日本橋三越でA・ヘプバーン展、M・ショウ、B・ウィロビーら200点

【銀座新聞ニュース=2018年1月9日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は1月10日から22日まで新館7階ギャラリーで「写真展 オードリー・ヘプバーン」を開く。

日本橋三越で1月10日から22日まで開かれる「写真展 オードリー・ヘプバーン」のhらイヤー((C)Mark Shaw)。

ベルギー出身の英国人女優で、「ローマの休日」(Roman Holiday、1953年)でアカデミー主演女優賞を受賞したオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn、1929-1993)について、1950年、1960年代の姿をファッション、映画、プライベートの3編で構成し、アメリカ・カリフォルニアの「mptv社」の所蔵ずる1500点のオードリー写真コレクションより、写真家のマーク・ショウ(Mark Shaw、1921-1969)、ボブ・ウィロビー(Bob Willoughby、1927-2009)らハリウッドの写真家による作品約200点を展示する。

マーク・ショウは1953年の「ローマの休日」に出演しているオードリー・ヘプバーンのスタジオ以外の1条生活を中心に撮影している。また、ボブ・ウィロビーは1953年の「ローマの休日」に出演中のオードリー・ヘプバーンを撮影したのをはじめ、1958年の「緑の館」、1962年の「パリで一緒に」、1963年の「マイ・フェア・レディ」などの出演時にも撮影している。

ウイキペディアによると、オードリー・ヘプバーンは1929年5月4日ベルギー・ブリュッセルのイクセル生まれ、幼少期をベルギー、イングランド、オランダで過ごし、父親がナチズムの信奉者で、子どもたちの子守と性的関係を持ち、母親がこのことを知ると、父親は家を捨てて出て行った。その後1960年代になってから、赤十字社の活動を通じて父親とダブリンで再会している。

1939年から1945年にわたってオランダのアーネム音楽院に通い、バレエを学んだ。その後、オランダのヘルダーラントのフェルプ近郊へ移ったが、大戦中に栄養失調に苦しみ、重度の貧血と呼吸器障害、浮腫に悩まされ、1948年にバレエを学ぶためロンドンへとわたり、英国で数本の映画に出演した後、1951年のブロードウェイ舞台作品「ジジ」で主役を演じ、1953年に「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を獲得した。

その後も「麗しのサブリナ」(1954年)、「尼僧物語」(1959年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「シャレード」(1963年)、「マイ・フェア・レディ」(1964年)、「暗くなるまで待って」(1967年)などに出演している。

舞台作品では1954年にブロードウェイ舞台作品「オンディーヌ」でトニー賞を受賞している。しかし、女優業は年齢と共に減り、後半生のほとんどを国際連合児童基金(ユニセフ)での仕事に捧げた。

ユニセフへの貢献を始めたのは1954年からで、1988年から1992年にはアフリカ、南アメリカ、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身し、1992年には、ユニセフ親善大使としての活動に対してアメリカにおける文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与された。この大統領自由勲章受勲1カ月後の1993年1月20日にスイスの自宅で虫垂がんのために63歳で死去した。

オードリー・ヘップバーンが主演したミュージカル「パリの恋人」(1957年)はリチャード・アヴェドン(Richard Avedon、1923-2004)と妻でモデルのドルカス・ノウェル(Dorcas Nowell、通称ドオ・アヴェドン=Doe Avedon、1925-2011)の生活に着想を得て、2人の友人であった脚本家のレナード・ガーシェ(Leonard Gershe、1922-2002)がミュージカルの脚本に仕上げた。この企画は最終的に映画脚本として完成し、オードリー・ヘプバーンとフレッド・アステア(Fred Astaire、1899-1987)の主演で制作された。

開場時間は10時30分から19時(最終日は18時)まで。入場料は一般・大学生800円、高校・中学生600円(小学生以下は無料)。

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