丸善日本橋で大阪、京都の古茶道具、文房具も

【銀座新聞ニュース=2018年8月27日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(東京都中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は8月29日から9月4日まで3階ギャラリーで「京都・大阪発 はんなり骨董楽市 特集:古文房具-机上の愛玩品」を開く。

丸善・日本橋店で8月29日から9月4日まで開かれる「京都・大阪発 はんなり骨董楽市 特集:古文房具-机上の愛玩品」に出品される古文房具各種。水滴、硯、筆架、筆、矢立、筆筒。

茶道具を中心を扱う古美術店「藤井香雲堂(ふじい・こううんどう)」(大阪府岸和田市南上町1-6-12、072-422-1917)が茶道具、諸道具、美術品など珍品逸品の数々を展示即売する。また、今回、古代から文房具は文人墨客たちにとって実用だけでなく手元に置いて愛でる対象でもあり、硯、筆、水滴、筆筒、筆架、書鎮、矢立、墨など、飽きのこない品々を紹介する。

「はんなり」は京都の方言で「華なり」が転じて「はんなり」と発音されるようになり、「華やかでありながら、気取りがなく、上品で、明るくはなやかなさまをあらわす」言葉とされている。

ウイキペディアによると、文房具(ステイショナリー=stationery)とは仕事場やオフィスなどにおいて情報の処理・記録・伝達などのために備えられる道具類をいう。文房具は筆、墨、硯、紙の4点だけを指す言葉であり、「文具」は短くした言葉ではなく、それ以外の品を含めた言葉である。

中国では「筆墨紙硯(ひつぼくしけん)」が定番の道具であり、「文房四宝(ぶんぼうしほう)」と称した。厳密にはカッターナイフや工作道具は文房具には含まれないとする考え方もあるが、広義の文房具には含まれると認識されるようになっている。
「ステーショナリー・オフィス用品のはてな」によると、鉛筆の起源とされるのは2000年前のギリシャ・ローマ時代の人々が鉛を円板状にして書いていたといわれている。現代のような鉛筆になったのは、1564(永禄7)年に英国の小さな山村の羊飼いが、仕事の最中に、地面に転がっている塊の黒鉛をみつけ、木片にはさんで用いたのが最初という。

以来、本格的に鉛筆が作られるようになったが、原料を自然に存在する黒鉛に頼っていたため、やがて黒鉛がなくなり採取できなくなってしまった。その後、ファーバーやステッドラーが黒鉛の粉と硫黄を混ぜて固める方法を工夫したが、なかなかうまくできなかった。1795年にフランス人のニコラス・ジャック・コンテ(Nicolas-Jacques Conte、1755-1805)が、粘土と不純物を含んだり、粉々になったりした黒鉛を混ぜ、高温で焼き上げることで鉛筆の芯を作ることに成功した。

この方法は、原料の混合割合によって芯の硬さを調整できることなどから、今も世界中で採用されている。一方、日本では筆記具といえば、長らく筆と墨で、江戸時代の初期に徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)や伊達政宗(だて・まさむね、1567-1636)が、オランダ人から献上の品の類で、鉛筆を手に入れたのが最初といわれている。しかし、日常的に使用されていなかった。

本格的に鉛筆が輸入されたのは明治時代になってからだが、輸入品ということで高価だったためか、日常的にはあまり使われなかった。日本人の手による最初の鉛筆は、1881(明治14)年に井口直樹(いぐち・なおき)によって試作品が作られた。1887年(明治20)年には、真崎仁六(まさき・にろく、1848-1925)が水車の動力を利用して国内で初めて鉛筆を量産することに成功し、世間に広まるきっかけを作った。真崎仁六は1920年に「真崎鉛筆製造所」(後の三菱鉛筆株式会社)を創業した。

藤井香雲堂は1942年に創業、現在、藤井正治(ふじい・まさはる)さんが運営している。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。