永谷商事が神田紅佳と神田明神、湯島天神巡り

【銀座新聞ニュース=2019年2月14日】不動産会社で、都心で寄席を経営する永谷商事永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸上野広小路亭」(台東区上野1-20-10、上野永谷ビル、03-3833-1789)は2月20日に神田紅佳さんによる「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

2月20日に開かれる「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」で「神田明神と湯島天神梅祭り」を案内する神田紅佳さん。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。

今回は「神田明神と湯島天神梅祭り」と題して二つ目の神田紅佳(かんだ・べにか)さんと一緒に「大久保彦左衛門屋敷跡」(千代田区神田駿河台1-8)から「ニコライ堂(正式名称は「東京復活大聖堂」)」(千代田区神田駿河台4-1)、「太田姫稲荷神社」(千代田区神田駿河台1-2)、「神田明神」(千代田区外神田2-16-2)、「学問の神様」といわれる「湯島天満宮(湯島天神)」(文京区湯島3-30-1)と歩いて、その後、「お江戸上野広小路亭」でしのばず寄席を鑑賞する。

「大久保彦左衛門屋敷跡」は杏雲堂病院(千代田区神田駿河台1-8)の中に大久保彦左衛門忠教(おおくぼ・ひこざえもんただたか、1560-1639)の江戸屋敷があったため、今は植え込みのなかに屋敷跡の史跡が建っている。

大久保彦左衛門忠教は「一心太助」の物語や「三河物語」で知られている。1590年に小田原征伐の後、徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)が江戸に移封されると、兄の忠世(ただよ、1632-1594)が小田原城主に任じられ、1600年の関ヶ原の戦いでは、家康本陣で槍奉行を務めたが、大久保長安事件により改易された。

その後、駿府に召し出され、徳川家康直臣の旗本として復帰し、2代目将軍徳川秀忠(とくがわ・ひでただ、1579-1632)、3代目将軍徳川家光(とくがわ・いえみつ、1604-1651)に仕えた。

大久保彦左衛門と一心太助の物語は鶴屋南北(つるや・なんぼく、?-1736)の弟子、河竹黙阿弥(かわたけ・もくあみ、1816-1893)が歌舞伎芝居向けに書き、脚色されたといわれ、一心太助は実在してない人物といわれている。

「ニコライ堂」はロシア人修道司祭の聖ニコライ・カサートキン(Nikolai D・Kasatkin、1836-1912)の依頼により、ロシアの建築家でロシア工科大学教授だったミハイル・シチュールポフ(Michael A.Shchurupov)が基本設計、イギリスの建築家、ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852-1920)が設計の一部を修正し、監督にあたり、1891年3月8日に竣工した。

1923年の関東大震災で上部のドームと鐘楼が倒壊し、1929年に復興され、1962年に国の重要文化財に指定され、1992年から9年の歳月をかけて修復が行なわれた。

「太田姫稲荷神社」は太田道潅(おおた・どうかん、1432-1486)ゆかりの古社で、元々は839年に小野皇(おのの・たかむら、802-853)が山城国の南にある一口(いもあらい)の里に神社をつくったとされたのが起源だ。1457年に江戸の開祖、太田道潅が娘の姫君が病にかかったのを一口稲荷神社の故事を聞き、祈願すると、病が回復し、江戸城内の本丸に建立し、さらに、鬼門に移し、現在の名称にした。

1606年に徳川家康が江戸城の大改築を行い、城内にあったこの社を西丸の鬼門にあたる神田駿河台東側に移した。1866年に大火で神体を除き神殿、末社、宝物などが全焼し、1928年に本社殿、神楽殿、御水舎、神輿庫、社務所、鳥居などが新築された。1931年に総武線建設のため社地の大半を収容され、鉄道省から現在地を交換地とされ、移った。

「神田明神」は730年に武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、「大己貴命(おほなむち、大国主=おおくにぬし=の若いころの名前)」を祖神としてまつったのがはじまりで、935年に敗死した平将門(たいらのまさかど、?-940)の首が近くに葬られ、嘉元年間(1303年から1306年)に疫病が流行し、これが平将門のたたりとされて供養が行われ、1309年に神田明神の相殿神とされた。

江戸時代に江戸城増築に伴い、現在地に遷座(せんざ)した。江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇され、神田祭の山車(だし)は将軍上覧のために、江戸城中にまで入ったので、別名「天下祭」ともいわれ、江戸3大祭りのひとつとされてきた。

江戸初期に豪華な桃山風社殿が、1782年には権現造の社殿が造営されたが、1923年の関東大震災で焼失した。明治時代にはいると、准勅祭社に指定されたものの、明治天皇(めいじてんのう、1852-1912)が行幸する際に、神社に逆臣である平将門がまつられていることが問題視され、平将門が祭神から外された。平将門神霊は境内摂社に遷されたが、1984年になって本社祭神に復帰した。

神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないといわれている。当時の朝廷から見て東国(関東)において反乱を起した平将門を討伐するため、成田山新勝寺で平将門の乱鎮圧のため動護摩の儀式を行わせ、成田山新勝寺を参拝することは平将門を苦しめることとなり、神田明神崇敬者は成田山の参詣をしてはならないとされている。

「湯島天神」は458年に雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、418-479)の勅命により、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)をまつる神社として創建され、 1355年に菅原道真(すがわらのみちざね、845-903)をまつり、江戸時代には徳川家が重視された。社殿は1995年に再建され、2000年に「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称した。

また、湯島天神は江戸時代より約250本の白梅の樹木など「梅の名所」として知られ、1958年から「梅まつり」が開催され、2月8日から3月8日まで開かれている。

神田紅佳さんは2013年5月に神田紅(かんだ・くれない)さんに入門、2017年10月に二ッ目に昇進している。

時間は10時から16時で、10時にJR中央線御茶ノ水駅に集合し、昼までにお江戸上野広小路亭に戻り、13時30分からお江戸上野広小路亭で神田紅佳さんも出演するしのばず寄席を鑑賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。

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