日比谷「母を亡くした時」安田顕、松下奈緒ら舞台挨拶

【銀座新聞ニュース=2019年2月15日】中堅の映画配給会社のアスミック・エース(港区六本木6-1-24、ラピロス六本木)は2月23日にTOHOシネマズ日比谷(千代田区有楽町1-1-3、東京ミッドタウン日比谷、050-6868-5068)で「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」に出演している安田顕さん、松下奈緒さんらによる舞台あいさつを開く。

2月22日から一般公開される「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」

23日10時の回上映終了後と13時の回上映前に、療護監督の大森立嗣(おおもり・たつし)さんをはじめ、「宮川サトシ」役の安田顕(やすだ・けん)さん、サトシの恋人「真里」役の松下奈緒(まつした・なお)さん、サトシの母「宮川明子」役の倍賞美津子(ばいしょう・みつこ)さんが舞台に登場してあいさつする。

「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」は宮川サトシ(みやがわ・さとし)さんが新潮社のウェブコミック「くらげバンチ」に2013年12月20日から2014年7月11日まで連載された(全16話)自伝的マンガが原作で、2015年に舞台化されている。

宮川サトシさん自身が大学時代に白血病で闘病生活を送っており、その時にたくさん心配をかけ、明るく励ましてくれた母に代わって、こんどは自分が母を救おうと闘病の母に寄り添った2年間を描いた。病気が原因で就職の内定も辞退し、大学卒業後は実家暮らしで学習塾で働きながらマンガ家をめざしていたが、母の死後、背中を押されるように上京し、マンガ家となり、母の亡くなった1年後に記録用に描いていた。

物語は子どもの頃から病気がちだったサトシだが、母のかけてくれたやさしい言葉に救われてきたにもかかわらず、2年前に母ががんの告知を受け、こんどはサトシが母にやさしい言葉をかける番になってしまったという話で、百度参り、修行僧のような滝行、国産野菜のジュース作り、とサトシは恋人の真理に支えられながら、母のためになるならと、どんなことでもやった。

しかし、30代後半になったサトシに母との永遠の別れが訪れる。あれから1年。生きる気力をすっかりなくしていた父と兄もようやく新たな人生へ再スタートをきった頃、サトシのもとに突然、母からのプレゼントが届く。

ウイキペディアによると、大森立嗣さんは1970年東京都生まれ、父親が前衛舞踏家で俳優の麿赤児(まろ・あかじ、1943年生まれ)さんで、弟が俳優の大森南朋(おおもり・なお)さん、駒沢大学文学部社会学科を卒業、在学中から8ミリ映画を制作し、俳優としても活動した。卒業後は、俳優として活動し、その後、荒井晴彦(あらい・はるひこ)さん、阪本順治(さかもと・じゅんじ)さん、井筒和幸(いずつ・かずゆき)さんらの短編映画などさまざまな作品で助監督を務めた。

2001年に自らプロデュースし、出演した「波」で第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞「ネットパックアワード(NETPAC AWARD)」を受賞、2005年に「ゲルマニウムの夜」で監督としてデビューし、東京国立博物館の敷地内の特設映画館「一角座」にて、約半年に渡って上映し、ロカルノ国際映画祭コンペティション部門に正式出品した。

2010年に監督第2作目「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」が国際映画祭フォーラム部門正式招待作品、第10回東京フィルメックス特別招待作品に出品、2010年度(第51回)日本映画監督協会で新人賞、2013年に秋葉原通り魔事件題材にしたフィクション作品「ぼっちゃん」を監督、同年に「さよなら渓谷」で世界4大映画祭のひとつ、第35回モスクワ国際映画祭のコンペティション部門出品に出品され、審査員特別賞、連続ドラマW(WOWOW)で「かなたの子」が放送された。

2014年に「まほろ駅前狂騒曲」で第14回高雄映画祭でオープニング上映され、2016年に「セトウツミ」を監督、2017年に「光」を映画化し、第12回ローマ国際映画祭のオフィシャル・セレクションで上映され、2018年に「日日是好日」で第43回報知映画賞監督賞を受賞した。

チケットはチケットぴあ(http://w.pia.jp/t/bokuiko-movie/)を通じて先行抽選を受付中で、18日11時締め切り。19日10時から一般発売する。料金は全席指定で一般2000円、大学生・専門学校生1700円、高校生・3歳以上中学生、障がい者1200円、シニア1300円。