大丸松坂屋画廊で平野淳子「国立競技場」展

【銀座新聞ニュース=2018年7月10日】国内百貨店業界2位の流通グループ、J.フロントリテイリング(中央区八重洲2-1-1)傘下の大丸松坂屋百貨店(江東区木場2-18-11)が運営するアートギャラリー「Artglorieux GALLERY OF TOKYO」(中央区銀座6-10-1、GINZA SIX、03-3572-8886)は7月12日から18日まで平野淳子さんによる個展「記憶-墨 和紙 絹 箔 版 そしてデジタルと・・・」を開く。

大丸松坂屋百貨店のギャラリー「アールグロリュー ギャラリーオブトーキョー(Artglorieux GALLERY OF TOKYO)」で7月12日から18日まで開かれる平野淳子さんの個展に展示される「記憶のカケラ」(墨、箔、雲母、デジタル)。

和紙に墨で描く画家の平野淳子(ひらの・じゅんこ)さんが国立競技場という歴史の背景になってきた建物の建て替え、という出来事に遭遇し、その場所の変せんを追ったシリーズ「〈記憶〉ゲニウスロキ(国立競技場)」について、刻々と変化する場所を写真におさめることからはじめ、そのイメージを凝縮し、現れては消え形を変える「記憶」を墨を使って表現した作品約40点を展示する。

「アートスケープ」によると、事物に付随する守護の霊という意味の「ゲニウス(Genius)」と、場所・土地という意味の「ロキ(Loc?)」の2つのラテン語をもととし、場所の特質を主題化するために用いられた概念という。物理的な形状に由来するものだけではなく、文化的、歴史的、社会的な土地の可能性を示している。

日本では「土地の精霊」または「地霊」などと訳される。18世紀のイギリスの詩人であり、建築を道楽としていた英国の詩人、アレグザンダー・ポープ(Alexander Pope、1688-1744)が「第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイル(The Rt.Hon.Richard Boyle、3rd Earl of Burlington、1694-1753)への書簡」(1731年)という詩のなかで、庭園を設計するにあたりゲニウス・ロキの概念を用いたことにより注目されるようになった。

同じく個展に展示される「記憶の宮殿(マインドパレス)」(和紙、墨、箔、雲母、デジタル)。

ノルウェーの建築史家クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ(Christian Norberg-Schulz、1926-2000)の「ゲニウス・ロキ 建築の現象学をめざして」(1980年)で近代建築論の主題が空間から場所へと移行したことが述べられ、ロマン的、宇宙的、古典的視点から場所と建築の具体的な結びつきの事例を考察した。

ゲニウス・ロキは、普遍的な近代建築に対する地域主義やヴァナキュラー建築、ポストモダンの再評価とも連動する。日本では、英国の建築史を専門とする鈴木博之(すずき・ひろゆき)さんが、建築における場所性を重要視して、ゲニウス・ロキの概念を広めた。

ウイキペディアによると、国立競技場は1958年に完成され、2014年5月に閉鎖された国立霞ヶ丘陸上競技場(こくりつかすみがおかりくじょうきょうぎじょう)のことで、独立行政法人日本スポーツ振興センター (JSC) によって運営された。

明治神宮外苑、国立霞ヶ丘競技場、青山霊園のある一帯は江戸時代には青山氏の大名屋敷敷地で、1886(明治19)年に敷地跡の北側に青山練兵場が設けられた。明治天皇(めいじ・てんのう、1852-1912)崩御後に練兵場に明治神宮外苑を建設されることとなり、その敷地の一部を用いて1924(大正13)年に明治神宮外苑競技場が設けられ、大東亜戦争時の1943年10月21日に学徒出陣の壮行会会場となった。

1945年の日本の敗戦後は連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収されて「ナイル・キニック・スタジアム」という名称で使用され、1952年の接収解除後は再び一般に開放され、明治神宮外苑部の管理下となった。1958年にアジア競技大会と国民体育大会の会場となることが決まり、1956年に明治神宮から文部省に譲渡され、新設の競技場が整備された。

競技場は1957年1月に起工し、1958年3月に竣工し、同年のアジア大会を開催され、1959年に東京国体のメインスタジアムとして陸上競技が開かれた。1964年に開かれた東京オリンピックのメインスタジアムとして使用され、11億7800万円かけてスタンドの増築が行われた。

聖火台(高さと直径2.1メートル、重さ2.6トン)は、埼玉県川口市の鋳物職人の故鈴木万之助(すずき・まんのすけ)が引き受け、彼の死去後に3男の故鈴木文吾(すずき・ぶんご)が完成させた。1958年から日本陸上競技選手権大会が開かれ、2005年まで断続的に利用された。サッカーの競技場としては1968年から天皇杯全日本サッカー選手権大会が開かれ、1969年1月1日に初めて天皇杯決勝戦が国立競技場で実施された。

1976年度から全国高等学校サッカー選手権大会も開かれ、上位進出を決めたチームのみが国立でプレーするため「高校サッカーの聖地」といわれた。1970年代から1980年代の「ラグビーブーム」では日本ラグビーフットボール選手権大会などの試合が開かれ、1980年から2001年まではトヨタ・カップ(サッカー)の会場として用いられた。陸上競技の会場としては走行レーンが8レーンしかなく、サブトラックが400メートルトラックでないために、現在の国際陸上競技連盟の規格を満たしていない。トラックを使用した国際陸上競技大会としては、1999年にスーパー陸上が行われてから、2013年にゴールデングランプリ東京が開催されるまで久しく行われなかった。

独立行政法人「日本スポーツ振興センター」が管理団体になってからは断続的に施設改修が行われ、2000年代からは音楽コンサートなどの利用も進められている。2005年に初めて「スマップ(SMAP)」がコンサートに使用したが、打診してから使用許可まで5年間を要した。コンサート以外のイベントとしては、2009年7月5日に石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう、1934-1987)23回忌法要が開かれた。

2015年に解体され、その跡地に新国立競技場が建設される。2015年12月22日に大成建設、梓設計、隈研吾(くま・けんご)さんのチームによるA案に決定され、2016年1月29日に約24億9127万円で競技場整備の第I期事業を契約し、2020年春までに完成される予定で、総工費は1490億円となっている。

平野淳子さんは武蔵野美術大学日本画科を卒業、2014年、2015年に上野の森美術館大賞展で入選、2015年に損保ジャパン日本興亜美術賞フェイス(FACE)2015で読売新聞社賞などを受賞している。

開場時間は10時30分から20時30分(最終日は18時)まで。入場は無料。