今も影響力を持つ元副大統領を描いて過去を問う「バイス」(261)

【ケイシーの映画冗報=2019年4月18日】4年に1度のアメリカ大統領選挙では、最終的に民主党と共和党の候補者による一騎討ちとなるのですが、どちらが大統領になるかで、アメリカ中(世界中?)が、予測を立てます。ちなみに、日本でも「アメリカ大統領選挙」というテレビゲームのソフトも販売されたことがあります。

現在、一般公開中の「バイス」((C)2018 ANNAPURNA PICTURES,LLC.All rights reserved.)。

アメリカ大統領の権限は大きく、銃規制の意欲的な民主党候補が有利となると、銃器や弾薬のメーカーが大増産にはげみます。民主党の大統領によって銃規制が強化される前の「駆け込み需要」に対応するためで、共和党のトランプ大統領の誕生で「予想を外した」組織や個人が相当数、生まれたとのこと。

また、大統領はかなりフリーハンドで人事を差配できるので、候補者周辺の人々も、恩恵を受けるための努力と献身を惜しまないのだそうです。アメリカ大統領をとりあげた作品はハリウッドにも多く存在しますが、副大統領(Vice President)を主人公にすえたメジャー映画は本作「バイス」(Vice、2018年)が最初ではないでしょうか。

1963年。ワイオミング州で電気工として働くディック・チェイニー(Dick Cheney、1941年生まれ。演じるのはクリスチャン・ベール=Christian Bale)は、恋人のリン(Lynne Vincent Cheney、1941年生まれ。演じるのはエイミー・アダムス=Amy Adams)に最後通告を受けます。飲酒運転で留置所に放りこまれるような日々を脱却しなければ見捨てる、というものでした。

心を入れ替えたチェイニーは勉学にはげみ、共和党所属の下院議員ドナルド・ラムズフェルド(Donald H.Rumsfeld、1932年生まれ。演じるのはスティーヴ・カレル=Steve Carell)のもとで働くことになります。

「寡黙で指示通りに働き、忠実」だったチェイニーは、師匠のラムズフェルドの立場が上がるごとに自身もキャリアをアップさせていきます。結婚したリンとの間にはふたりの娘に恵まれ、ついには史上最年少の34歳で「アメリカ大統領にもっとも近い存在」である首席補佐官に就任することになります。

心臓に持病があり、口下手(だから寡黙だった)なチェイニーを支えてきたのは妻のリンでした。良妻賢母で筆も立ち、スピーチも達者なリンにとって、女性ということで活躍の場が限られていることが不満で、それを夫のチェイニーに託したのです。チェイニーは、妻の願いにこたえ、アメリカ副大統領にまでのぼり詰めます。

大統領は父と同様に大統領となったジョージ・W・ブッシュ(George W.Bush、1946年生まれ。演じるのはサム・ロックウェル=Sam Rockwell)で、かつて酒びたりでああったブッシュは、大統領としては疑問符のつく人物でしたが、それをチェイニーが補佐するという体裁でした。

そして、就任後の2001年9月11日、アメリカ同時多発テロに直面します。チェイニーはそこで真価を発揮しました。黒子でありながら絶大な指導力を見せます。それは、大統領を越える強大な権力の行使でした。

監督・脚本のアダム・マッケイ(Adam McKay)はコメディ番組の台本からキャリアをスタートさせ、コメディ映画でヒットを連発しましたが、アメリカの金融問題を正面から描いた「マネー・ショート華麗なる大逆転」(The Big Short、2016年)でアカデミー賞脚色賞を受け、コメディだけではないことを実証しています。

マッケイ監督が「特別な分野における天才。官僚の天才だ」(パンフレットより)と評する主人公の依頼を受けたチェイニー役のベールは最初「まったく似ていないし、共通しているものもない」と否定的でしたが、「家庭では良き父でも、真実ではないことを語ったり、不当な戦争に導いたりすることもある」(2019年4月12日付読売新聞夕刊)と魅力を感じ、出演を決めたそうです。

「まったく似ていない」とベールが語った容姿ですが、約20キロの増量と毎日5時間を要したという特殊メイク(アカデミー賞メイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞)によって、20代の新進気鋭から老獪な70代までをひとりで演じており、これは妻のリン役であるエイミー・アダムスやラムズフェルド役のスティーヴ・カレルも同様です。もちろん、演者の力量があってのメイクですが。

本年に入ってから、実際のできごとに題材を求めた作品を多く取り上げています。時代も1960年代から2000年以降までと多岐にわたっていますが、これらに共通するのは、「過去は本当に過去なのか?」という問いかけではないでしょうか。

チェイニー役のベールはこう語ります。
「(前略)過去30年間、米国の政府内、特に共和党内で影響力を持ち続けた。チェイニー氏の存在はまだ現在進行中で、彼なしに今の状況はない」(読売新聞夕刊)。

現代アメリカを知る、現状でベストの作品だと思います。次回は「シャザム!」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。

編集注:ウイキペディアによると、”ディック”リチャード・ブルース・チェイニー(Richard Bruce “Dick” Cheney)は1941年ネブラスカ州リンカーン生まれのウェールズ系アメリカ人で、メソジスト。ワイオミング州のキャスパーで育ち、父母は農務省に勤務していた。イェール大学を中退し、ワイオミング大学に編入学し、ワイオミング大学政治学専攻を卒業、1966年に同大学大学院政治学専攻修士課程を修了、さらに、ウィスコンシン大学大学院博士課程に移り、同大学大学院博士課程政治学専攻時代に、当時のウィスコンシン州知事、ウォーレン・ノールスのスタッフをつとめる。

リチャード・ニクソン(Richard Milhous Nixon、1913-1994、1969年から1974年まで大統領)政権では、大統領次席法律顧問を務め、ニクソンがウォーターゲート事件により辞任した後は、ジェラルド・フォード(Gerald Rudolph “Jerry” Ford.Jr.、1913-2006)政権で史上最年少、34歳でアメリカ大統領首席補佐官となる。その後、ワイオミング州から下院選に出馬、1978年に選挙では難しいとされながら当選を果たし、1989年まで6期つとめた。

1981年に当選2回ながら、首席補佐官時代の調整・政策立案能力を買われNo.4の下院・政策委員長に就任、イラン・コントラ事件の事態収拾に尽力した。人種隔離政策を推進していた南アフリカのピーター・ウィレム・ボータ(Pieter Willem Botha、1916–2006)政権に融和的で、1986年の同国に対する制裁法案には反対票を投じている。1989年に共和党下院院内幹事をつとめていたトレント・ロット(Chester Trent Lott,Sr.,1941年生まれ)の上院鞍替えに伴い、院内幹事に就任した。

ジョージ・H・W・ブッシュ(George Herbert Walker Bush、1924-2018、1989年から1993年まで大統領)政権の国防長官に1989年3月に就任、1990年8月にイラクのクウェート侵攻(クウェートをイラクの19番目の県として併合)が行われると、イラク軍のクウェートからの撃退のため、隣国・サウジアラビアとの関係強化を図り、中央軍・第3軍の駐留に合意。1991年1月の湾岸戦争を、ノーマン・シュワルツコフ(H Norman Schwarzkopf Jr. 1934-2012)、コーリン・パウエル(Colin Luther Powell、1937年生まれ)らと主導した。

アメリカのハリバートン社の経営にも1995年から2000年までCEOとして参加、ハリバートンは世界最大の石油掘削機の販売会社であり、イラク戦争後のイラクの復興支援事業や、アメリカ軍関連の各種サービスも提供し、湾岸戦争とイラク戦争で巨額な利益を得た。チェイニーは、この会社の最大の個人株主でもある。2000年の大統領選挙前にジョージ・ウォーカー・ブッシュ(当時テキサス州知事、 George Walker Bush、1946年生まれ)から副大統領候補を検討する委員長に任じられるも自らを推薦して次期副大統領となり、政権移行チームでも責任者となって閣僚人事を掌握した。

2001年1月20日にブッシュ政権の成立により第46代アメリカ合衆国副大統領となり、同年9月のアメリカ同時多発テロ事件直後は政府存続計画を実行して大統領危機管理センターなどの政府施設に避難し、アメリカ史上初とされる「影の政府」を組織した。小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう、1942年生まれ、2001年から2006年まで首相)首相との会談をこなしたり、フロリダ州立大学の卒業式に参加した。フォード、子ブッシュ両政権で、国防長官であったドナルド・ラムズフェルドと30年以上もの師弟関係にある。

在任中は、「史上最強の副大統領」と呼ばれ、あるいはブッシュ政権において次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問を務めたカール・ローヴ(Karl Christian Rove、1950年生まれ)とともに「影の大統領」ともあだ名された。チェイニーは就任当初から自らの大統領への野心を否定し続けてきたが、そのことによりブッシュの篤い信頼を勝ち得、政権内で絶対的なNo.2の地位を維持し続けた。また、万が一の時に備えて自らのペースメーカーにもテロ対策を施していた。

一方で民主党への政権交代が決定した後の2008年12月、CNNが行った世論調査によればチェイニーが副大統領としての能力に劣っているとの回答が41%を占めた他、「史上最悪の副大統領」だとする意見が23%にのぼった。