TAUで因島物産展、柑橘や村上海賊グッズ等

【銀座新聞ニュース=2019年2月22日】広島県(広島県広島市中区基町10-52、082-228-2111)は2月23日と24日の2日間、アンテナショップ「TAU」(中央区銀座1-6-10、銀座上一ビルディング、03-5579-9952)で「第7回因島観光物産展」を開く。

「たう(TAU)」で開かれる「第7回因島観光物産展」のフライヤー。

広島県と一般社団法人「因島観光協会」(広島県尾道市因島土生町1899-31、土生港湾ビル、0845-26-6111)が共催するイベントで、因島(いんのしま)の「はっさく」や「せとか」などの柑橘をはじめ、柑橘を使ったスイーツ、干しタコ、じゃこ天れもんケーキ、れもん味噌などの瀬戸内の海産物、麦焼酎「島の力」、純米大吟醸「村上水軍」、因島イメージキャラクター「はっさくん」グッズや因島村上海賊グッズなど50品目を超える因島の産品を販売する。

また、広島お好み焼「鯉々(こいこい)」では「因島村上海賊焼き」などを提供している。

ウイキペディアによると、因島は広島県尾道市に属する島で、芸予諸島北東部に位置し、本州尾道から約17キロ南に位置する。島の北東側は布刈瀬戸を挟んで向島、南西側が生口水道を挟んで生口島となり、それぞれ因島大橋、生口橋で結ばれ「しまなみ海道」を構成している。

面積は35.03平方キロ、地質はほぼ花崗岩で、最高峰は奥山390メートル、平地が少なく山と丘陵地で構成され、中央付近を斜めに横切る国道317号によって奥山系と青影山系の2つの山系で2分されている。現在の平地の多くは古来は入江で、近世からの塩田あるいは新田開発により土地が形成された。

島の北側は「安芸地乗り」と呼ばれた古くからの瀬戸内海の主要航路で、この島の南の四国と大島の海峡である来島海峡は瀬戸内海有数の海の難所であったことから、そこを避けるようにこの島近辺に航路ができ、中世においては村上海賊(村上水軍)の拠点として、近世は廻船操業、近代以降は造船業と、船で栄えた島となっている。

平地が極端に狭かったことから稲作は近代に入るまでほぼ行われてなく、古くは製塩が盛んで、近代以降は丘陵地と温暖な気候を活かした商品作物、花や柑橘類の栽培が行われている。旧因島市はこの周辺の島嶼部において唯一市制施行したものであり、この島はインフラストラクチャーが充実し、周辺島々の中核を担っていた。

中世南北朝時代から室町・戦国時代にかけて、この島は因島村上氏の拠点となり、因島に定着した時期は不明で、1449(宝徳元)年には中庄に定住していたことがわかっている。

彼らはこの南である伊予の能島・来島を拠点とした勢力とともに「三島村上氏」と呼ばれ、芸予諸島周辺海域の舟運を取り仕切った海賊衆である。ポルトガルのカトリック司祭で、宣教師、イエズス会士のルイス・フロイス(Luis Frois、1532-1597)の「日本史」には総領家である能島村上氏のことが出てくる。

フロイスは通行する船から金品を強奪する海賊としているが、実態はいわゆる水先案内人であったと現在では考えられている。この周辺は南北に大小さまざまな島が連なり、干満で潮の流れが激変し、さらに伊予側の来島海峡は現在でも最大で10ノット(毎時約18キロ)の急潮と古来からの海の難所であった。

このため、三島村上氏が水先案内人として航行の手助けをし、「警固料」と呼ぶ通行料をとり、彼らのルールに従わないものには武力を用いたとされている。三島村上氏は当初小勢力に過ぎなかったが、次第に勢力を拡大し周辺海域の海運を掌握していく。

その中で因島村上氏は本州側の主要航路である「安芸地乗り」を抑え、航路周辺に海城や見張り台を構築していき、その付近の岩礁には船の係留場所が設けられ、海岸部では平地を埋め立て、兵站および生活拠点を形成していた。そこには海産物の加工場や、造船および修理場もあった。また菩提寺として金蓮寺(島で最初に建立された寺)を建立するなど、文化人としての顔も持ち合わせていた。

因島村上氏は早くから山陽側の大名と結びつき、所領を持っていた。日明貿易の頃には因島村上氏の村上吉資(むらかみ・よしすけ)は備後守護大名である山名氏に取り入り、遣明船の警固衆(護衛)を命じられ、この島の西側は小早川水軍の縄張りであり、小早川氏とも関係を深めていた。

村上吉充(むらかみ・よしみつ)の時代、1555(天文24)年に厳島の戦いの際には小早川水軍とともに毛利氏に加勢し、この勝利により北側の向島の所領を与えられた。現在、因島水軍城に展示されている室町時代末期作の軽武装用鎧「白紫緋糸段威腹巻 附兜眉庇」は吉充が小早川隆景(こばやかわ・たかかげ、1533-1597)より拝領したと伝えられている。以降、毛利氏の下につき(毛利水軍)、防長経略、門司城の戦い、第一次木津川口の戦いなどに従軍した。

営業時間は10時30分から20時(24日は17時)。