朝日新聞、史上最大の33回優勝達成で白鵬写真展

【銀座新聞ニュース=2015年2月20日】朝日新聞社(中央区築地5-3-2、03-3545-0131)は2月20日から26日まで有楽町朝日ギャラリー(千代田区有楽町2-5-1、有楽町マリオン11階)で「横綱白鵬関 幕内最多33回優勝記念報道写真展-未踏峰へ」を開催する。

大相撲の横綱で、宮城野部屋所属の白鵬翔(はくほう・しょう)さんが1月場所で15戦全勝により、元横綱の大鵬幸喜(たいほう・こうき、1940-2013)が保持していた幕内最高優勝記録である32回を上回る33回目の優勝を遂げたのを記念して、一般社団法人「白鵬ドリーム基金」と共同で写真展を開く。

会場では白鵬翔さんが提供した生い立ちから入門するまでの足跡の写真や、朝日新聞社が所有する初土俵から優勝33回にいたる道のりの写真約60点で振り返る。また、白鵬翔さんゆかりの品なども展示する。

ウイキペディアなどによると、白鵬翔さんは1985年モンゴル国ウランバートル市生まれ、本名はムンフバティーン・ダワージャルガル(Monkhbatyn Davaajargal、日本相撲協会公式表記・ムンフバト・ダヴァジャルガル)さん。父親のジグジドゥ・ムンフバトさんは「ブフ(モンゴル相撲)」で5年連続6度の優勝をした元アヴァルガ(大相撲の横綱)で、1968年のメキシコ五輪のレスリング重量級で銀メダルを獲得し、モンゴル初の五輪メダリストとして国民的英雄となっている。

母ウルジーウタス・タミルさんは元外科医で、モンゴル帝国の初代皇帝、チンギス・ハーン(Cinggis Qan、漢字・成吉思汗、1162ころ-1227ころ)の流れを汲む家柄出身とされている。モンゴルの中等教育学校を卒業、同じモンゴル出身の旭鷲山昇(きょくしゅうざん・のぼる、ダワーギーン・バトバヤル=Davaagiin Batbayar)さんのつてで、2000年10月25日に6人のモンゴル人と共に来日した。

「摂津倉庫」で相撲を習い、宮城野(元幕内・竹葉山真邦=ちくばやま・まさくに)さんの部屋に入り、2001年3月場所で初土俵、5月場所で3勝4敗の成績で、序ノ口で負け越しを経験した。2003年11月場所で東幕下9枚目で6勝1敗の好成績を上げ、2004年1月場所で新十両に昇進、十両2場所目で優勝し、十両を2場所で通過し、入門から3年で入幕した。2004年5月場所で新入幕、12勝3敗で敢闘賞、11月場所で12勝3敗により殊勲賞、2005年1月場所で新三役(西小結)の番付けで、11勝4敗により技能賞を受賞した。しかし、7月場所で中日(なかび)にケガを負い、初めて休場を強いられ、9月場所で平幕落ちした。

11月場所で2場所ぶりに小結に復帰し、2006年3月場所で、13勝2敗により大関昇進を決めた。この際に、優勝決定戦となり、朝青龍明徳(あさしょうりゅう・あきのり、本名はドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ=Dolgorsurengiin Dagvadorj)さんとの対戦で、朝青龍さんに敗れたものの、技能賞と殊勲賞を獲得した。また、この一番はモンゴル国内ではテレビの瞬間視聴率が93パーセントを記録したという。

2006年5月場所で14勝1敗により初優勝、7月場所で13勝2敗だったが、横綱昇進を見送られた。11月場所はケガにより初めて全休した。2007年2月に当時学習院大学生だった和田紗代子(わだ・さよこ)さんと結婚し、5月10日に長女が誕生した。義父は実業家で、元朝青龍全国後援会長の和田友良(わだ・ともよし)さん。

2007年5月場所で初の15戦全勝優勝を達成し、第69代横綱昇進を決めた。9月場所で13勝2敗により横綱昇進後初となる通算4度目の優勝、11月場所でも5回目の優勝を果たし、2007年は年間最多勝(74勝16敗)を受賞した。2010年5月に起きた大相撲野球賭博問題に関連し、花札で金を賭けていたことを上申書で申告したが、賭け金が軽微とみなされ、厳重注意にとどまった。7月場所では全勝優勝を果たし、9月場所でも全勝優勝で双葉山定次(ふたばやま・さだじ、1912-1968)、大鵬幸喜と並び、連勝記録も62とした。しかし、11月場所で2日目に敗れ、連勝記録が63で止まった。

2013年3月場所で9度目の全勝優勝を決め、全勝優勝回数でも双葉山、大鵬を抜いて歴代単独1位となり、2014年9月場所で14勝1敗で千代の富士貢(ちよのふじ・みつぐ)さんと並ぶ史上2位の通算31度目の幕内優勝を達成、11月場所で大鵬の優勝回数に並ぶ32回目の優勝を果たし、2015年1月場所で15戦全勝により、33回目の優勝を遂げ、史上最速で幕内800勝も達成した。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)まで。入場は無料。