東京メトロが日比谷線でBGM放送、月の光やそよぐ緑等

【銀座新聞ニュース=2018年1月26日】東京地下鉄(東京メトロ、台東区東上野3-19-6、03-3837-7077)は1月29日10時過ぎから14時過ぎまで地下鉄日比谷線の一部でBGM放送を試行運用する。

東京メトロが1月29日からBGM放送を流す日比谷線13000系車両。イベント運行や車両点検時などにはすでにBGMを流しているが、2017年7月24日には運行時に「花のワルツ」が流れてしまうというトラブルも発生している。

東京メトロでは「より快適な車内空間を演出すること」が目的としており、2017年3月にデビューした「13000系車両」の車内スピーカーでは高音質ステレオ放送システムを搭載しており、イベント列車の運行時や、車両点検時にBGMを流している。今回はこのBGM機能を通勤用列車における営業列車内で流すもので、国内で初の試みとしている。

地下鉄日比谷線は北千住駅から銀座経由で中目黒駅まで運行している地下鉄で、平日は10時28分中目黒発、11時12分北千住着の列車から13時北千住発、中目黒13時43分着で流す。土曜日、休日は11時中目黒発、11時44分北千住着から13時30分北千住発、中目黒14時13分着で流す。

流す音楽は「13101系」などの奇数編成ではクラシック音楽、13102系の偶数編成ではヒーリング音楽としている。クラシックはクロード・ドビュッシーの「月の光」(ベルガマスク組曲より)、フレデリック・ショパンの「ノクターン」(第2番変ホ長調 作品9-2)、フェリックス・メンデルスゾーンの「春の歌」(作品62-6)。

ヒーリングはミツヒロ(Mitsuhiro)さんの「朝空を開いて」や「そよぐ緑」、「陽を浴びて」を流す。

ウイキペディアによると、地下鉄日比谷線は1957年に都市計画第2号線(日比谷線)の建設計画として決定され、1959年に着工し、1961年3月28日に南千住駅と仲御徒町駅間3.7キロで開業した路線で、当時は帝都高速度交通営団が運営していた。

1962年の「都市交通審議会」の答申第6号において、東京2号線は「中目黒方面より六本木、霞ケ関、築地、茅場町、上野及び三ノ輪の各方面を経て北千住方面に至る路線」として示され、1972年の同答申第15号では終点が松原団地に改められ、北千住以北は東武伊勢崎線を複々線化することとされた。

1962年5月31日に東武伊勢崎線北越谷駅まで相互直通運転を開始し、1964年8月29日に全線が開通し、東急東横線日吉駅まで相互直通運転も開始した。ほとんどが開削工法で建設されたため、平面線形は半径200メートル以下で90度曲がるような急カーブが連続する。基本的には道路の下を通っているものの、カーブのために道路から大きくはみ出す箇所も複数存在し、1964年の東京オリンピックに全線開通を間に合わせるため、突貫工事で建設された。

1985年の運輸政策審議会答申第7号では竹ノ塚駅と北越谷駅間の東武線複々線化が示され、北千住駅と南千住駅間は、隅田川を渡るため地上区間になっている(隅田川を横断する地下鉄の中では唯一地上で橋を渡る路線)。北千住駅では、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)および同線経由で日光線と相互直通運転を行っている。2013年3月15日までは中目黒駅で東急東横線とも相互直通運転を行っていた。

日比谷線の建設が計画された当初は、東急東横線からの直通列車は8両編成、東武伊勢崎線からの直通列車は6両編成で対応可能と見られていたが、伊勢崎線が日比谷線と繋がったことにより、伊勢崎線の利便性が飛躍的に向上し、沿線の宅地開発が急速に進み、同線からの旅客が急増し、八丁堀駅以北のホームと伊勢崎線直通列車の8両編成化などの輸送力増強が急がれた。一方、東横線からの直通列車利用客は、同線の終着駅である渋谷駅まで利用する乗客が多く、伊勢崎線からの直通利用客ほど増加はしなかった。

2000年3月8日に中目黒駅付近で列車脱線事故(営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故)が発生し、5人が死亡、営団時代に発生した事故の中で唯一、乗客に死者が出た。2013年3月16日に東急東横線と副都心線との直通運転開始に合わせ、東横線と日比谷線との相互直通運転を終了し、中目黒駅までの運転となった。同時に、東武線への相互直通運転区間を日光線の南栗橋駅まで延長した。2017年3月25日から20メートル級片側4ドア7両編成の「13000系」が本格営業運転をはじめた。

また、2017年7月24日夕方に日比谷線でチャイコフスキー作曲「花のワルツ」(くるみ割り人形より)が大音量で流れるトラブルが発生している。このため、車掌が乗客に謝罪をするアナウンスを流したという。