ホラー映画の到達点といえるパワーが宿った「来る」(252)

【ケイシーの映画冗報=2018年12月13日】かつてのテレビ界では「オカルト/未知の存在」をあつかったジャンルが一定の地位を確保していました。「心霊手術」や「降霊/除霊」といったオカルトから「世界の秘境/未知動物」、ついには「埋蔵金発掘」という番組まで放送されていました。実際、真偽のほどは定かではなく、昨今のコンプライアンス重視から、現在ではほとんど放送されることがなくなってしまいました。

一般公開されている「来る」((C)2018映画「来る」製作委員会)。

その多くに「実在が確認できない」という不確実さがあったことに、生真面目な社会が鋭敏になってきたのも、作り手の「自粛/萎縮」を促しているのかもしれません。

本作「来る」で、オカルトライターの野崎(のざき、演じるのは岡田准一=おかだ・じゅんいち)は、妻と2歳の娘と暮らす田原(たはら、演じるのは妻夫木聡=つまぶき・さとし)から、不思議な相談を受けます。

“何か”が田原の周辺とその家族を脅かしているというのです。姿を見せない“何か”を探るため、野崎は霊感体質の若い女性、真琴(まこと、演じるのは小松菜奈=こまつ・なな)と田原を引き合わせますが、「家族に優しくして」と指摘された田原は激昂(げきこう)してしまいます。「最高のイクメンパパ」を自認し、家族を愛する父親としてネット上でふるまう田原にとって「家族に優しく」というのは当たり前のことだったからです。

しかし、田原の周辺での怪異はおさまらず、ついには田原本人が帰らぬ人に。残された妻子だけでなく、野崎や真琴、そして真琴の姉で日本で最強という霊媒師である琴子(ことこ、演じるのは松たか子=まつ・たかこ)までを巻き込んだクライマックスへと向かいます。彼らと対峙する“何か”の正体は。

沢村伊智(さわむら・いち)によるデビュー作にして弟22回日本ホラー小説大賞受賞作「ぼぎわんが、来る」(2015年)を、日本アカデミー賞最優秀監督賞と最優秀脚本賞を受賞(2010年「告白」にて)した中島哲也(なかしま・てつや)が監督した本作ですが、原作ではタイトルとなっている「ぼぎわん」(作者の創造によるオリジナルの妖怪)が、映画のなかでは明確に表現されていません。

「小説と映画は別ものなので、どう変えていただいてもかまいません」と原作者の沢村は中島監督に伝えていたそうですが、「映像作品として成立させるために再構築していただいた印象だった」(パンフレットより)とのことでした。

「文字や文章から読者にイメージを喚起させる」小説に対して、画面が前提の映像作品への変換作業(適切な表現ではありません)は、難事業といえます。ビジュアルが確立しているコミックスの実写化も2次元から3次元への置き換えというハードルがあり、小説の実写化にもストーリーや全体のイメージ、キャラクターの造型などを批判されるという要素が存在します。

私自身も、原作の小説なりコミックスが「なんでこうなったのだろう?」という気持ちになった映像作品がすくなくありません。監督・脚本(共同)の中島は、原作小説を一読後、即座に映画化を構想したそうです。「原作に出てくる人物は皆面白くて、(中略)そのまま撮っちゃうと4時間を超える作品になってしまう」(パンフレットより)という制約から、原作からの取捨選択がおこなわれたそうです。

ここは重要なポイントで、「原作の忠実な映像化」を至上命題とするならば、いっそのこと、そのまま原作を楽しめばいいということになりかねません。映画は「映像作品」としての評価が第一義となるのは自然なことだといえるのですから。

CMディレクターからキャリアを出発させた中島は、「映像を魅せる」ことに関しては日本でも屈指の人物といえるでしょう。個人的には熱心な鑑賞者ではありませんが、中島の持ち味は「日常の中にたたずむ異質」の表現が特にすばらしいと感じています。

本作も、その持ち味が存分に堪能できました。一見、平凡な新婚家庭(と幼い娘)であるはずの田原の周辺に忍び寄る“何か”の圧迫感や、一般的な社会生活を送っていれば当然、目の当たりにするであろうできごとのちょっとした違和感、冠婚葬祭にまつわる「ありがちだけれどもうっとうしいエピソード」のような、こまかな雑事の集合が、やがて巨大で恐ろしい架空の存在へと昇華していく展開は、まさに「中島ワールド」の真骨頂といえるでしょう。

こうした「思い切った」作品が映画でしか楽しめない現状は、少々さびしくもあります。とはいえ、日本ホラー映画のひとつの到達点といえるかもしれないパワーが、本作には宿っていると感じます。次回は「マイ・サンシャイン」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:「沢村伊智」の「沢」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として現代漢字(常用漢字)を使用しています。