日本が舞台でも、監督自身の世界観を貫いた「マンハント」(232)

【ケイシーの映画冗報=2018年2月22日】推奨できることではないと思いますが、あるメディア関係の世界では「パクられる企画を立てて一人前」という評価基準があると聞きました。「パクリを称揚するとはいかがなものか?」という意見もある一方で、「模倣があって作品は生まれる。作者が“斬新だ”というアイディアが既知であるのは情けない」という事例もあります。

西村寿行(にしむら・じゅこう、1930-2007)の小説「君よ憤怒の河を渉れ」を1976年に映画化した同名の作品を、ジョン・ウー監督がリメイクしたのが「マンハント」((C)2017 Media Asia Film International Ltd.All rights Reserved)だ。日本での題名は変えているが、中国での題名は1979年に公開され、8億人が観賞したとされる当時のタイトル「追捕」と同じにしている。

「至近距離で銃を突きつけあう」や「撃ちまくる2丁拳銃」、「アクションでのスローモーション」といったシーンをさまざまな映像作品で、何度かご覧になっていると思いますが、これらは香港映画出身で本作「マンハント」(原題:追捕、2017年)の監督であるジョン・ウー(John Woo)が作品の中で効果的に披露し、広まっていきました。

日本の大手製薬会社で顧問弁護士をつとめる中国人ドゥ・チウ(演じるのはチャン・ハンユー=張涵予)は、殺人の嫌疑をかけられ、謀殺されそうなところで逃走します。型破りだが腕利きの刑事矢村(演じるのは福山雅治=ふくやま・まさはる)はドゥ・チウを追いながら、これが冤罪(えんざい)ではないかと疑いをもちます。

ドゥ・チウが女性ヒットマンのレイン(演じるのはハ・ジウォン=河智苑)とドーン(演じるのはアンジェラス・ウー=Angeles Woo)に執拗に狙われてるなか、矢村は手錠をかけたドゥ・チウと行動をともにし、戦うようになります。事件はやがて、危険な新薬開発に関連した巨大な陰謀へと流れていくのでした。

大阪を中心とした日本での撮影にもかかわらず、冒頭の居酒屋のシーンから、たしかに風景は日本ですが、そこで繰り広げられる“銃弾の飛び交う流麗なアクション”は、まぎれもなく“ジョン・ウー印”の映画です。すべてが日本での撮影でありながら、我々の見知った日本の風景とはどこか異なった世界観となっています。

「子どものころから日本映画に夢中でした」(パンフレットより)というウー監督のメッセージどおり、本作に描かれているのは「映画で表現されていたかつての日本」であり、現実の日本社会ではないわけです。

日本の大企業は劇中のようにダンス会場でイベントを開くことはないでしょうし、銃器にきびしい日本で、ウー監督のお家芸ともいえる、敵味方が入り乱れて銃を撃ちまくる大乱闘というのは、まずありえないわけですが、それを作中で確立させてしまうのは、力量に裏打ちされた監督の実力といえるでしょう。

20代から頭角をあらわし、香港映画界からハリウッドに活動の場を移してからもヒット作を生み出し、「バイオレンスの詩人」とか「アクションのマエストロ(巨匠)」、「Number one WITH A BULLET (銃弾ナンバー・ワン)」と呼ばれれるようになるウー監督ですが、幼少期はスラム街で育ち、香港映画では商業的成功をもとめる映画会社と衝突して干されてしまい、台湾へ出向させられています。

ハリウッドでも順調な撮影はできませんでした。「契約が絶対」であり「撮影前の準備を入念におこなう」ハリウッドのシステムに対し、「台本はあくまで原型」で「現場でドンドン変更していく」香港映画のスタイルを持ち味とするウー監督は葛藤を経験したそうで、決して順風満帆な監督業ではなかったのです。

とはいえ、挫折体験や鬱屈を持たないクリエイターは少数派です。こうした内面がまた、紡ぎだされる作品へと反映されていくのも事実です。ウー監督の持ち味は確かにアクションですが、その根底にはもはやオールド・ファッションといえるような信念が貫かれています。

「他者を敬い、侮辱してはいけない。友人は裏切るな。弱者にはやさしく接し、正しい心を持って生きろ」

じつに普遍的なものですが、これがアナクロニズムであることを、ウー監督当人も理解しているようで、出世作「男たちの挽歌」(A Better Tomorrow、1986年)でもすでに「この渡世の仁義もすっかりなくなった」というセリフがあり、昔気質の不器用さを物語っていました。

なお、ウー監督作品で印象的な、片手を延ばして至近距離の相手に銃を向けるシーンですが、監督の意識では「銃ではなくカタナ」なのだそうです。武侠映画(中国語圏のチャンバラ作品)を映画制作の源流とするウー監督は、「どうしても銃を剣のように見せたい」とのことで、こうした面も「昔から一本気」のウー監督のイメージそのままといえるかもしれません。このエピソードは、20年ほど前、ご本人からうかがったものです。

そして「いつかミュージカルを撮りたい」というウー監督の映画界での最初の仕事は、ダンスの振り付けだったそうで、「初志貫徹」を地で行く監督の夢の実現を、ファンの一人として願わずにはいられません。次回も未定とさせていただきます(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません。なお、ケイシーさんは現在、自宅療養中で、こんごの予定は未定になっています)。