Compositionで稲垣友里、小川剛らが「VIVID」展

【銀座新聞ニュース=2018年7月8日】Gallery Art Composition(中央区佃1-11-18、ピアウエストスクエア、03-5548-5858)は7月13日から28日まで「C-DEPOT」によるグループ展「VIVID vol.2」を開く。

ギャラリーアートコンポジション(Gallery Art Composition)で7月13日から28日まで開かれる「C-デポ(DEPOT)」によるグループ展「第2回ビビッド(VIVID vol.2)」に出品される上脇田直子さんの「向こう岸を眺めて」。

絵画、立体、映像、写真、メディアアートなどさまざまなジャンルの作家によって構成され、19世紀末の「ウィーン分離派」の理念をもとに、アートと社会の架け橋として2002年に結成された「C-デポ(DEPOT)」の創立メンバーの金丸悠児(かなまる・ゆうじ)さんが選んだ作家6人が「ビビッド(VIVID)」をテーマに制作した作品を展示する。

今回、出品するのは水彩画を描いている井沢由花子(いざわ・ゆかこ)さん、稲垣友里(いながき・ゆり)さん、小川剛(おがわ・ごう)さん、上脇田直子(かみわきだ・なおこ)さん、河本蓮大朗(かわもと・れんたろう)さん、末宗美香子(すえむね・みかこ)さんの6人。

同じく河本蓮大朗さんの「ウィービング39番(weaving#39)。

ウイキペディアによると、「ウィーン分離派(Wiener Secession、Sezession)」は、1897年にウィーンで画家のグスタフ・クリムト(Gustav Klimt、1862-1918)を中心に結成された芸術家グループで、自ら展示施設を持ち、展示会を開き、新しい造形表現を追求した。ウィーン分離派は「ミュンヘン分離派」(1892年に結成され、保守的なミュンヘン芸術家組合から分離する形で誕生したため、この名がついており、現在も存在する)の結成に影響を受けているが、総合芸術を志向していた点に特徴がある。

世紀末のウィーンで展示会場を持っていたのは「クンストラーハウス(kunstlerhaus)」という芸術家団体で、ウィーンの美術界は印象派の影響もほとんど見られず保守的であった。1897年、クンストラーハウスの保守性に不満を持つ若手芸術家たちはクリムトを中心に「造形美術協会」を結成したが、クンストラーハウスがこれを認めなかったため、クリムトらはクンストラーハウスを脱退した。こうして生まれたのがウィーン分離派で、絵画、彫刻、工芸、建築などの芸術家が参加した。

同じく末宗美香子さんの「美女と野獣、のような」。

1898年に月刊誌「ヴェール・サクルム(Ver sacrum、聖なる春の意味のラテン語)」を刊行し、作家ヘルマン・バール(Hermann Bahr、1863-1934)らが執筆した。同年、第1回分離派展を開き、ウィーン市の土地を借り、哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889-1951)の父親で実業家のカール・ウィトゲンシュタイン(Karl Wittgenstein、1847-1913)らの支援を受けて、専用の展示施設「セセッション館(分離派会館)」を建設した。

会員の建築家ヨゼフ・オルブリッヒ(Joseph Maria Olbrich、1867-1908)が設計したもので、入口上部には「DER ZEIT IHRE KUNST,DER KUNST IHRE FREIHEIT”(時代には芸術を、芸術には自由を)」のモットーが掲げられた。クリムトが脱退するまでの1898年から1905年までに23回の展覧会を開いた。クンストラーハウスは絵画と彫刻のみで工芸などの展示を行わなかったが、分離派は総合芸術を志向し、工芸品の展示も行い、会場のデザインをヨーゼフ・ホフマン(Josef Franz Maria Hoffmann、1870-1956)が手掛けた。

しかし、分離派の多くの会員が総合芸術を志向したのに対して、画家ヨーゼフ・エンゲルハルト(Josef Engelhart)ら純粋芸術を志向する会員が不満を抱き、1905年に画家カール・モル(Carl Moll、1861-1945 )がミートケ画廊(Galerie Miethke)の顧問となり、展覧会を企画したことを直接のきっかけとして、商業主義をめぐる論争が起こった。投票の結果、モルをはじめ、クリムト、オットー・ワーグナー、ホフマン、オルブリッヒら24人が脱退し、クリムトらは後に「オーストリア芸術家連盟」を結成した。

エンゲルハルトら残ったメンバーは「胴体分離派」と皮肉られたものの、その後も分離派の活動は続いたが、美術史上に残るのは主として1897年から1905年の活動とされている。

「C-デポ」は2002年に金丸悠児さんと杉山治(すぎやま・おさむ)さんによって結成された集団で、19世紀後半に絵画、彫刻、建築といった従来の優越的なジャンルと、デザイン、工芸、ファッションなどの実用美術の領域を連結させ、「ウィーン分離派」と同様に、「アート=多様性」を理念に掲げ、アーティストと社会の架け橋を作り、表現活動によって得た対価をいかに社会に還元するかを、独立の活動を通して提案し、実践し、毎年東京を中心にグループ展を開いている。2010年に事務所「C-デポターミナル(DEPOT terminal)」を設立している。

金丸悠児さんは1978年神奈川県生まれ、2001年に東京芸術大学デザイン科を卒業、在学中に劇団に所属し、舞台美術、宣伝美術、映像制作を担当、2003年に同大学大学院を修了、2002年に杉山治さんとともにアーティスト集団「C-デポ」を設立し、創立以来現在に至るまで、毎年開く「エクスシビション(EXHIBITION)C-デポ」のプロデュースを手がけ、修了後は画家として活動、2004年よりクリエイターチーム「ebc」の一員として、ebcアトリエの創設に携わる。

現在は、百貨店や画廊を中心に作品を発表している。動物や建物などを題材に独自の表現と手法で創作し、社会におけるアーティストのあり方を追求し、さまざまな活動に展開している。

井沢由花子さんは1982年東京都生まれ、多摩美術大学絵画学科油画専攻を卒業、2016年に損保ジャパン日本興亜美術賞で審査員特別賞、2016年、2017年にシェル美術賞で入選している。現在は水彩画をメインに制作。日々の出来事や家族が紡ぐ生命の記憶を、風景に落とし込み描いている。国内での個展・グループ展の他、台湾や韓国、上海などのアートフェアにて作品を発表。

稲垣友里さんは1989年愛知県生まれ、武蔵野美術大学造形研究科修士課程美術専攻油絵コースを修了している。つかみどころのない目に見えないものを手探りでたぐり寄せるように作品を生み出している。

小川剛さんは1981年神奈川県生まれ、東京芸術大学大学院を修了、2007年に東京芸術大学卒業展で東京都知事賞、2011年に三菱商事アート・ゲート・プログラムで入選、2013年に第8回タグボートアワードで入選、特殊フィルムとさまざまな素材・表面加工を組み合わせた立体作品・インスタレーションを制作している。

上脇田直子さんは1986年鹿児島県生まれ、筑波大学大学院人間総合科学研究科芸術専攻を修了、2007年に南日本美術展で奨励賞、2010年、2015年にトーキョーワンダーウォールで入選、2014年にワンダーシード2014で入選している。

河本蓮大朗さんは1991年神奈川県鎌倉市生まれ、横浜美術大学工芸領域テキスタイルデザインコースを卒業、2017年まで同大学彫刻コース研究生として在学、大学卒業制作で優秀賞、2017年に「SICF18」で森永邦彦賞、2018年に第13回タグボートアワードでグランプリを受賞している。

末宗美香子さんは1972年神奈川県生まれ、2001年に東京芸術大学大学院美術研究科デザイン専攻を修了、同大学卒業制作でデザイン賞、2001年に第18回グラフィックアートひとつぼ展でグランプリ、アンダーズ東京のポスター制作や企業とのコラボにて壁画を制作している。

13日17時からオープニングパーティーを開く。

開場時間は11時から19時。日・月曜日、祝日は休み。

注:「井沢由花子」の「沢」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として現代漢字(常用漢字)を使用しています。