ヴァニラで川上勉「死と生」展、墓碑銘に触発

【銀座新聞ニュース=2019年4月12日】ヴァニラ画廊(中央区銀座8-10-7、東成ビル、03-5568-1233)は4月13日から22日まで川上勉さんによる個展「EPITAPH-かつて私はあなたであった。やがてあなたは私になるだろう」を開く。

ヴァニラ画廊で4月13日から22日まで開かれる川上勉さんの個展「エピタフ(EPITAPH)」のフライヤー。

彫刻家で乾漆技法で制作している川上勉(かわかみ・つとむ)さんが主に「死」をモチーフに乾漆という技法で制作を続けており、「エピタフ(EPITAPH、墓碑銘)」と題して、「かつて私はあなたであった。やがてあなたは私になるだろう(トゥ・フィ、エゴ・エリス=Tu fui,ego eris)」をテーマにして、川上勉さんがこの墓碑銘を知り、「死」というものが急にリアルなものとなり、「そこから得たインスピレーションをもとに『死』の存在を無意識的に感じることができる造形をした」としている。

「トゥ・フィ、エゴ・エリス(tu fui, ego eris)」はポンペイ遺跡(ナポリ近郊の古代都市)で発見された墓に刻まれていた墓碑銘で、「私(墓に眠る死者)も昔はあなた(墓参りをする人)のように生きていた。あなたもやがて私のように死を迎えるだろう」という意味とされている。

ウイキペディアによると、ポンペイ(Pompeii)は、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市で、79年8月24日昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれた。その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されている。

イタリア先住のオスキ人とヒーコ人によって集落が形成されたのがポンペイで、紀元前7世紀頃はサルノ川の河口付近の丘に集落があり、紀元前526年からエトルリア人に占領されたが、ポンペイはイタリア南部に居住していたギリシャ人と同盟を組み、紀元前474年クマエの海戦で支配から脱した。ギリシャ人はその後、ナポリ湾を支配した。

紀元前5世紀後半からサムニウム人の侵攻が始まり、紀元前424年にはサムニウム人に征服された。サムニウム人はまた、カンパニア(イタリア南部)全体を支配した。この時代、ローマがポンペイを征服したという説があったが、現在この説を裏付けるものはない。

カンパニアの諸都市が同盟市戦争と呼ばれる戦争をローマに対して起こすと、ポンペイも反ローマ側に加わった。紀元前89年、ポンペイは周辺のカンパニア諸都市とともにローマの植民都市となった。ポンペイは港に届いたローマへの荷物を近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、以後は商業都市として栄えた。

また、娼婦の館などが発掘され、ここで男女の交わりを描いた壁画が多く出土したことから、現代ではポンペイは「快楽の都市」とも呼ばれるが、商業も盛んな港湾都市で、火山噴火まではぶどうの産地であり、ワインを運ぶための壺が多数出土されている。

62年2月5日、ポンペイを襲った激しい地震によりポンペイや他のカンパニア諸都市は大きな被害を受けた。79年8月24日13時頃にヴェスヴィオ火山が大噴火し、8月25日(噴火から約12時間後)の噴火末期に火砕流が発生し、ポンペイ市は一瞬にして完全に地中に埋まった。地震の前には2万人程度いたポンペイ市民の内、何らかの理由で街に留まった者の中から逃げ遅れた者約2000人が犠牲になった。

1748年にポンペイが再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするために断続的に発掘が行われた。ポンペイは建造物や街区が古代ローマ当時のままの唯一の町として知られている。

川上勉さんは1968年北海道函館市生まれ、1991年に北海道函館教育大学函館校を卒業、1993年に上越教育大学大学院を修了、2006年に全道展会員、2007年に国画会会友、2007年に札幌市で個展を開き、2011年にあさご芸術の森大賞展準大賞、2012年にヴァニラ画廊大賞奨励賞などを受賞した。2015年、2017年にヴァニラ画廊で個展を開いている。

開場時間は12時から19時(土・日曜日、祝日、最終日17時)まで。入場料は500円。