行幸地下で近代美フィルムが仏日露のポスター展

【銀座新聞ニュース=2017年11月8日】日本で唯一の国立映画機関で、映画の博物館、資料館の機能を有する東京国立近代美術館フィルムセンター(中央区京橋3-7-6、03-5777-8600)は11月10日から12月25日まで「行幸地下ギャラリー」(千代田区丸の内2-4-1、行幸通り地下)で東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵による「映画ポスター名品選」を開く。

東京国立近代美術館フィルムセンターが11月10日から12月25日まで行幸地下ギャラリーで開くセンター所蔵による「映画ポスター名品選」に展示される「忠次旅日記 御用編」(1927年)のポスター。

東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵する映画ポスターのうち、歴史的に価値のある3つのコレクションから10点ずつを選び、計30点を展示する(デジタル画像による複製)。

東京国立近代美術館フィルムセンターでは「街路に貼られてきたポスターというメディアを、もう一度街中に呼び戻す試み」であり、「20世紀以来世界の民衆を魅了してきた、映画という文化の豊かさを再発見する機会」としている。

今回は「戦後期フランス映画のポスター(新外映コレクション)」と「戦前期日本の映画ポスター(みそのコレクションなど)」、それに「無声期ソビエト映画のポスター(袋一平=ふくろ・いっぺい、1897-1971=コレクション)」を紹介する。

「戦後期フランス映画のポスター」は1947年(前身は「フランス映画輸出組合日本事務所」で、設立は1952年)から1963年まで存在し、主にフランス映画を配給した「新外映配給株式会社」(1947-1963)が戦後にジャック・タチ(Jacques Tati、1907-1982)、ロベール・ブレッソン(Robert Bresson、1901-1999)、ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard、1930年生まれ)さんらの監督を日本に初めて紹介したことから「新外映コレクション」として10点を展示する。

「戦前期日本の映画ポスター」は日本を代表する映画資料コレクターの御園京平(みその・きょうへい、1919-2000)のコレクションなどから10点を展示する。

「無声期ソビエト映画のポスター」は東京外国語学校ロシア語科を卒業し、ロシア語訳を専門とし、ロシア映画研究家だった袋一平(ふくろ・いっぺい、1897-1971)が1930年にソビエト・ロシアにわたり、ロシア・アヴァンギャルド作品を含む映画ポスターを日本にもたらしており、そのコレクションから10点を展示する。

東京国立近代美術館フィルムセンターのデジタル化作業は2017年度の美術館・歴史博物館重点分野推進支援事業のひとつ「文化芸術振興費補助金」の「映画におけるデジタル保存・活用に関する調査研究(BDCプロジェクト)」の事業として実現したものとしている。

ウイキペディアによると、映画ポスターは映画の上映時に使われる映画宣伝のためのポスターのことで、本来は非売品であり、「オリジナル・ポスター」と呼ばれる。しかし、サイズを変えて販売用としての映画ポスターもあり、「リプリント」と呼ばれて、オリジナル・ポスターと区別されている。

日本のポスターは、B2サイズ(タテ515ミリ、ヨコ728ミリ)だったが、最近はB1サイズ(タテ728ミリ、ヨコ1030ミリ)と大きくなっている。アメリカのポスターは、US1sheet(ワン・シート1、タテ101センチ、ヨコ68センチ)、英国はUKQuad(クアッド、タテ78センチ、ヨコ101センチ)、フランスのサイズはミニ(ヨコ55センチ、タテ38センチ)、ミディアム(ヨコ60センチ、タテ80センチ)、ラージィサイズ(ヨコ120センチ 、タテ160センチ)とある。

東京国立近代美術館フィルムセンターによると、映画ポスターは、その多くが制作、配給会社のコントロールのもとで匿名的に作れられてきたが、中には自立したグラフィック作品としての価値を主張するポスターも存在する。
生涯に1000点を超える映画ポスターを描いたといわれ、ヨーロッパ映画の芳醇なポスターで一時代を築いた野口久光(のぐち・ひさみつ、1909-1994)や1930年代の松竹映画で活躍した河野鷹思(こうの・たかし、1906-1999)のほか、戦後には挿絵作家の岩田専太郎(いわた・せんたろう、1901-1974)も鮮やかな女性像を描いた映画ポスターなど、映画黄金期にはさまざまな才能が映画界と交差したという。

日本アート・シアター・ギルド(ATG)の登場した1960年代には、映画の革新の動きに並走するかのように若手デザイナーが起用され、映画、美術、文学、演劇などのジャンルが絡まり合う中で、粟津潔(あわづ・きよし、1929-2009)、横尾忠則(よこお・ただのり、1936年生まれ)さん、和田誠(わだ・まこと、1936年生まれ)さんといったデザイナーが登場し、旧来の映画ポスターのスタイルを変容させたとしている。

東京国立近代美術館フィルムセンターは1952年12月に文部省設置法(法律第168号)により、中央区京橋の旧日活本社ビルの土地と建物を購入し、日本初の国立美術館(文部省所轄)として開館し、1969年6月に千代田区北の丸公園の一画に新館を建設し、新たに本館として再開館した後を受けて、1970年5月に京橋の旧本館が東京国立近代美術館フィルムセンターとして開館した。

1984年9月にフィルムセンター収蔵庫にて出火し、建物の一部と外国映画フィルムの一部を焼失したことから特別施設が必要との声が上がり、1984年10月に大蔵省(当時)からアメリカ軍キャンプ淵野辺跡地の土地所管換がなされたのを受けて、1986年に神奈川県相模原市にフィルムセンター相模原分館を完成した。1991年1月にフィルムセンター京橋本館老朽化に伴い建て替えることになり、工事に着手、1994年に工事が完成、1995年5月に京橋本館が再開館し、同時に「写真部門」を設置した。

4万本以上の映画フィルムのほか、御園京平(みその・きょうへい、1919-2000)の旧蔵品、約6万点におよぶ国内最大級のコレクション「みそのコレクション」を中心としたスチル写真、ポスター、脚本、書籍などの映画関連資料を所蔵している。

また、2010年末に相模原分館の新棟が完成し、映画フィルム保存庫の増床と映画関連資料庫が新設されている。

注:「忠次旅日記 御用編」の「編」は正しくは「糸へん」をとって「竹かんむり」を付けた漢字です。名詞は原則として現代漢字(常用漢字)を使っています。