東京メトロ90周年で幻の万世橋駅と神宮前駅をライトアップ

【銀座新聞ニュース=2017年11月30日】国内最大の地下鉄、東京地下鉄(東京メトロ、台東区東上野3-19-6、03-3837-7077)は12月1日10時から18日終電まで銀座線の幻の駅「万世橋駅」と「神宮前駅」をライトアップする。

東京メトロが12月1日10時から18日終電までライトアップする銀座線の幻の駅「万世橋駅」。

過去に銀座線の駅として存在し、現在は使われていない幻の駅「万世橋駅(まんせいばしえき)」と「神宮前駅(じんぐうまええき)」をライトアップするイベントで、「万世橋駅」は神田駅と末広町駅間で神田駅から約650メートル、末広町駅から約500メートル地点で、浅草方面のみ5メートルを照らす。「神宮前駅(旧表参道駅)」は渋谷駅と表参道駅間で、表参道駅から約5メートル地点で、30メートルにわたって照らし、銀座線からのみ見える。

1927(昭和2)年12月30日金曜日に開業した銀座線で、現在使われていない駅の遺構が残されているのは、新橋駅の「幻のホーム」、表参道駅の「旧神宮前駅ホーム」、「万世橋駅跡」の3カ所しかない。今回は地下鉄開通90周年を記念して、その2つをライトで照らす。

同じく幻の「神宮前駅」。

ウイキペディアによると、東京地下鉄道の万世橋仮停留場は、東京府東京市神田区にあった東京地下鉄道(現東京メトロ銀座線)の廃仮駅で、末広町駅と神田駅間で1930(昭和5)年1月1日から1931(昭和6)年11月21日までのわずか2年足らず営業された。1927(昭和2)年12月30日に浅草駅と上野駅間に東京初の地下鉄を開通させた東京地下鉄道が新橋をめざして開削工法による南下延伸を続けた。

しかし、神田川底を通り抜けるには水路を一時変更する必要があり、交通量の多い万世橋も掛け替えなければならないなど、長い工期が見込まれたため、それらが完工するまでの暫定的な停留所として1930年1月1日に「万世橋仮停留場」が開業した。仮駅は万世橋交差点の中央通り(国道17号)北詰(現秋葉原電気街側)に位置し、末広町駅からの神田方面行き上り線路を用いて、2両編成の運行本数の半分が仮駅を終着始発として単線折り返し運転されていた。

国鉄(省線)万世橋駅への乗り換えと、その南北の須田町、万世橋両交差点は東京市電のハブでもあり、連絡が便利で好評だった。しかし、急勾配でカーブ開始区間にあるため、常設駅を構えることができず、1931(昭和6)年11月21日の神田駅延伸開業に伴い同日廃止され、道床上の仮設物は前日一夜で撤去された。

さらに、用途廃止後、換気口兼作業員進入口になっている出入口跡は、現在の「エディオンアキバ(AKIBA)」前の歩道上にあり、光線条件がよければ填(しず)められているグレーチングの隙間から階段が目視できていたが、後に網目の細かい物に交換され、現在は目視で確認できない。

地下フロア跡は設備室兼物置に転用され、線路脇に開口しているが、駅名板が存在するものの、改札口跡はほとんどが壁で塞がれているため、トンネルの天井が丸く少し高く、当該区間のみ間柱がない程度にしか仮駅の痕跡が見当たらない。国鉄万世橋駅や、銀座線の廃駅である東京高速鉄道旧新橋駅とは異なり、駅間で速度が乗る区間でもあり、一瞬にして通り過ぎてしまう。

東京メトロ1000系電車が2012年春に銀座線へ導入されるのに伴い開設された銀座線1000系スペシャルサイト の「駅物語」では、万世橋駅の紹介ページが設置され、駅ナンバリングは「G幻」とされている。

ちなみに、国鉄中央本線「万世橋駅」は神田駅と御茶ノ水駅との間にあり、私鉄の甲武鉄道が1889(明治22)年4月11日に立川と新宿間を開通し、都心への延伸を進め、1912(明治45)年4月1日に「万世橋駅」の営業を開始した。甲武鉄道は1906(明治39)年3月31日に鉄道国有法により国有化され、鉄道院の駅となり、万世橋駅の開業によって御茶ノ水と万世橋の間にあった「昌平橋駅」は廃止された。

万世橋駅は東京駅と同様に辰野金吾(たつの・きんご、1854-1919)の設計による赤煉瓦造りで、1等、2等待合室、食堂、バー、会議室などを備え、貨物用のエレベーターも整備されていた。中央本線のターミナルとしてだけでなく、ここから両国駅方面への総武線の敷設計画をも見据えていた。駅前には広場が設けられ、日露戦争(1904年から1905年)の英雄である広瀬武夫(ひろせ・たけお、1868-1904)と杉野孫七(すぎの・まごしち、1867-1904)の銅像が建っていた(1945年以降撤去された)。

東京市電が走り、多くの人で賑わい、大正時代に最盛期を迎えた。しかし、万世橋駅の開業後に、東京駅が完成し、1919(大正8)年3月1日に万世橋駅と東京駅間が開通し、中央本線の起終点としての役目は7年で終わり、同年に神田駅が開業し、1925(大正14)年11月1日には上野駅と神田駅間の高架線が完成し、秋葉原駅が旅客営業を始めた。

これに対して、万世橋駅は1923(大正12)年の関東大震災により駅舎が焼失、遺体安置所に利用された後、簡素な駅舎が再建されたものの、徒歩圏内に神田駅と秋葉原駅があり、上野駅と神田駅の路線ができたことで、東京以南から上野・浅草方面への市電乗り換え駅としての地位を失い、乗客数が急減し、須田町交差点が移転し、1929(昭和4)年以降は市電も通らなくなった。

1936(昭和11)年4月25日に東京駅から鉄道博物館が移転し、駅舎は解体縮小され、博物館に併設された小屋となり、駅構内にあった階段の一部は博物館への直通連絡口に使われ、1943(昭和1)年11月1日に駅は休止(実質上廃止)となり、駅舎は交通博物館部分を除いて取り壊された。駅舎の一部は交通博物館に転用されたが、2006年5月14日に閉鎖され、2010年6月までにすべてが取り壊された。

一方、「神宮前駅」は1938(昭和13)年11月18日に東京高速鉄道(1934年に設立され、1941年7月4日に東京地下鉄道、ペーパー会社の京浜地下鉄道とともに「帝都高速度交通営団」として統合)が「青山六丁目駅 (現表参道駅)」と虎ノ門駅間を開業し、1939(昭和14)年9月16日に青山六丁目駅を「神宮前駅」と改称した。

1941(昭和16)年9月1日に帝都高速度交通営団に駅施設などを譲渡し、1954年8月27日に神宮前駅の拡張工事が決定され、1957年7月1日に神宮前駅ホームが6両対応に延長され、1972年10月20日に千代田線「表参道駅」が現在地に開業し、銀座線の駅名も同名に改称し、神宮前の駅名は明治神宮前駅に引き継がれた。

1976年にホームを180メートルほど浅草方面に移設し、 1978年に開業した半蔵門線と同じホームを使用することとなり、旧ホームは工事上の都合からそのままの形で残され、現在は機器類の保管場所などに利用され、関係者以外は立ち入り禁止になっている。

注:「万世橋」の「万」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として現代漢字(常用漢字)を使用しています。