銀座三越が手塚治虫生誕90年でiromonomarketとコラボ

【銀座新聞ニュース=2018年3月18日】国内最大手の百貨店、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1、03-3352-1111)が運営する銀座三越店(中央区銀座4-6-16、03-3562-1111)は3月21日から27日まで 9階テラスコートで「手塚治虫生誕90周年×iromonomarket」を開く。

銀座三越で3月21日から27日まで開かれる「手塚治虫生誕90周年×イロモノマーケット(iromonomarket)」のフライヤー。

日本を代表するマンガ家の手塚治虫(てづか・おさむ、1928-1989)が生誕90周年を迎えるのを記念して、東京都出身のミィー(mieeeee)さんが運営する「イロモノマーケット(iromonomarket)」とのコラボイベントを開く。「イロモノマーケット」のイベントに参加している女性クリエイター23人が制作した「手塚キャラクター」のアイテムを販売する。

今回、参加しているのは「イロモノマーケット」のミィーさん、アカネイシガ(AKANE ISHIGA)さん、アニーミートウキョウ(annie me tokyo)さん、チムニー(CHIMNEY)さん、ファンシーアラモード(Fancy a la mode)さん。

ジェニーカオリ(Jenny kaori)さん、キャンシーハウス(kyancy house)さん、ナッピー(NAPPY)さん、ソフィーエショコラ(Sophie et chocolat)、トイミー(Toyme)さん。

イエスタイアー(Yesteryear)さん、好永(よしなが)よしよしさん、城咲ロンドン(しろさき・ろんどん)さん、エコットスペクトラムワークス(ekot spectrum works)/檸檬はソワレ(れもんはそわれ)さん、オカッパラバー(okappalover)さん。

エガシラハナコ(egasira hanako)さん、10メイキャンドルワークス(10mei candle works)さん、ユユト(UYUTO)さん、リルークッキー(Lilou cookie)さん、ビジューアイ(bijouAI)さん。

ホワイトリリー(whitelilly)さん、カメラ(KAKERA)さん、エーライト(ALIGHT)さん。

主な商品は「ユニコ・チャオ マスキングテープ」(864円、イロモノマーケット)、「ピノコ変形ポストカード」(270円、城咲ロンドンさん)、「ユニコ・メモパッドセット」(1080円、イエスタイアーさん)、「リボンの騎士×ジェニーカオリプリンセスナイト(Jenny kaori Princess Knight)Tシャツ」(6372円、ジェニーカオリさん)など。

ウイキペディアなどによると、手塚治虫は1928年11月3日大阪府豊能郡豊中町(現豊中市)生まれ、1946年に子ども向けの「少国民新聞」(現毎日小学生 新聞)大阪版に4コママンガ「マアチャンの日記帳」を連載、デビュー作となった。4月から「京都日日新聞」に4コママンガ「珍念と京ちゃん」を連載、4コマ形式の連載長編作品「AチャンB子チャン探検記」や「火星から来た男」、「ロストワールド」なども各紙に掲載している。

1947年に酒井七馬(さかい・しちま、1905-1969)が原作、構成を手がけ、手塚治虫が作画した200ページの描き下ろし長編「新宝島」を出版、40万部(一説に80万部)を超すベストセラーとなった。1948年から「ロストワールド」、1949年に「メトロポリス」、1951年に「来るべき世界」と初期を代表するSF3部作を発表した。

1951年に大阪帝国大学(現大阪大学)付属医学専門部を卒業、大阪大学医学部付属病院で1年間インターンを務め、1953年に国家試験を受けて医師免許を取得した。1950年4月より雑誌「少年少女漫画と読み物」(新生閣)に「タイガー博士の珍旅行」を連載、 11月より雑誌「漫画少年」(学童社)に「ジャングル大帝」の連載を開始、1951年に雑誌「少年」(光文社)に「鉄腕アトム」の前身となる「アトム大使」 を連載した。

1952年に上京、1953年に豊島区の「トキワ荘」の14号室に入居、続いて寺田ヒロオ(てらだ・ひろお、 1931-1992)、藤子不二雄(ふじこ・ふじお、藤子・F・不二雄=1933-1996=、藤子不二雄Aさんの2人)が入居し、14号室を藤子不二雄の2人に譲り、転居した。1953年に「少女クラブ」(講談社)に「リボンの騎士」の連載開始、1954年に「漫画少年」に「火の鳥」の連載を開始した。

「鉄腕アトム」や「ぼくのそんごくう」などを児童マンガ誌に連載する一方で、1955年に大人向けのマンガ誌「漫画読本」(文芸春秋新社)に「第三帝国の崩壊」と「昆虫少女の放浪記」を発表した。1956年にSF短編シリーズ「ライオンブックス」、学習誌に「漫画生物学」と「漫画天文学」などの学習マンガを発表、1957年に「漫画天文学」で第3回小学館漫画賞を受賞した。1959年に岡田悦子(おかだ・えつこ)さんと結婚した。

1961年に「手塚プロダクション」に動画部(1962年に「虫プロダクション」)を設立、1962年にカラー長編アニメ作品「ある街角の物語」を制作、ブルーリボ ン賞、文部省芸術祭奨励賞などを受賞した。1963年からフジテレビ系でアニメ「鉄腕アトム」を制作、1965年に掲載の週刊マンガ誌を連載の途中で変更するいわゆる「W3事件」が起こり、1966年に実験マンガ誌「コム(COM)」を創刊した。1967年に「少年サンデー」(小学館)に怪奇マンガ「バンパイヤ」、続いて「どろろ」を連載した。

1973年に「虫プロ商事」と「虫プロダクション」(1971年に経営者を退いていた)が相次いで倒産し、1億5000万円(推定)の借金を抱え、1968年から1973年の「冬の時代」を迎えた。1973年に「週刊少年チャンピオン」(秋田書店) に「ブラック・ジャック」の連載をはじめ、1974年に「週刊少年マガジン」(講談社)に「三つ目がとおる」を連載し、本格的な復活を遂げた。

1980年代に「ビッグコミック」(小学館)に「陽だまりの樹」、ドイツのヒトラー(Adolf Hitler、1889-1945)を題材に、週刊誌「週刊文春」に「アドルフに告ぐ」を連載し、「陽だまりの樹」で第29回小学館漫画賞、「アドルフに 告ぐ」で第10回講談社漫画賞一般部門を受賞し、1988年3月に胃を壊し、1989年2月9日10時50分に死去した。

営業時間は10時30分から20時。