丸善日本橋店で久米廸子「ジャワ更紗夏服」展

【銀座新聞ニュース=2018年5月23日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は5月23日から29日まで3階ギャラリーで久米廸子さんによる「ジャワ更紗 夏の服展」を開く。

丸善・日本橋店で5月23日から29日まで開かれる久米廸子さんの「ジャワ更紗 夏の服展」に出品される夏服。

「ギャラリー(GARELLY)くめ」(港区麻布十番1-5-20、03-5411-5200)を運営するオーナーの久米廸子(くめ・みちこ)さんがインドネシアで出会った布を使って、綿や麻のジャワ更紗(さらさ)による重ね着スタイルを展示販売する。

ウイキペディアによると、ジャワ更紗とは、インドネシア、マレーシアのろうけつ染め布地の特産品のことで、一般には「バティック」と呼ばれ、とくにジャワ島のものが有名なため「ジャワ更紗」と呼ばれる。18世紀頃から作られるようになり、用途はサロン(腰巻き)、パレオ、スカーフ、ハンカチ、頭巾などで、2009年10月にインドネシアのバティックは、ユネスコの世界無形文化遺産に認定された。

更紗はインド起源の木綿地の文様染め製品で、インド風の唐草、樹木、人物などの文様を手描きやろう防染(ろうぼうせん)を用いて、多色に染めた木綿製品をさすが、日本製の更紗には木綿でなく絹地に染めた、友禅染に近い様式のものもある。正倉院宝物の染織品には絞り染め、板締め染め、ろう防染、木版などを用いた染め文様が多く見られるが、その後、平安時代から中世末までは「織り」による文様表現が主流となっていた。

しかし、更紗の渡来によって「染め」の文様表現が再び盛んとなり、素材としての木綿も中世末から近世初頭の日本においては目新しいものであった。それまでの日本の衣料の素材としては絹と麻が主流であり、木綿は普及していなかった。綿の日本への渡来は799年のことで、三河国(愛知県)に漂着した「こんろん人(中国西部の山岳少数民族のこと)」がもたらしたものであったというが、栽培方法などがよくわからないままに絶滅してしまった。

日本に木綿が再び伝わるのは室町時代末期で、木綿は丈夫な素材で、保温性、吸水性も高く、衣服の素材として優れており、江戸時代中期以降、日本各地で木綿の生産が盛んになり、広く普及するようになった。「更紗」という漢字表記は江戸時代末期に定着した。

久米廸子さんは2000年ころにインドネシアでジャワ更紗に出会い、毎年、インドネシアを訪れて、手描きのろうけつ染めという製法で仕上げた木綿やシルクの生地を購入して、日本でデザインから仕立てまで行っている。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は15時)。