日本橋三越で大倉陶園100年展、磁器ライオン像や限定作品も

【銀座新聞ニュース=2018年5月9日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は5月9日から14日まで本館7階催物会場で「良きが上にも 良きものを-大倉陶園 創業100周年展」を開いている。

日本橋三越で5月14日まで開かれる「良きが上にも良きものを-大倉陶園 創業100周年展」で特別販売される「百花譜 ディナーセット」(税込1080万円)。

窯業耐火物原料や金属、電子工業用原材料・製品、化学品、機械プラント、香料・食品、生活用品などの貿易会社、森村商事(港区虎ノ門4-1-28、虎ノ門タワーズオフィス、03-3432-3510)や世界最大級の高級陶磁器、砥石メーカーのノリタケカンパニーリミテド(愛知県名古屋市西区則武新町3-1-36)を中核とする森村グループ傘下で、高級陶磁器メーカーの大倉陶園(神奈川県横浜市戸塚区秋葉町20、045-811-2183)が1919年5月15日に設立されて以来、創業100周年を迎えるのを記念して、「良きが上にも良きものを」を理念とした、大倉陶園の美術陶磁器作品を紹介する。

大倉陶園100周年を記念した大型扁壺に手描きで表現した作品や岡染め技法を施した大型陶額などの限定作品を展示販売する。岡染め技法は大倉陶園独特の技法で、本焼成した白生地にコバルト絵具で絵付けをし、再度1460度の高温で焼成し、この間コバルトの青色が釉薬(ゆうやく)と融合し、独特の文様を作り上げる。ハンドルや縁には、筆で1点1点金が手塗りされている。

また、日本の四季を演出した100の花々を選び、63ピースの特別セット「百花譜 ディナーセット」(税込1080万円)は、サービスプレートでは廻る季節を6枚に表現し、ミート皿には木々の花を、フィッシュ皿には夏の花々を描き、デザート皿には野生の蘭を、ティーセットには山野草を、アイテムごとにテーマを設けて花々で構成している。

さらに、日本の迎賓館(赤坂離宮)に納入した洋食器の数々を参考展示する。ウイキペディアによると、大倉陶園は1943年に昭和天皇(しょうわ・てんのう、1901-1989)の長女、東久邇成子(ひがしくに・しげこ、1925-1961)の成婚で、食器を納入し、1959年の皇太子の明仁親王(あきひと・しんのう、現今上天皇)と美智子妃(みちこひ)の成婚時には晩さん会の食器を納めている。

1974年の迎賓館(赤坂離宮)改修時に納めたディナーセットは、150人揃の正さん用食器、250人揃の歓迎会用食器、朝食などに使う60人揃の個室用食器などがある。正さん用食器は国ひんが主催して天皇などを招くリターンバンケットに用いられ、歓迎会用食器はビュッフェスタイルのレセプションで使われている。個室用食器は藍一色の月桂樹とオリーブが描かれている。

さらに、1914(大正3)年より三越の玄関先に鎮座してきたライオン像が大東亜戦争時に、物資不足を補うため、「金属類回収令」により東郷神社に奉納されることになった。その際に、三越がライオン像の偉容を残したいと、大倉陶園の初代支配人、日野厚(ひの・あつし)に相談し、磁器のライオン像が100体限定で制作され、寄付金を援助した方に配られた。その磁器のライオン像を今回展示する。

大倉陶園の親会社、森村商事は1876(明治9)年に森村市太郎(6代市左衛門、もりむら・いちたろう、1839-1919)と弟の森村豊(もりむら・とよ、1854-1899)が東京・銀座4丁目に「森村組」を設立(資本金3000円、1918年に株式会社化、資本金2000万円)したのがはじまりで、1878(明治11)年に森村豊が独立し、「日の出商会森村ブラザーズ」(1881年に社名を「モリムラ・ブラザーズ」に変更)を設立、日本で買い集めた雑貨・工芸品などを輸出した。森村組は1882(明治15)年に陶磁器の輸出に将来性を見いだし、小売りをやめ、卸売に転換、陶磁器生地や画付けに工夫改善を重ねた。

1897(明治30)年に「合名会社森村銀行」(1924年に株式会社化)を設立(1929年に三菱銀行と合併)、1904 (明治37)年に「日本陶器合名会社」(1981年に株式会社ノリタケカンパニーリミテド)を設立、1910(明治43)年に「森村学園」を設立、1914(大正3)年に日本陶器が日本初のディナーセット「セダン」を生産、1917(大正6)年に「東洋陶器株式会社」(1970年に東陶機器、2007年にTOTO)を設立、1919(大正8)年に「日本碍子株式会社」(1986年に日本ガイシ)を設立、1928(昭和3)年に森村開作(もりむら・かいさく)が7代市左衛門を襲名した。

1956年に「森村組」の社名を「森村商事株式会社」に変更(資本金250万円)し、1960年に「森村スタンダード・ウルトラマリン・アンド・カラー株式会社」(現森村ケミカル株式会社)を設立、1972年に「モラルコ株式会社」(現アルマティス株式会社モラルコ工場)を設立した。

森村グループはノリタケカンパニーリミテドが中核企業で、TOTO、森村商事、日本ガイシ、日本特殊陶業、大倉陶園、共立マテリアルなどがあるが、森村グループを実質的に統括しているのは森村一族が経営権を掌握している森村商事であり、森村商事の社外取締役には、TOTO、日本ガイシ、ノリタケカンパニーリミテド、日本特殊陶業のそれぞれの会長が就任することになっている。かつてはINAX(旧伊奈製陶)も森村グループだったが、2001年にトステムと経営統合したことにより森村グループから離脱している。

また、グループには「森村十社会」という集まりがあり、毎年春と秋に各社の常務以上の定例会が開かれている。TOTO、ノリタケカンパニーリミテド、日本ガイシ、日本特殊陶業、共立マテリアルの上場企業5社と、森村商事、大倉陶園、ノリタケ(2000年に吸収され、現在はノリタケテーブルウェア)、日東石膏(1985年にノリタケカンパニーリミテドが吸収)の4社、計9社(かつてはINAXも含む10社)で構成されていた。

大倉陶園は森村市左衛門の義弟、大倉孫兵衛(おおくら・まごべい、1843-1921)とその息子で、森村組に勤務していた大倉和親(おおくら・かずちか、1875-1955)が1919年5月15日に創立した洋食器メーカーで、大倉和親は「日本陶器合名会社」(現ノリタケカンパニーリミテド)の初代社長や東洋陶器(現TOTO)、日本碍子(現日本ガイシ)の社長、伊奈製陶会長を務めた。

1922年から製品を出荷し、1924年に三越と取引を開始して市販をはじめ、1929年には紋章入りディナーセットを海外へ出荷し、1932年に在ワシントン日本大使館にディナーセットを納入している。

1943年に東久邇成子の成婚では、食器を納入したが、1945年4月15日に空襲で工場が全焼した。しかし、1946年には製品の出荷を再開し、1948年にはディナーセットを製作できるまでになった。1950年5月に法人化し、「株式会社大倉陶園」となった。

1952年に大倉陶園販売株式会社を設立したが、朝鮮戦争による好景気が一段落した1955年に閉鎖して日東陶器商会(現ノリタケテーブルウェア)に販売を委託した。1995年には組織を改変して製造と業務部の2本立てとするとともに工場・画工場を設置している。また、帝国ホテル店、本社店(ファクトリーショップ)、軽井沢店(季節店)の直営店がある。

9日、12日、13日の11時、14時、15時30分から国家技能検定1級絵師による素描きを実演する。

営業時間は10時30分から19時(最終日は18時)まで。