ノエビア画廊で中原淳一展、戦後のスタイル

【銀座新聞ニュース=2019年4月1日】国内化粧品業界第7位のノエビアホールディングス(兵庫県神戸市中央区港島中町6-13-1)傘下のノエビア(東京本社・中央区銀座7-6-15、03-5568-0300)が運営するノエビア銀座ギャラリー(中央区銀座7-6-15、ノエビア銀座ビル)は3月25日から5月31日まで中原淳一原画展「中原淳一のスタイル」を開いている。

ノエビア銀座ギャラリーで5月31日まで開かれている中原淳一原画展「中原淳一のスタイル」のフライヤー。

戦前から戦後にかけて、雑誌編集をはじめファッションデザイナー、人形作家、インテリアデザイナー、イラストレーターとした活躍した中原淳一(なかはら・じゅんいち、1913-1983)が、当時の女性たちの服装に明るい夢を呼び起こした「中原淳一のスタイル」を、雑誌原画から紹介している。

ウイキペディアなどによると、中原淳一は1913年2月16日香川県大川郡白鳥町(現東かがわ市)生まれ、1928年に日本美術学校に入学し、本格的に西洋絵画を学び、1932年に銀座松屋でフランス風人形の個展を開き、雑誌「少女の友」の専属画家として表紙、さし絵を手がけるも、軍部の圧力により、1940年5月号を最後に掲載されなくなる。

1940年に千代田区麹町にグッズを扱う雑貨店「ヒマワリ」を開店し、「きものノ絵本」を通信販売で発行し、宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子(あしはら・くにこ、1912-1997)と結婚し、2男2女が誕生する。1945年3月に招集され、8月に復員し、1946年に神保町で雑貨店「ヒマワリ」を再開し、雑誌「ソレイユ」を創刊し、売れ行きがよく「ヒマワリ社」(後「ひまわり社」)を設立した。

1947年に雑誌「ひまわり」を創刊(1952年に廃刊)、1948年に「それいゆ」臨時増刊として「ジュニア号」を発行、1954年に雑誌「ジュニアそれいゆ」を創刊、1958年に心筋梗塞のため入院し、12月に退院した。1959年7月に脳溢血のため入院、10月に退院、1960年に心臓発作のため入院し、「それいゆ」と「ジュニアそれいゆ」を廃刊、1961年に千葉県館山市で療養生活、1964年にフランスにわたり、半年後に帰国、1970年3月に雑誌「女の部屋」を創刊、体調悪化により廃刊し、1972年に脳血栓で倒れ、館山市で療養生活し、1983年4月19日に亡くなった。

開場時間は10時から18時。入場は無料。

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