GWは洗濯、合間にトーハクで800年前の茶碗に目の保養(232)

【tamaoのOL独り言=2017年5月11日】薫風吹く季節です。みなさまゴールデンウイーク(GW)はいかがお過ごしでしょうか。普段できないことといって、なんか洗濯ばかりしていた私。でもGWというと行きたくなる場所に今年も行って来ましたよ。

それは上野の東京国立博物館(以下トーハク)。今年は茶の湯展ということでワクワクしながら行きました。期待通りのお宝にお客さまをかき分けて、いやいや並んで辛抱強く見ました。辛抱しても見る価値のある本当に名品ばかり。

曜変天目茶碗、千利休(せんのりきゅう、1522-1591)の自筆の掛け軸、トーハク所有の重要文化財である青磁輪花碗 (銘 馬蝗絆=めいばこうはん)、国宝 志野茶碗(銘 卯花墻=うのはながき)、そして見に行った時期の特別展示で益田鈍翁(ますだ・たかし、1848-1938)のお道具が飾られていたけど、すべて現在だから見ることができるもの。その時代では私たち庶民、いや庶民でなくても見ることのできないお宝揃いだった。

もう飾られていないけど(5月7日で終了)、曜変天目茶碗には宇宙を感じるんだよね。12世紀から13世紀にできたものと言われているけれども、作った人は宇宙を意識していたのだろうか?

それとも池にいたアメンボがその輪を作る様を表現したのだろうか?意外とアメンボの偶然が奇跡を生んだのかもしれないね。何しろ現在の科学をもってしても容易に作れないというのだから。

それを800年大事にお宝として残っていることは本当にすごいことで、見つめることしかできないけれど、ありがたいことだと思います。

約300点が並んでいたのですが、単純計算で1点が1000万円だとして掛ける300点イコール35億って最近の流行りか!!いやいや、もしかして1点が35億超かもしれない、恐ろしいほどの名品揃い。

曜変天目茶碗はもう見れないけれども、他にもたくさんお宝があるので、機会があればぜひ見にいって欲しいです。5月23日から横浜にある三渓園の名前の由来である原三溪(はら・さんけい、1868-1939)のお宝がでてくるらしい。あーあー、今年もあっという間にGW終わっちゃった!(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。

注:ウイキペディアによると、東京国立博物館は1872(明治5)年に創設された、日本最古の博物館で、台東区の上野恩賜公園内にある。1872年3月に、その前年の1871年に設置された文部省博物局により、日本最初の「博覧会」が湯島聖堂大成殿(現東京都文京区湯島)で開かれ、当時の広告や入場券には「文部省博物館」と明記され、東京国立博物館は1872年を創設の年としている。

1873年、「文部省博物館」は太政官正院の「博覧会事務局」(1872年設置)に併合され、場所も湯島から内山下町(現千代田区内幸町)に移転し、1875年に「博覧会事務局」は「博物館」と改称され、内務省の管轄となった(博物館は1875年に一時「内務省第六局」と改称され、1876年に「博物館」に改称)。

1876年、町田久成(まちだ・ひさなり、1838-1897)が博物館長に任命され、東京国立博物館では町田を初代館長とし、博物館の裏庭には町田の顕彰碑が建立されている。博物館の所管官庁は、1881(明治14)年に農商務省、1886(明治19)年に宮内省へと変わった。

1877年、上野の寛永寺本坊跡地(後に東京国立博物館の敷地)で第1回内国勧業博覧会が開かれ、展示館の1つ「美術館」は、日本で最初に「美術館」と称した建物として知られる。1881年、上野公園の寛永寺本坊跡に煉瓦造2階建の本館が完成し、英国人建築家のジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852-1920)が設計した。

本館は、同年上野で開催された第2回内国勧業博覧会の展示館として使用され、1882年3月から博物館の本館として使われるようになった。4年前の第1回内国勧業博覧会の際に建てられた「美術館」は新博物館の「2号館」として活用されたが、1923年の関東大震災で本館、2号館共に損壊し、現存しない。上野での開館式は1882年3月20日に明治天皇(めいじてんのう、1852-1912)の行幸を得て行われた。

博物館とともに設置準備が進められていた付属動物園(恩賜上野動物園の前身)もこの時に開園し、同年9月20日に旧浅草文庫の書籍の公開が開始されている。初期の博物館は、美術館、自然史博物館、動物園、図書館を含む総合文化施設であった。1889年に「帝国博物館」と改称され、九鬼隆一(くき・りゅういち、1852-1931)が総長となった。

当時の帝国博物館美術部長は岡倉天心(おかくら・てんしん、1863-1913)であり、アメリカから来た哲学者・美術史家のアーネスト・フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa、1853-1908)も美術部理事を務めていた。1924年に動物園が博物館から分離された。この年、動物園を含む上野公園が宮内省から東京市に下賜され、同年、博物館の天産部も廃止され、同部に属していた動植物の標本などの陳列列は、同年から1925年にかけて、文部省管轄の東京博物館(国立科学博物館の前身)へ移された。

1900年に上野の帝国博物館内に新たな美術館を建造することになり、宮廷建築家片山東熊(かたやま・とうくま、1854-1917)の設計による新美術館は、1901年に着工されたが、基礎補強に時間を要し、設計変更もあり、日露戦争の影響などにより工事は長引き、7年後の1908年に竣工、1909年に開館した。石造および煉瓦造2階建て、ネオ・ルネサンス様式のこの新美術館は「表慶館」と名付けられた。

関東大地震により、本館、2号館、3号館が大破し、本館復興までの十数年間、陳列は「表慶館」のみで行われた。1931年4月に設計案の公募が締め切られ、273点の応募作のなかから渡辺仁(わたなべ・じん、1887-1973)の案が採用され、渡辺案をもとに宮内省臨時帝室博物館営繕課で実施設計を行い、1932年12月に着工、1937年11月に竣工、1938年11月に開館した。

これが現存する鉄骨鉄筋コンクリート造2階建ての東京国立博物館本館(重要文化財)である。1947年5月に新憲法公布の日をもって、帝室博物館は「国立博物館」と改称され、所管は宮内省から文部省へ移り、1952年に文部省の機構変更にともない「東京国立博物館」と改称され、国立移管後の初代館長は安倍能成(あべ・よししげ、1883-1966)が就任した。

機構面では、1950年に「文化財保護委員会」が設置されると、東京国立博物館は同委員会の付属機関となり、同委員会が1968年に廃止され、「文化庁」が新設されると、博物館は文化庁の付属機関となった。中央省庁再編に伴う独立行政法人制度が発足した2001年には、「独立行政法人国立博物館」の管轄下に移り、2007年に独立行政法人国立文化財機構の施設となった。

現在、本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館などの施設で構成され、2016年8月時点で、国宝88件、重要文化財634件を含む収蔵品総数は11万6933件ある。ほかに、国宝55件、重要文化財258件を含む総数3072件の寄託品も収蔵している。2015年度の陳列総件数は約7200件で、来館者数は約199万人となっている。

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