講談協会が日本橋亭で元旦から初席、琴梅、琴桜、貞水、春水ら総出

【銀座新聞ニュース=2017年12月30日】講談協会(事務局・03-6313-7438)は2018年1月1日から5日まで「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル、03-3245-1278)で「講談協会初席」を開く。

講談協会が2018年1月1日から5日まで「お江戸日本橋亭」で開く「講談協会初席」に出演する宝井琴梅さん。

講談協会が毎年恒例としている「お江戸日本橋亭」で12時50分から開く初席で、会員の講談師が総出で出演する。2日と3日の午前中の「初春演芸会」は主に日本講談協会所属の講談師が中心になっている。

1月1日は前座に続いて二ツ目の宝井梅湯(たからい・うめゆ)さん、二ツ目の田辺一乃(たなべ・かずの)さん、2016年4月に真打に昇進した神田(かんだ)あおいさん、1981年に真打に昇進した宝井琴柳(たからい・きんりゅう)さん、仲入り後に2010年に真打に昇進した宝井梅福(たからい・うめふく)さん、2003年に真打に昇進し、2008年10月に「鶴瑛」に改名した田辺鶴瑛(たなべ・かくえい)さん、トリが1975年に真打に昇進した講談協会常任理事の宝井琴梅(たからい・きんばい)さん。

2日12時50分から前座に続いて、二ツ目の神田(かんだ)こなぎさん、2015年に真打に昇進した田辺鶴遊(たなべ・かくゆう)さん、2013年4月に真打に昇進した一龍斎貞橘(いちりゅうさい・ていきつ)さん、1977年に真打に昇進した一龍斎貞山(いちりゅうさい・ていざん)さん、仲入り後に2010年に真打に昇進した田辺凌鶴(たなべ・りょうかく)さん、1990年に真打に昇進した宝井琴嶺(たからい・きんれい)さん、トリが1966年に真打に昇進し、2002年から2006年まで講談協会会長を務めた一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)さん。

同じく出演する一龍斎貞水さん。

3日12時50分から前座に続いて、二ツ目の一龍斎貞鏡(いちりゅうさい・ていきょう)さん、二ツ目の一龍斎貞弥(いちりゅうさい・ていや)さん、2014年10月に真打に昇進した神田春陽(かんだ・しゅんよう)さん、1985年5月に真打に昇進した講談協会理事の宝井琴調(たからい・きんちょう)さん、仲入り後に2009年4月に真打に昇進した田辺一邑(たなべ・いちゆう)さん、1990年8月に真打に昇進した神田(かんだ)すみれさん、トリは1976年に真打に昇進した講談協会理事の一龍斎貞花(いちりゅうさい・ていか)さん。

同じく出演する桃川鶴女さん。

4日12時50分から前座に続いて、二ツ目の田辺銀冶(たなべ・ぎんや)さん、二ツ目の宝井琴柑(たからい・きんかん)さん、2011年4月に真打に昇進した神田織音(かんだ・おりね)さん、2004年に真打に昇進した一龍斎貞友(いちりゅうさい・ていゆう)さん、1980年4月に真打に昇進した、講談協会理事の一龍斎貞心(いちりゅうさい・ていしん)さん、1989年に真打に昇進した神田香織(かんだ・かおり)さん、1985年に真打に昇進した講談協会理事の宝井琴星(たからい・きんせい)さん、トリは1975年に真打に昇進した講談協会理事兼副会長の宝井琴桜(たからい・きんおう)さん。

楽日の5日12時50分から前座に続いて、二ツ目の神田(かんだ)すずさん、二ツ目の神田山緑(かんだ・さんりょく)さん、2017年4月に真打に昇進した一龍斎貞寿(いちりゅうさい・ていじゅ)さん、2013年に真打に昇進した宝井一凜(たからい・いちりん)さん、1985年に真打に昇進し、「田辺鶴女」を襲名、2004年に「桃川鶴女」に改名し、田辺一門より独立した桃川鶴女(ももかわ・つるじょ)さん、2004年に真打に昇進した一龍斎春水(いちりゅうさい・はるみ)さん、1988年に真打に昇進した田辺南北(たなべ・なんぼく)さん、トリは一龍斎貞水さん。

ウイキペディアなどによると、講談は奈良、平安の頃に原型が見られ、その後、江戸時代の大道芸のひとつとして「辻講釈(つじこうしゃく、または町講釈)」が誕生し、太平記などの軍記物を注釈を加えつつ調子を付けて語り、1704年から1710年までの宝永(ほうえい)年間には公許の常設小屋で上演され、「講釈」と呼ばれた。

1818年から1830年の文政(ぶんせい)年間には話芸としてほぼ確立し、いくつかの流派が誕生し、講釈での人気演目が歌舞伎や人形浄瑠璃化されることもあった。明治時代に入って、講釈は「講談」と呼ばれるようになった。

江戸末期から明治時代にかけて、講談は全盛期を迎え、明治末期には「立川文庫」など講談の内容を載せた「講談本」が人気を呼び、新聞や雑誌に講談が連載されるようになった。しかし、漫才など他の人気大衆芸能の誕生、大衆メディアの発達などに追いつけず、次第に衰退した。

大東亜戦争後はGHQにより、仇討ちや忠孝ものの上演が禁止され、一時は大きな影響を受け、さらに、テレビの普及により、衰退を続けた。現在は講談師の所属団体として「講談協会」と「日本講談協会」があり、落語界と比較して女性の進出がめざましく、講談協会、日本講談協会とも男性より女性の協会員のほうが多い。

落語は会話によって成り立つ芸なのに対し、講談は「話を読む芸」で、独特のしゃべり調子と張り扇で釈台(机)をたたいて展開されるのが特徴となっている。

講談界では「講談組合」が1881年に設立され、1968年に「講談協会」が設立されたが、女流の田辺夕鶴(たなべ・ゆうづる、後に「天の夕づる」に改名し、その後廃業、1944年東京都生まれ)のポルノ講談により、講談界が割れ、1973年に分裂した。

神田ろ山(かんだ・ろざん、1908-1984)、小金井芦州(こがねい・ろしゅう、1926-2003)、神田伯治(かんだ・はくじ、後に6代目神田伯龍、1926-2006)、一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい)さん、宝井琴鶴(たからい・きんかく、後に5代目宝井馬琴、1903-1985)ら協会解散派の「講談組合」と、神田山陽(かんだ・さんよう、1909-2000)や田辺一鶴(たなべ・いっかく、1929-2009)ら解散反対派の「日本講談協会」が誕生した。

1974年に宝井馬琴門下の宝井琴鶴(たからい・きんかく、現6代目宝井馬琴)さん、宝井琴梅(たからい・きんばい)さん、宝井琴桜(たからい・きんおう)さん、一龍斎貞正(いちりゅうさい・ていせい、現一龍斎貞花)さんが「講談組合」を脱会して宝井馬琴一門と一龍斎貞丈(いちりゅうさい・ていじょう、1928-2003)一門として「東京講談会」を設立した。

1980年7月に「講談協会」として統一され、1991年10月に選挙方法に異議を唱えた神田山陽一門が「日本講談協会」を設立し、神田山陽門下の神田松鯉さん、神田紫さん、神田紅さんらが日本講談協会を率いている。

講談界は今や女流が中心になっており、1989年に真打に昇進した田辺南北さん以降、2012年に田辺凌鶴さんが真打に昇進するまで講談協会では男性真打ちが誕生しなかった。一方、日本講談協会は2002年に神田山陽さん、2003年に神田陽司さん、神田鯉風さんが真打に昇進したものの、2007年に神田松之丞さんが神田松鯉門下に入門するまで新人の男性講談師がいなかった。

入場料は2000円。講談協会の後援会「ご贔屓連」(年会費3000円)は1000円。

注:「一龍斎」の「斎」は正しくは旧漢字です。