日本橋三越で江戸消防記念会が獅子舞、木遣唄等

【銀座新聞ニュース=2019年1月1日】国内最大手の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス(新宿区新宿5-16-10)傘下の三越伊勢丹(新宿区新宿3-14-1)が運営する日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は1月4日11時10分から本館1階中央ホールで江戸消防記念会第1区による「木遣り唄、まとい振り、はしごのり」を開く。

4日に江戸消防記念会第1区が披露する「木遣り唄、まとい振り、はしごのり」のイメージ画像。

社団法人「江戸消防記念会」(新宿区四谷三丁目10、消防博物館9階、03-5269-7210)の第1区(神田川、隅田川、月島・晴海から東京湾、東京駅から丸の内を範囲とする)のメンバーによる「新春はしご乗り」と「まとい振り」や「木遣(きや)り唄」を披露する。

江戸時代の消防団は1719年に大岡越前守忠相(おおおか・えちぜんのかみ・ただすけ、1677-1752)がとび職人を中心に「いろは四十八組」の町火消として江戸に組織したのがはじまりとされ、1867年に「市部消防組」となり、1914年に「江戸消防記念会」が結成され、1954年に社団法人化された。

「江戸消防記念会」は東京都23区を第1区から第11区に地域割りにし、その中で第1区は中央区全部と千代田区の1部を担当している。

「はしご乗り」とは高さ6.5メートルのはしごを使って、その上で演技する。はしご乗りの起源として、消防出初式の発端になった1659年に行われた上野東照宮前の出初めからはじめられたという説、延宝年間(1673年から1681年)に行われていた見世物「はしごさし」という説、1719年に町火消が誕生した際に、火災の方角を見るために長刺又(ながさすまた)に身軽な若者が登ったものという説がある。

町火消の中心となったのは鳶(とび)職であり、仕事前の準備運動や訓練のために行っていたといわれている。現在では、消防出初式で消防士や消防団員が披露したり、鳶職の組合が正月に披露する。

「まとい振り」は組の旗印として取り入れられ、白と黒の2色に統一されている「まとい」を振って、さまざまな技を見せる。江戸の大半を焼失した「明暦の大火」後の1658年に江戸中定火之番(定火消=じょうびけし)が設置され、江戸では、町人が住む地域の火災は「いろは」の組に分かれた町火消による消火が行われた。火災時には旗本が火消屋敷に常駐している臥煙(がえん)と呼ばれる消防員の指揮をとり出動していたが、その際に用いた馬印がまといの始まりとされている。

「木遣り唄」は複数の人員で火消しをする際に力をひとつにまとめるための掛け声や合図として唄われたもので、1956年に東京都指定無形文化財に認定されている。江戸の中期ごろには鳶職の人たちの間で盛んに歌われており、大坂城築城(1583年)のときや、大木などを運び出す掛声や音頭とりの歌が自然に起こったが、このときの歌が木遣り歌の起源とされている。

また、入宋して禅法をおさめた栄西(えいさい、1141-1215)が1202年に建仁寺を創建したとき、仕事をスムースに進めるため工事人夫に歌わせたのがはじまりとする説もある。労働歌から発祥したことで、建築そのものが慶事であったことから、木遣り歌もめでたい歌とされたとみられている。その後、町火消に伝承され、以後の組織の変遷に伴い、消防とは直接関係なく、受け継がれている。木遣り歌の数は、総数110曲から120曲といわれている。