「一線を超えた」現実を隠喩で表現した「新ジュラシック」(243)

【ケイシーの映画冗報=2018年7月26日】現代のバイオテクノロジーでよみがった恐竜を見せるテーマ・パークとして人気を博した「ジュラシック・ワールド(以下・JW)」で大きな事故が発生し、施設のあったイスラ・ヌブラル島は、人跡の途絶えた恐竜たちの安住の地となっていました。

7月13日から一般公開中の「ジュラシック・ワールド/炎の王国」((C)Universal Pictures)。

本作「ジュラシック・ワールド/炎の王国」(2018年、Jurassic World:Fallen Kingdom)は事件から数年後、イスラ・ヌブラル島で火山活動が活発化し、恐竜たちに全滅の危機が迫っていました。

「JW」でマネージャーであったクレア(演じるのはブライス・ダラス・ハワード=Bryce Dallas Howard)は、以前に恐竜再生にかかわっていたロックウッド財団の支援を受けて、かつての「JW」で同僚だった恐竜行動学を専門とするオーウェン(演じるのはクリス・プラット=Chris Pratt)らと恐竜を救い出すため、火山が猛威を振るう島に赴きます。

制作費は1億7000万ドル(約170億円)で、興行収入は世界で11億6800万ドル(約1168億円)。前作の「ジュラシック・ワールド」(2015年)は制作費が1億5000万ドル(約150億円)で、興行収入は世界で16億7171万ドル(約1671億7100万円)だった。

溶岩と火山弾におそわれながら、数多くの恐竜を救い出したクレアとオーウェンたちでしたが、ロックウッド財団のイーライ(演じるのはレイフ・スポール=Rafe Spall)は、生き残った恐竜を“金もうけの手段”と考えており、さらには「JW」崩壊の原因となった遺伝子操作によって作られた新恐竜“インドミナス・レックス”をさらに強化した“インドラプトル”を生み出し、軍事産業への売り込みまで画策していました。クレアたちはこの陰謀を阻止することができるのか。

マイケル・クライトン(Michael Crichton、1942-2008)の原作小説「ジュラシック・パーク(以下・JP)」とスティーブン・スピルバーグ(Steven Allan Spielberg)監督による第1作目から、「現代によみがえった(人間によって引きずり出された?)恐竜」というテーマで描かれた「JP」3部作の後日談となる「JW」ですが、一連のシリーズが単なる「恐竜の復活」を描くだけでなく、その周辺をよくいえば「現実味のある」、下司っぽく記すれば「人間のエゴに向き合った」ディティールで固めてあるのも、魅力のひとつだと考えています。

「JP」では、カネに目のくらんだ人間の暴走から大事故が引き起こされますし、その続編では恐竜を完全に“獲物(トロフィー)”と見ているハンターが登場します。

こうした部分は本作にも踏襲されており、前述のように恐竜を「商品」としてのみ、認識しているイーライや、恐竜の歯をコレクションしている雇われ兵といった、自身の欲望に忠実な人物がいる一方で、前作では「自分の出世を最優先」していたクレアが、そのキャリアを悔いるかのようにボランティアで恐竜の保護活動をおこなっていたり、自身の育てた恐竜たちを失ってしまった(ペット・ロスならぬダイナソー・ロス?)ことで、世捨て人のようになっていたオーウェンのような人物まで、多彩に表現されています。

個人的に憧憬をいだいたのは、ロックウッド財団の私設博物館でしょうか。恐竜時代を再現したジオラマや化石の標本が、所有者のためだけに鎮座している光景は、好事家にとっては、まさに理想の空間でしょう。

人間には事物を見せつけたいという気持ち(承認欲求)と、秘匿しておきたいという正反対の意識が同居しています。たしかに必要以上に金銭に執着したり、自身の行動や決断がどのような結果をもたらすかについての浅慮は問題です。本作でも生物兵器ともいえる“インドラプトル”の創造メンバーの行動原理は、金銭や自身の研究で新種を生み出すという欲求が動機なのです。

前作の「JW」を本項(2015年8月13日付第167回)で紹介したとき、太古の存在でありながら、現在でも人々を魅了する恐竜の魅力を「大きくて、強くて、いまは存在しない」と記しました。

ですが、本作の監督であるJ・A・バヨナ(J.A.Bayona)は、違ったアプローチで恐竜を捉えていました。
「映画の中の恐竜は単なるメタファー(隠喩)です。気候変動、核、グローバリゼーション・・・。私たちが一線を超えてしまった問題について、行動すべきだというメッセージを込めたかったのです」(読売新聞2018年7月6日付夕刊)

本作は確かに“一線を超えた”という表現がピッタリのストーリーとなっています。さらには、邦題の「炎の王国」よりも原題の「Fallen Kingdom=墜ちた帝国」がよりよく内容を示唆しているように感じます。

2021年に公開が予定されている続編で、3部作の最終作では、本作をバヨナ監督にゆずり、共同脚本となっていたコリン・トレヴォロウ(Colin Trevorrow) が監督に復帰するそうです。バヨナ監督からもどされたバトンをトレヴォロウがどう表現するか?壮大な最終作に対する期待をせずにはいられません。

次回は「ミッション:インポッシブル フリーフォール」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。