蔦屋書店で石ノ森生誕80年フェア、仮面ライダー等復刻

【銀座新聞ニュース=2018年3月21日】書店やレンタル店、フランチャイズ事業などを展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(渋谷区南平台町16-17、渋谷ガーデンタワー)グループの銀座 蔦屋書店(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3575-7755)は3月19日から4月12日までマンガコーナーで石ノ森章太郎の生誕80周年記念フェアを開いている。

銀座 蔦屋書店で4月12日まで開かれている石ノ森章太郎の生誕80周年記念フェアの展示会場。

2018年に生誕80周年を迎えた石ノ森章太郎(いしのもり・しょうたろう、1938-1998)の主要な作品を展示している。また、その中から、幻と言われている超初期作品の「水色のリボン」(1959年)のわかば書房版の完全復刻版(税込5万4000円)、原寸・生原稿形式で複製された「仮面ライダー 連載第1回」(税込1万9440円)の2作品が復刊され、銀座 蔦屋書店のオンラインショップで販売する。ただし、復刊ドットコムと銀座 蔦屋書店のオンラインショップの予約数が100部になった時点で商品化される。商品化時期は「水色のリボン」が5月中旬、「仮面ライダー 連載第1回」が4月中旬の予定としている。

予約受付中の石ノ森章太郎の「水色のリボン」((C)石森プロ)。

とくに「水色のリボン」は1959年に刊行されたが、乱丁により即回収となり、現存するのはわずか数冊とされている。今回、初版と同じ仕様の完全版を復刻した。「少女クラブ」に掲載されたイラスト4点のポストカードセット、石ノ森章太郎自身による巻末綴じ込みの編集後記も再現されている。112ページ。

また、雑誌「ぼくらマガジン」に一挙掲載された「仮面ライダー連載第1回」は、本郷猛が改造手術を受け仮面ライダーへと変身する50頁の作品だ。生原稿を読む感覚を再現するために、原稿用紙と同質に近い紙に、現存する原稿全面をすべて原寸で、4色ハイクオリティ印刷し、ページが曲がることがないように中央が完全に開く形式のコデックス装で製本している。

化粧箱でパッケージし、原稿がB4をこえていたため、判型はA3サイズ(カラー頁はほぼA3以内、1色ページはA3とB4の中間。原寸を遵守するため最大の原稿サイズにあわせたので周囲に余白あり)で、製本はすべて手作業での仕上げとなる。58ページ。

同じく受付中の「仮面ライダー 連載第1回」の画像((C)石森プロ)。

ウイキペディアによると、石ノ森章太郎は1938年1月25日宮城県登米郡石森町生まれ、中学時代にマンガ同人誌「墨汁一滴」を作り(2号で廃刊)、2年生の時「毎日中学生新聞」に4コママンガを投稿して入選、以後投稿マニアとなり、高校時代には「漫画少年」への投稿仲間を集めて「東日本漫画研究会」を設立、肉筆回覧誌「墨汁一滴」を制作、2年生春に「漫画少年」への投稿が手塚治虫(てづか・おさむ、1928-1989)の目にとまり、「鉄腕アトム」のアシスタントを務めた。

高校在学中の1954年に「漫画少年」新年号に「二級天使」が掲載され、マンガ家としてデビューし、1955年に卒業と同時に姉の病気治療も兼ねて2人で上京し、「トキワ荘」に住み、作家活動をはじめる。赤塚不二夫(あかつか・ふじお、1935-2008)は自分の作品を描くよりも、石ノ森のアシスタントの時間の方が多かったし、永井豪(ながい・ごう、1945年生まれ)がアシスタントを務めていた。

創作速度も極めて速く、エッセイマンガ「サンジェルマン伯爵」には、「昔(赤塚不二夫と2人で描いていた時代)は月650枚という無茶もやったが、最近では歳だから300枚でフウフウいう」とある。

1958年4月に姉が急逝し、後の石ノ森の作風に大きな影響をもたらす。1959年に手塚のアシスタントだった月岡貞夫(つきおか・さだお、1939年生まれ)さんとともに、身代わりとして東映動画(現東映アニメーション)の劇場アニメ「西遊記」の制作現場に派遣され、1963年にアニメーション制作会社「スタジオ・ゼロ」設立に参画した。

1964年7月19日より「少年キング」に「サイボーグ009」の連載を開始、同時にマンガ入門書「マンガ家入門」(1965年)、「続・マンガ家入門」(1966年)を刊行した。
1966年に第7回講談社児童まんが賞を受賞、1968年に「石森章太郎プロ」を設立、第13回小学館漫画賞を受賞した。

1971年より特撮作品「仮面ライダー」の放映が開始され、原作とそのマンガ化(仮面ライダー)を担当し、マンガの実写映像化ではなく、制作会社である東映の企画に設定とキャラクターデザインを提供し、できあがったものを元にマンガも執筆するという手法をとり、この成功をきっかけに同社における数多くの特撮・変身ヒーロー番組の原作を手がけた。

実写作品では、主役などのレギュラーのキャラクターデザインを石ノ森が手がけたが、1970年代中期以降の作品では、毎回登場するゲストのキャラクター(敵の怪人)のデザインも行っている。

1981年より「日本漫画家協会」理事を務め、1985年に画業30年を機に「石森章太郎」から「石ノ森章太郎」に改名、1988年に第33回小学館漫画賞、第17回日本漫画家協会賞大賞を受賞した。1998年1月28日に心不全により死去、享年60歳。没後、勲四等旭日小綬章、第27回日本漫画家協会賞文部大臣賞、第2回手塚治虫文化賞マンガ特別賞が贈られた。2000年に宮城県登米市中田町に「石ノ森章太郎ふるさと記念館」設立した。

2001年に宮城県石巻市に「石ノ森萬画館」設立、2006年に「石ノ森萬画大全集」を刊行開始、2008年にギネス・ワールド・レコーズにおいて手塚治虫の「講談社手塚全集」全400巻の記録を「石ノ森萬画大全集」全500冊によって抜いて「世界一多作な漫画家」に認定され、2008年にギネス世界記録博物館の名誉館長に就任した。

時間は9時から23時30分。

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