やバターなど動物性脂肪から、オリーブオイルやココナッツオイル、脂の乗った魚まで積極的に食べることが推奨されている。

脂肪は高カロリーで、成人病のリスクが高まるもので、体に必要な栄養素とはいえ、現代の食生活では意識的に摂取しなくても必要量以上に摂れている。ダイエットや健康のためには摂取量を抑えることを意識するべき、というのが脂肪に対する一般的な認識ではないだろうか。

これを否定し、高脂肪食こそ健康的にダイエットができるという「高脂肪食ダイエット」というものがあり、アメリカで話題となっているこのダイエット法、実際のところはどうなのか?

●高脂肪食ダイエットとはどんなもの?

「高脂肪食ダイエット」は、言葉通り、高脂肪なメニューを食べることを推奨し、その一方で穀類や根菜類などすべての糖質を徹底的にオフするというダイエット法という。ここしばらくのダイエットのトレンドである糖質制限ダイエットをさらに強化し、もうひとつ「高脂肪」という条件を加えたようなイメージといえる。

これまでの糖質制限ダイエットでは、鶏胸肉に代表される高タンパク低脂肪な食品が推奨されてきたが、高脂肪食ダイエットではそれを否定し、脂肪たっぷりの牛肉や生クリーム、バターなどの動物性脂肪から、オリーブオイルやココナッツオイル、脂の乗った魚まで積極的に食べることが推奨されている。

肉類、バター、乳製品、パーム油など飽和脂肪酸は摂取を控えたい。

●脂肪を食べてなぜやせるのか?

オリーブオイルや魚の脂肪は体によい作用あることは間違いないが、高カロリーな脂肪をたっぷりと摂取することで、なぜやせることができるのだろうか。

それは、糖質を断つことにより、エネルギー源が糖質から脂肪に切り替わり、体が脂質代謝に変化するためだというのがこのダイエット法のメソッドとなっている。脂肪を摂ることで体脂肪が燃焼し、体重が落ち、たとえ動物性脂肪であっても、実は体に悪いことはなく、健康リスクを高めることはないと説明されている。しかも、糖質制限ダイエットとは違い、脂肪を大量に摂取することで空腹を感じずに済むという。

●高脂肪食ダイエットを続けるなら

科学的な根拠が充分ではない上に、現代の栄養学ではこの理論については何とも言えないが、このダイエット法の提唱者は約30キロのダイエットに成功したという。ただ、それだけ大幅な減量なら、何も高脂肪食にしなくても、食事量を適正にするだけで効果がありそうと思われる。

オメガ3やオメガ6など不飽和脂肪酸は積極的に摂取したい。

短期間だけであればまだしも、高脂肪食ダイエットを長期間、続けた場合、体にどのようなリスクがあるのかも自己責任でしかない。仮にやせたとしても、循環器疾患などさまざまな病気の可能性を高めてしまっては元も子もない。もし、このダイエット法を続けたい場合は、病院で定期的に健康状態をチェックする必要があるだろう。

●摂取すべき脂肪と控えるべき脂肪

脂肪は多すぎず少なすぎず、あくまでも「適量」を摂取すべき栄養素だ。ダイエット中であってもオフすることなく必要量を摂取しなければ、体のさまざまな機能に影響を及ぼしてしまう。

脂肪には、細胞膜の形成や、肌や髪を健康に保つ、脳や神経の機能を保つ、ホルモンの材料になるなどの役割があり、不足すると血管が弱くなったり、脂溶性ビタミン(ビタミンA、D、E、Kなど)の吸収が悪くなったりしてしまう。また、不足すると肌のツヤや髪のパサつきの原因にもなる。

パン、ケーキ、揚げ物などに含まれるトランス脂肪酸も避けたい。

日本人の食事摂取基準では、総エネルギー摂取量に対して20%以上30%未満が脂肪の適正量と定められている。「脂肪」と一括りにしてもその種類は多く、体にどう影響するかは種類により異なる。摂るべき量もそれぞれ異なり、積極的に摂りたい脂肪、控えたい脂肪がある。

●控えるべきは「飽和脂肪酸」

肉類、バター、乳製品、パーム油に含まれるのが「飽和脂肪酸」と呼ばれる種類の脂肪で、常温では固体であることが多く、酸化しにくいという特徴がある。「飽和脂肪酸」を摂り過ぎると悪玉コレステロールが増え、動脈硬化や心筋梗塞などの生活習慣病に繋がる。

「飽和脂肪酸」の中でも、体内での消化吸収・代謝が速く、体に脂肪がつきにくい種類があり、ココナッツオイル(パーム油とは別の種類)に代表される「中鎖(ちゅうさ)脂肪酸」というものだ。

「中鎖脂肪酸」は善玉コレステロールの働きを助け、悪玉コレステロールを減少させる働きがあり、中性脂肪の循環がスムーズになり、ダイエットや健康によいと言われている。

●植物性オイルに多い「不飽和脂肪酸」

「不飽和脂肪酸」は常温で液体であることが多く、光や空気、熱によって酸化しやすい性質がある。「不飽和脂肪酸」は以下の3種類に分けられ、オメガ3と6は体内で作ることができないため、食品から摂る必要のある「必須脂肪酸」とされている。

●オメガ3(多価飽和脂肪酸)

「DHA」や「EPA」、「α‐リノレン酸」などがこれに分類され、青魚に多く含まれている。中性脂肪やコレステロール値を抑制、血管をしなやかにして血流を改善、月経前症候群(PMS)の緩和、冠動脈疾患の予防などの効果が認められている。

ほとんどの人が不足しがちな脂肪酸であり、1日1ー2グラム程度の摂取が推奨されている。毎日、魚を食べることが難しければ、缶詰でもいいので、ぜひ取り入れてほしい。

●オメガ6(多価飽和脂肪酸)

オメガ6の代表的な脂肪酸は「リノール酸」。コーン油、綿実油、ゴマ油などに含まれ、オメガ3と6の摂取比率は1:4が望ましいとされている。必須脂肪酸だが、摂取過多の人がほとんどなので、控えめにするぐらいでちょうどいい。生活習慣病やアレルギーを悪化させるリスクがあると考えられている。

●オメガ9(一価飽和脂肪酸)

オメガ3、6が酸化しやすいのに対し、オメガ9はそれらに比べ酸化しにくいという特徴がある。オレイン酸が代表で、オリーブオイル、キャノーラ油(なたね油)、紅花油(ハイオレイック)などに含まれている。飽和脂肪酸の代わりに摂ると、悪玉コレステロールを減らすと言われ、動脈硬化の予防に役立つ。

●「トランス脂肪酸」も控えるべき

植物性油脂に水素を添加することで生成されるのが「トランス脂肪酸」だ。高脂肪食ダイエットにおいてもトランス脂肪酸は避けるよう示唆されている。マーガリン、ショートニングに多く含まれており、それらを原材料に使ったお菓子、パン、ケーキ、揚げ物などに多く含まれている。

「トランス脂肪酸」は体にまったく不要な脂肪酸であり、摂り過ぎると悪玉コレステロールを増加させ、生活習慣病のリスクを高めると、WHO(世界保健機構)が注意勧告している。多くの国々では含有量の規制や表示の義務付けが行われているが、日本では現在のところ規制がない。

また、「トランス脂肪酸」は外食や加工食品に多く含まれるので、そうした食品を食べる機会の多い人ほど摂取量は比例する。市販の食品を購入する際には、自分で原材料名にマーガリンやショートニング、ファットスプレッド、加工油脂などが使用されていないかチェックしてほしい。

「〇〇だけダイエット」のような偏った方法は長続きしないし、やり方次第では健康被害をもたらしてしまう。多くの人がガマンをせず、ラクにやせたいと願っているかもしれないが、そのダイエット法で体を壊してしまう可能性もある。食事内容と量の適正化、適度な運動といった王道こそが、スリムと健康を両立できる方法だ。安易な方法に飛びつく前に、一度考えてみてほしい。

丸善日本橋で小暮真望「百名山」版画展、故郷の風景

【銀座新聞ニュース=2021年2月26日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は3月3日から9日まで3階ギャラリーで小暮真望さんによる版画展「自然美への賛歌・日本百名山」を開く。

丸善・日本橋店で3月3日から9日まで開かれる小暮真望さんによる版画展「自然美への賛歌・日本百名山」に出品される「花宴千本桜」。

画業40周年を超えたシルクスクリーンの版画家、小暮真望(しんぼう)さんが「自然美への賛歌・日本百名山」と題して、1994年から取り組んでいる瀬戸内海、尾瀬、上高地など各地の作品を題材とした版画作品を展示販売する。

「葉ずれの音が聞こえそうな繊細な筆致と躍動感あふれる大胆な構図、艶やかに彩る空気感の表現は、多くの人々に感動を与え、国内だけでなく欧州を中心とした海外でも高い評価を得ている」(丸善)という。

小暮真望さんは小説家で登山家だった深田久弥(1903-1971)が1964年に発表し、第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した「日本百名山」を参考にし、自ら足を運んで選んだ山々を1994年から「日本百名山」とし、ライフワークとして制作に取り組んでいる。

また、小暮真望さんは丹頂鶴の連作、世界の名峰、北海道の大地や瀬戸内の海など、その表現の対象は多岐にわたり、自然美への飽くなき探求を続けてきた。小暮真望さんのシルクスクリーン版画の世界には、だれもが心に抱く「ふるさとの風景」があるとしている。

小暮真望さんは1948年群馬県館林市生まれ、明治大学工学部を卒業、1972年に同大学大学院工学部修士課程を修了、本田技術研究所に入社、CVCCエンジン(低公害エンジン)の研究開発に従事、初代「シティ」のエンジンの責任者、軽自動車の総合責任者として数々の車を開発、1980年にシルクスクリーン版画技法により、自然の美をテーマに版画活動に入り、1982年に本田技術研究所を退社、「セリグラフ美術研究所」(埼玉県東松山市下野本1515-1、0493-24-8791)を設立した。

1984年に第25回日本版画会展で新人賞(1985年に東京都知事賞、1986年に会友賞、1994年に萬華賞、1995年に馬渕賞、1999年に第40回記念会員賞、2000年に日本版画会賞、2001年に文科大臣奨励賞)を受賞し、

1989年にニュージーランド国際日本版画展でTIE賞第3位、1990年にオーストラリア国際日本版画展でTIE賞第1位、1991年にイタリア国際日本版画展でTIE賞第1位、1992年にノルウェー国際日本版画展でTIE賞第1位、1993年に版画作品集第1集、1994年に第35回日本版画会展で万華賞、「日本百名山」の制作をはじめた。

1998年にオーストラリアアートネットゴールドコースト展でゴールドコースト市長賞、版画作品集第2集、1999年から「日本百名山」オリジナルカレンダーを毎年制作し、2002年にオーストリア新世紀宮廷芸術祭で国会議事堂総長賞、チェコプラハ宮廷芸術祭国立美術館で東洋現代美術賞、2003年に版画作品集第3集を刊行した。現在、日本版画会会員、明治大学理工学部外部講師。

6日10時30分から17時30分まで小暮真望さんが来場する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。

フード協、外食1月、21%減と悪化、「宣言」響く、飲酒75%減に

【銀座新聞ニュース=2020年2月26日】一般社団法人「日本フードサービス協会」(港区浜松町1-29-6、浜松町セントラルビル、03-5403-1060)は2月25日に1月の「外食産業市場動向調査」(全店ベース)を発表した。

ドトールコーヒー(渋谷区神南1-10-1)は2月26日から「ドトールコーヒーショップ銀座4丁目店」(中央区銀座4-11-6、銀座島倉ビル、03-5565-0913)など全国のドトールコーヒーショップで「春フェア」を開く。桜花ペーストが入った、ほんのり塩味のある桜ソースとミルクを合わせ、ホイップクリーム、桜ソース、抹茶パウダーをトッピングした「桜オレ」と、宇治抹茶ベースにホイップクリーム、桜ソース、抹茶パウダーをトッピングした 「桜抹茶オレ」 (いずれもホットのみ、店内税込450円、持ち帰り442円)などを販売する。

それによると、1月は、新型コロナ感染拡大に伴う2度目の「緊急事態宣言」が発令され、東京、大阪など11都府県では、店内飲食の営業時間が短縮されたことから、宣言直後から店内飲食の客足が激減、一部では休業する店舗も見られ、外食全体の売り上げは前年同月比21.0%減と12月(15.5%減)からさらに落ち込んだ。

しかも業態間の格差は広がり、特に宣言対象地域では、酒類提供が19時までに制限されたことで、飲酒業態は営業にならず、「パブ・居酒屋」は同74.9%減と激減した。

ファーストフード(FF)業態は洋風など巣ごもり需要で堅調な業態もあったものの、店内飲食は客足が減少し、全体の売り上げは1.4%減だった。「洋風」は、ドライブスルー、テイクアウト、デリバリーが宣言下で伸び、まとめ買いによる客単価上昇も相まって、売り上げは大幅増加し、12.2%増と唯一前年を上回った。

「和風」は高単価の季節メニューがテイクアウトでも好調も、店内飲食の客数減により、売り上げは7.5%減だった。「麺類」は、夜の時間帯のウエイトが大きい繁華街立地のラーメン業態などの影響が大きく、売り上げは24.0%減だった。

「持ち帰り米飯・回転寿司」は、「持ち帰り米飯」で夜の時間帯を中心に堅調なところもあったが、「回転寿司」などで店内飲食の客数が減少し、売り上げは4.6%減だった。

ファミリーレストラン(FR)業態は継続して取り組んでいるテイクアウト、デリバリーが伸びたところもあったが、宣言後の全体客数が36.7%減で、全体の売り上げは34.6%減となった。

「洋風」はデリバリーやテイクアウトの増加で客単価が伸びたものの、売り上げは38.3%減、「和風」は新年会の需要もなく38.7%減、「中華」もテイクアウト、デリバリーに支えられたものの前月には及ばず15.3%減、夕方からの営業が多い「焼き肉」は休業した店舗もあり、32.0%減と大きく落ち込んだ

パブ・居酒屋業態といった飲酒業態は、「宣言」の直撃を受け、営業時間・酒類販売時間などが制限される中、やむなく休業する店舗も多く、業態全体の売り上げは74.9%減だった。「パブ・ビアホール」が79.0%減、「居酒屋」が73.5%減と激減した。

ディナーレストラン業態も、主体となる夜の営業時間制限により、「宣言」後の売り上げは急減し、54.5%減となった。元来1回の食事時間が長い業態であり、「宣言」で時短営業の始まった直後は、店によっては夜の集客が全くない日もあったという。

喫茶業態は「宣言」後、繁華街、ビジネス街の客数減が加速し、酒類を提供する店舗を含めて一部では休業するところもあり、売り上げは37.4%減だった。

日本フードサービス協会の統計は会員(事業者数)が222社(2020年12月214社、11月215、10月221、9月219、8月225、7月214、6月203、5月208、4月191、3月203、2月205、1月188、2019年12月191、11月186、10月187、9月189、8月188、7月192、6月193、5月192、4月197、3月196、2月199、1月199)。

店舗数が3万7475店(2020年12月3万7648店、11月3万7684店、10月3万7939店、9月3万8669店、8月3万8106店、7月3万7810店、6月3万8139店、5月3万8059店、4月3万7982店、3月3万9165店、2月3万9662店、1月3万5001店、2019年12月3万5583店、11月3万5342店、10月3万5005店、9月3万5237店、8月3万5544店、7月3万5390店、6月3万5617店、5月3万5646店、4月3万5763店、3月3万5798店、2月3万6467店、1月3万6659店)が対象。

内訳はファーストフードの事業者数が56社(2020年12月54社、11月56社、10月61社、9月57社、8月57社、7月59社、6月52社、5月54社、4月50社、3月53社、2月55社、1月49社、2019年12月52社、11月50社、10月52社、9月51社、8月52社、7月52社、6月55社、5月57社、4月56社、3月57社、2月57社、1月56社)。

店舗数が2万1693店(2020年12月2万1774店、11月2万1807店、10月2万2003店、9月2万2093店、8月2万2070店、7月2万1635店、6月2万1806店、5月2万1703店、4月2万1821店、3月2万1552店、2月2万2261店、1月1万8957店、2019年12月1万9369店、11月1万9273店、10月1万9217店、9月1万9118店、8月1万9275店、7月1万9131店、6月1万9326店、5月1万9370店、4月1万9461店、3月1万9444店、2月1万9913店、1月2万0219店)。

ファミリーレストランの事業者数が63社(2020年12月が61社、11月56社、10月57社、9月60社、8月59社、7月56社、6月55社、5月56社、4月54社、3月55社、2月55社、1月50社、2019年12月50社、11月50社、10月51社、9月49社、8月49社、7月49社、6月52社、5月50社、4月52社、3月50社、2月57社、1月52社)。

店舗数が1万0096店(2020年12月1万0437店、11月1万0280店、10月1万0153店、9月1万0692店、8月1万0161店、7月1万0456店、6月1万0638店、5月1万0753店、4月1万376店、3月1万395店、2月1万534店、1月9556店、2019年12月9601店、11月9667店、10月9338店、9月9569店、8月9646店、7月9578店、6月9749店、5月9667店、4月9629店、3月9622店、2月9838店、1月9770店)。

パブ・居酒屋の事業者数が38社(2020年12月35社、11月38社、10月38社、9月38社、8月39社、7月34社、6月34社、5月35社、4月32社、3月36社、2月35社、1月34社、2019年12月33社、11月32社、10月31社、9月34社、8月31社、7月34社、6月35社、5月31社、4月33社、3月33社、2月33社、1月32社)。

店舗数が2484店(2020年12月2163店、11月2420店、10月2419店、9月2539店、8月2404店、7月2334店、6月2305店、5月2332店、4月2476店、3月2849店、2月2771店、1月2326店、2019年12月2254店、11月2253店、10月2198店、9月2401店、8月2312店、7月2366店、6月2335店、5月2317店、4月2366店、3月2395店、2月2378店、1月2296店)。

ディナーレストランの事業者数が30社(2020年12月28社、11月32社、10月31社、9月30社、8月33社、7月30社、6月28社、5月32社、4月26社、3月28社、2月29社、1月26社、2019年12月27社、11月26社、10月25社、9月26社、8月25社、7月26社、6月23社、5月25社、4月26社、3月25社、2月25社、1月26社)。

店舗数が998店(2020年12月1057店、20年11月1162店、10月1159店、9月1126店、8月1229店、7月1135店、6月1141店、5月1182店、4月1114店、3月1177店、2月1071店、1月983店、2019年12月1046店、11月1032店、10月991店、9月988店、8月1006店、7月911店、6月991店、5月997店、4月1003店、3月999店、2月1010店、1月1007店)。

喫茶の事業者数が17社(2020年12月19社、11月17社、10月18社、9月20社、8月21社、7月18社、6月17社、5月16社、4月14社、3月15社、2月14社、1月13社、2019年12月13社、11月12社、10月12社、9月13社、8月15社、7月14社、6月13社、5月13社、4月13社、3月15社、2月14社、1月14社)。

店舗数が1962店(2020年12月1992店、11月1830店、10月2014店、9月2055店、8月2053店、7月2062店、6月2067店、5月1886店、4月2004店、3月2049店、2月1876店、1月2042店、2019年12月2048店、11月1856店、10月2020店、9月2040店、8月2041店、7月2037店、6月2038店、5月2040店、4月2033店、3月2062店、2月2057店、1月2063店)。

外食産業(上場企業)の売上高上位4社の1月の既存店売上高は1位のゼンショーホールディングス(すき家、国内店舗数1945店)が同0.2%減と4カ月ぶりにマイナス、2位のすかいらーく(全グループ、国内外店舗数3107店)が同33.5%減と14カ月続けてマイナス、3位の日本マクドナルド(国内直営店とフランチャイズ店の店舗数2924店)が同18.7%増と7カ月続けてプラス、4位のコロワイド(全グループ、国内外2665店)が同33.9%減と11カ月続けてマイナスだった。

「2020年」(10.消えたの姉の出現<真鍋浩二(印刷会社営業、翔子の弟)>)

【モハンティ三智江のフィクションワールド=2021年2月26日】真鍋浩二は、北陸の小さな町で、父母亡き後の生家を守りながら、地元の印刷会社で営業社員として働いていた。10年前までは別の印刷会社で課長として活躍していたが、倒産の憂き目を見て失職、1年程ぶらぶらしていたが、再就職が決まって8年が過ぎていた。

定年まで4年余すのみとなった今は、もっぱら若い社員の育成に力を注ぐ日々で、長年培った知識や経験を請われるままに提供していた。

口下手で不器用な浩二は、見合いも何度かしたが、決まらず、58歳のこの歳まで独身を通してしまったが、3歳上の姉の翔子が5年前離婚して出戻り、以来、同居生活が始まっていた。

自分と違って、積極的で行動派の姉は、大学から東京に出て出版社でやり手の女性編集者として活躍していたが、38歳のとき、7歳下の美男と電撃結婚した。以後、フリーランスとなり、家庭と仕事を両立させてきたが、子に恵まれす、夫が若い女を作って妊娠させたことで、離婚を余儀なくされたのだ。

気の強い姉は、ほかの女に走った古亭主など、こちらから願い下げと、さも自ら三行半を突きつけてやったようなせいせいした面持ちで負け惜しみを言ったが、4半世紀に及ぶ結婚生活に終止符を打ったことは、大きな痛手だったようだ。

56歳という年齢で、年々仕事も減ってこれからどうしようかと行き暮れているようなので、実家に戻ることを勧めた。親が遺した金もいくらかあるし、姉1人の食い扶持くらいは何とかなったからだ。案外、素直に聞き入れて、出戻ったあとは、もっぱら校正の仕事を生計の手段としていた。

浩二の口利きて、印刷会社の出版物の校正を請け負うこともあったが、大半は東京時代に培ったコネで仕事を取ってのリモートワークだった。亡母に似て旅好きの姉は年に一度海外旅行に出るのを楽しみにしており、特に遺跡には目がなく、こつこつと貯めた金は旅費に消えるのが常だった。

そんな姉の恒例の行事の一環で、今年の2月下旬にインドに旅立ったのである。亡き母も行きたがっていた世界遺産に登録されたアジャンタ・エローラ遺跡を見に行くと言って、意気揚々と実家を後にしたのだ。が、ひと月後、折悪しく、コロナ下の都市封鎖に遭遇し、以後、5カ月余りも西インドの商都ムンバイにとどまる羽目を余儀なくされた。

メールでしょっちゅう連絡は取っていたが、8月半ば臨時便で帰国するとの通知が届いたときは、心底ほっとした。

ところが、待てど暮らせど帰ることはなく、以後、連絡すら途絶えてしまったのだ。姉は一体、どこに消えたのか。現地の日本領事館にも連絡を取ったが、行方はようとして掴めなかった。

少しでも何かの手がかりになればと、占い好きの姉にあやかって、関連動画を探るうちに、インド在住の女性が発信しているタロット占いを見つけた。

わらにも縋るような思いで相談すると、怪しげな回答が返ってきて、短気性の自分は切れた。が、最後に彼女が投げた、クマリとかいうタロット占い師のことがなぜか妙に鼓膜に引っかかり、ある日思いついてサーチしてみた。

個人セッションで、クマリは姉がまもなく、戻ってくると予知したが、それが当たったように、3日と経たないうちに待ち焦がれた身内からの電話連絡が突然、入ったのだ。

「浩ちゃん、私。長いこと、連絡しなくてごめんね。今羽田、抗原検査は陰性だったから、ホテルで2週間の隔離を終えたら、戻るわ」
「無事だったのかー。心配したぞう。一体、今までどこに雲隠れしとったんや。俺がどんなに心配したことか、ほんとどこ行っとったんや」
「ごめん。詳しくはまた帰ってから、話すから」
姉はこちらの矢継ぎ早の質問には一切答えず、がちゃんと電話を切った。行方を絶ってから、3カ月が経っていた。

姉が戻った夜は、寿司を取ってビールで乾杯したが、日本は、第3波が忍び寄っており、姉弟間でも距離を保ち、飲食後はマスク越しの会話だった。

「3カ月も、どこに雲隠れしとったんや」
「空港の検疫でちょっと咳をしたら、引っかかってパスさせてもらえなかったの。しょうがなしに都心に戻って、お金もあんまりなかったから、安宿を探して落ち着いたんだけど、薄汚い木賃宿でWiFiの設備がなくて以後、連絡が取れなくなってしまったのよ」

何とも歯切れの悪い、要領を得ない応答だった。
「それにしたって、ネットカフェとかあるだろう、連絡のひとつくらい」
「感染爆発都市で厳格なロックダウン中だったから、外出もままならなかったのよ」

納得いかなかったが、本人がそれ以上話そうとしないので、諦めた。こうして、無事帰ってきてくれただけでも充分だった。
「それにしても、クマリの予言は当たったなぁ」
とぽつんと呟くと、姉がぎょっとした面相になって、大きな声で問い返した。
「クマリ?!」
「ああ、姉ちゃんの居所を占ってもらったんだよ。有名なタロット占い師だよ」
「なんて言ったの」
「まもなく帰るって。そしたら、3日とたたないうちにほんとに」
「あんたがそんな占い信じるなんて」
「姉ちゃん、タロット好きだったろう。わらにも縋る思いだよ」
「どこでクマリを知ったの」
「インドのリシケシ在住のやはりタロット占い師からの紹介だよ」
姉は奇妙に黙り込んでしまった。それから、ふらりと立ち上がって、
「疲れたから、もう寝るわ。お寿司ご馳走さま。いろいろ心配かけてごめんね」
2階の寝室に上がりかけた。

「部屋はきれいに掃除してあるから、今夜はゆっくり住み慣れた家の清潔なシーツと布団にくるまって安心して眠りな。あ、そうそう、机の上に姉ちゃんの行ったインドの世界遺産を特集したタウン誌載せといたから、明日にでも読んでみや。なかなかよく書けとるから。思えば、死んだ母ちゃんも行きたがっとったなあ」
「タウン誌って、ひょっとしてフェニックス?」
「ほや。特派員記者が現地取材しただけに、壮大な遺跡の迫力が伝わってくるわ」
「わかった、後でね。じゃあ、おやすみ。あのね、私、うちに無事帰ってこれてほんとほっとしてる。あんたにも、ひどく心配かけたけど。いろいろありがとね」
階段の中途で振り向きざま、にっこり笑った顔の目が少し潤んでいるような気がした。

姉のやや猫背気味の後ろ姿は、年相応の老いと濃い疲弊が滲んでいたが、脱力に凪いでいた。浩二は、たった1人の身内の存在を心底愛おしく思い、生死もわからず、安否不明で死ぬほど心配させられた3カ月間の心労がすーっと溶けていくようであった。寿司桶に余ったかっぱ巻を口中に放り込むと、コップのビールの残りを一気に空けた。(「2020年」はモハンティ三智江さんがインドで隔離生活を送る中、創作活動にも広げており、「インド発コロナ観戦記」とは別に、短編など小説に限定してひとつのタイトルで掲載します。本人の希望で画像は使いません)。