ノエビア画廊で笹本恒子と田沼武能「明治から昭和の輝いた人」展

【銀座新聞ニュース=2019年1月13日】国内化粧品業界第7位のノエビアホールディングス(兵庫県神戸市中央区港島中町6-13-1)傘下のノエビア(東京本社・中央区銀座7-6-15、03-5568-0300)が運営するノエビア銀座ギャラリー(中央区銀座7-6-15、ノエビア銀座ビル)は1月15日から3月22日まで笹本恒子さんと田沼武能さんによる写真展「明治・大正・昭和を生きる」を開く。

ノエビア銀座ギャラリーで1月15日から3月22日まで開かれる笹本恒子さんと田沼武能さんの写真展「明治・大正・昭和を生きる」のフライヤー。上が笹本恒子さんの撮影した沢村貞子(さわむら・さだこ、1908-1996)、下が田沼武能さんが撮影した井上靖(いのうえ・やすし、1907-1991)。

明治、大正、昭和を報道写真家として撮影してきた女性報道写真家第1号で、現在104歳の笹本恒子(ささもと・つねこ)さんと、昭和を代表する写真家で、日本写真家協会の前会長、90歳の田沼武能(たぬま・たけよし)さんの作品を通して、明治時代に生まれ、大正、昭和を生き、芸術、芸能などの各分野で足跡を残した人々の輝きを振り返るとしている。

ウイキペディアによると、笹本恒子さんは1914(大正3)年東京・品川区生まれ、高等専門学校の家政科に通うも、絵の勉強に専念したかったため中退、その後、絵の研究所と洋裁学校に通った。戦前、東京日日新聞(現毎日新聞)のさし絵のアルバイト(社会面のカット)として活躍し、1939年に仮入社し、10カ月の休職ののち、1940(昭和15)年)4月に財団法人「写真協会」に入り、女性報道写真家第1号となる。

「いろいろな賞状の授与式や除幕式などの催事、海外使節団の動向、著名人や文化人の活動などを海外に紹介する」仕事を行い、国内で起こった出来事を世界に配信したが、1941年はじめに、兄からの厳しい反対および病気(脚気)のため同協会を退職した。1941年9月に結婚した。

1945年には千葉新聞に勤務し、1946年に東京で婦人民主新聞の嘱託カメラマン、1947年にフリーとなり、フォトジャーナリストとして活動を継続、1950年に日本写真家協会の創立会員となる(2011年現在名誉会員)。また、終戦後は離婚し、写真家として復帰し、国内で起こった話題・事件の女性たちを撮り、数多くのグラフ雑誌に掲載したが、活動の場であった写真グラフ誌の多くが廃刊されてしまい活動を休止した。

約20年間の沈黙を破り、1985年に71歳で国内を代表する著名な女性有名人を集めた写真展「昭和史を彩った人たち」で写真家として復帰、2001年に第16回ダイヤモンドレディー賞、2011年には吉川英治(よしかわ・えいじ)文化賞を受賞し、現役として活躍している。2014年に第43回ベストドレッサー賞・特別賞、2016年にアメリカのルーシー賞(ライフタイム・アチーブメント部門賞)を受賞した。2016年3月に、それまでに撮影した100点の写真を長野県須坂市に寄贈し、2018年に東京都名誉都民に顕彰される。

田沼武能さんは1929年東京都台東区生まれ、1949年に東京写真工業専門学校(現東京工芸大学)を卒業し、サンニュースフォトスに入社、木村伊兵衛(きむら・いへえ、1901-1974)に師事し、1950年に日本写真家協会の設立に参加、1953年にサン通信社に移籍し、1959年にフリーとなる。

1965年から世界の子どもの姿を撮影しはじめ、1974年5月31日の木村伊兵衛の死去に際して、木村伊兵衛のデスマスクを撮影した。1975年に第25回日本写真協会年度賞(1988年の第38回、1994年の第44回も年度賞)、1984年から2014年まで、黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)さんのユニセフ親善大使就任後の親善訪問に毎回同行し、子どもの姿を撮影している。

1990年に紫綬褒章を受章、1995年に日本写真家協会会長(2015年に退任)、東京工芸大学芸術学部写真学科教授に就任、2003年に文化功労者に選ばれている。護憲派の作家などで結成された「九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めている。

開場時間は10時から18時。入場は無料。

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