日本語を決めゼリフに昇格させた「レディプレ」(237)

【ケイシーの映画冗報=2018年5月3日】精緻な引用ではありませんが、有名なあるゲームのデザイナーがこのような発言をされていました。「ヒトの最大の娯楽は他者の人生を生きること」

現在、公開中の「レディ・プレイヤー1」((C)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED)。

本作「レディ・プレイヤー1」(Ready Player One)の舞台は2045年、荒廃した世界で、人々は現実を離れた「オアシス」と呼ばれるネットワークのゲームに耽溺していました。

「自分のなりたいものになれる」仮想現実の世界で“パーシヴァル”と名乗る17歳のウェイド(演じるのはタイ・シェリダン=Tye Sheridan)は、「オアシス」の中に隠された3つの秘宝を探索することに夢中でした。

それを手にしたものは莫大な財産と「オアシス」の運営が託されるというものです。第1の関門をクリアしたウェイドはその過程で“アルテミス”という女性キャラクターと出会います。

制作費が1億7500万ドル(約175億円)で、興行収入が5億4511万ドル(約545億1100万円)。

現実の彼女に惹かれていくウェイドは、「本名は使わない」というネット社会で実名を名乗ります。“アルテミス”がサマンサ(演じるのはオリヴィア・クック=Olivia Cooke)という地下組織のメンバーであることを知ったウェイドは、「オアシス」の全権を手にしようと企む大企業IOI(イノベーティブ・オンライン・インダストリー)とその幹部ノーラン(演じるのはベン・メンデルソーン=Ben Mendelsohn)と「オアシス」内で戦うことを決意します。

しかし、IOIはネット内ではなく、現実の世界のウェイドにも攻撃の手を伸ばし、ウェイドの家族やサマンサ達にも実力行使を迫ってきました。

ネット上をはじめ、いろいろなメディアで、本作の内容については伝わっており、筆者ごときの知識と経験ではネタ探し(含ネタバレ)は十分に行われてるので、これらを掘り起こしていくことは避けたいと思います。

とはいえ、劇中に登場する、主に1980年代に登場した大量のコミックやマンガ(英語圏では、日本生まれの作品は「Manga」と英単語になっています)、ゲームや映画、音楽に至るまでの広範な知識は、原作となった「ゲーム・ウォーズ(原題:READY PLAYER ONE)」のほうがより顕著になっています。

原作者で共同脚本のアーネスト・クライン(Ernest Cline)は、自身がどれほど日本の作品に影響を受けたかを雄弁に語っています。「日本のポップカルチャーはアニメ、漫画、そして特撮に至るまで大好きだった。(中略)自分が大好きだったポップカルチャーを祝うための作品を作りたいと思ったんだ。」(パンフレットより)

とはいえ、文字でしか表現されない小説と異なり、実際にキャラクターを映像で表現する映画となると、クラインの意図を実現するには大きなハードルが存在します。キャラクターIP(知的財産)という権利で、これを無視しての事業は権利侵害ということになり、違法となってしまうからです。

ここで威力を発揮したのが監督であるスティーブン・スピルバーク(Steven Spielberg)の存在でした。だれもが知る映画監督であり、先日、本作の成功で生涯世界興行収入の総額が100億900万ドル(1兆円以上)というメジャー中のメジャーな監督の作品に登場できるというのは、各種作品やキャラクターの版権所有者にも魅力的だったのでしょう。

ごく一部の例外をのぞき、使用の許諾が得られたことは、「自分が好きだったあらゆるものを収めようと思って書いたよ。」(前掲)というクラインの夢が叶ったといえるでしょう。

そして「スピルバーグも日本のポップカルチャーの大ファン」(前掲)で、さまざまなアイディアを積極的に提供したそうです。たとえば、クライマックスのシーンで、「オアシス」では“ダイトウ”と名乗る日本人のトシロウ(演じるのは森崎ウィン=もりさき・うぃん)が「俺はガンダムで行く」と宣言し、「I choose form of Gundam」という字幕が出ます。これはスピルバーグ監督が現場で脚本を日本語に変更し、それが世界のあらゆるバージョンで統一されているのだそうです。

じつは、ハリウッドでは「英語ではない言語のセリフ」には不寛容な部分があり、メジャーな作品ほど「英語(米語)での規格統一をもとめる傾向があります。

自分の知る限り、ハリウッドのメジャーではじめて使われた日本語は“サヨナラ”で作品は「地獄の黙示録」(Apocalypse Now、1979年)、監督は日本に滞在経験のあるフランシス・フォード・コッポラ(Francis Ford Coppola)です。他のハリウッド映画にも“サヨナラ”は出てきますが、どこか揶揄した雰囲気の起用でした。

その点では今回は“決めゼリフ”に昇格したと感じます。前回の「パシフィック・リム」もそうでしたが、“童心”や“遊びゴコロ”はこうしたジャンルの映画作品には欠くことのできない要素なのでしょう。次回は「ホース・ソルジャー」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

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