丸善丸の内で「日本の神話古事記えほん」原画展

【銀座新聞ニュース=2017年12月22日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ、03-5288-8881)は12月23日から2018年1月22日まで3階児童書売り場壁面ギャラリーで「日本の神話 古事記えほんシリーズ」の原画展を開く。

丸善・丸の内本店で12月23日から2018年1月22日まで開かれる「日本の神話 古事記えほんシリーズ」の原画展に展示される第5巻「国づくりのはなし-オオクニヌシとスクナビコナ」の表紙。

「日本の神話 古事記えほん」シリーズ(小学館)は2016年4月から刊行されている絵本で、2017年10月18日に第5巻「国づくりのはなし-オオクニヌシとスクナビコナ」(イラストは早川純子=はやかわ・じゅんこ=さん、税別1700円)が刊行されたのを記念して原画展を開く。

日本の神話「古事記(こじき)」を基にしており、全体の監修が千葉大学名誉教授、古代文学、伝承文学を専門とする三浦佑之(みうら・すけゆき)さん、文章が荻原規子(おぎわら・のりこ)さんで、イラストは毎回、変わる。

イラストは第1巻「国生みのはなし-イザナキとイザナミ」が斎藤隆夫(さいとう・たかお)さん、第2巻「天の岩屋-アマテラスとスサノオ」(2016年6月)が大畑(おおはた)いくのさん、第3巻「やまたのおろち-スサノオとクシナダヒメ」(2016年9月)が伊藤秀男(いとう・ひでお)さん、第4巻「いなばの白うさぎ-オオナムヂとヤガミヒメ」(2016年11月)が山村浩二(やまむら・こうじ)さんが担当している。

ウイキペディアによると、古事記は日本最古の歴史書で、その序によると、712(和銅5)年に太安万侶(おおの・やすまろ、生年不詳-723)が編さんし、元明天皇(げんめいてんのう、661-721)に献上された。

原本は現存せず、幾つかの写本が伝わる。成立年代は、写本の序に記された「和銅5年正月28日」(712年3月9日)によって、8世紀初めに措定され、内容は、神代における天地の始まりから推古天皇(すいこてんのう、554-628)の時代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説などを含む)が紀伝体で記載されている。また、数多くの歌謡も含まれている。また「高天原(たかまがはら)」という語が多用される点でも特徴的な文書とされている。

「古事記」は「日本書紀」のような勅選の正史ではないとされているが、序文で天武天皇(てんむ・てんのう、生年不詳-686)が「選録帝紀」と記載していることから「勅選」とも考えられている。史料の上では、序文に書かれた成立過程や皇室の関与に不明な点や矛盾点が多いとする見解もある。

また、「古事記」は、歴史書であるが、文学的な価値も高く評価され、神典の1つとして、神道を中心に日本の宗教文化、精神文化に多大な影響を与え、古事記に現れる神々は、現在では多くの神社で祭神として祀られている。

中大兄皇子(なかの・おおえのおうじ、天智天皇=てんぢてんのう、 626-672)らによる蘇我入鹿(そがの・いるか、生年不詳-645)暗殺事件(乙巳の変=いっしのへん、おっしのへん)に憤慨した入鹿の父親、蘇我蝦夷(そがの・えみし、生年不詳-645)は大邸宅に火をかけ自害し、この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上したと言われている。

「天皇記」など多くの歴史書がこの時に失われ、「国記」は難を逃れ天智天皇に献上されたとされるが、共に現存しない。天智天皇は白村江の戦い(663年)で唐と新羅連合に敗北し、予想された渡海攻撃への準備のため記紀編さんの余裕はなかった。その時点で既に諸家の帝紀及本辞(旧辞)には虚実がない交ぜられていた。

壬申の乱(じんしんのらん、672年)後、天智天皇の弟、天武天皇が即位し、「天皇記」や焼けて欠けてしまった「国記」に代わる国史の編さんを命じ、28歳の稗田阿礼(ひえだの・あれ、生没年不詳)の記憶と帝紀及本辞(旧辞)など数多くの文献を元に古事記が編さんされた。

成立の経緯を記す序によると、天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた「帝皇日継」(天皇の系譜)と「先代旧辞」(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編さんしたものとされている。また、書名の「古事記」は、作成当時においては古い書物を示す一般名詞であったことから、正式名ではないといわれる。

「古事記」は帝紀的部分と旧辞的部分とから成り、上つ巻(序・神話)、中つ巻(初代から15代天皇まで)、下つ巻(第16代から33代天皇まで)の3巻より成っている。「帝紀」は初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃、皇子、皇女の名、及びその子孫の氏族などと、皇居の名、治世年数、崩年干支、寿命、陵墓所在地、及びその治世の主な出来事などを記している。

これらは朝廷の語部などが暗誦して天皇の「大葬のもがり」の祭儀などで誦み上げる慣習であったが、6世紀半ばになると文字によって書き表された。「旧辞」は、宮廷内の物語、皇室や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものとされている。

開場時間は9時から21時(最終日は20時)。