丸善日本橋で九州銘木と松原瑞雲「屋久杉工芸」展

【銀座新聞ニュース=2019年5月6日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・日本橋店(中央区日本橋2-3-10、03-6214-2001)は5月8日から14日まで3階ギャラリーで「第5回木の匠展 屋久杉工芸展」を開く。

丸善・日本橋店で5月8日から14日まで開かれる「第5回木の匠展 屋久杉工芸展」のフライヤー。

屋久杉の「土埋木(どまいぼく)」を使って、仏壇、神棚などを制作している「九州銘木」(鹿児島県鹿児島市東開町3-93、099-267-1366)の作品と、仏像彫刻家で、仏師の松原瑞雲(まつばら・ずいうん)さんが手作りした「仏像」などを展示販売する。

ウイキペディアによると、「屋久杉」は屋久島の標高500メートル以上の山地に自生する杉のことで、狭義にはこのうち樹齢1000年以上のものを指し、樹齢1000年未満のものは「小杉(こすぎ)」と呼ばれる。一般に、杉の樹齢は長くても500年程度だが、屋久杉は栄養の少ない花崗岩の島に生えるため、成長が遅く、木目が詰っており、降雨が多く湿度が高いため、樹脂分が多く腐りにくい特徴を持つ。そのため樹木の寿命が長いといわれ、樹齢2000年以上の大木が多い。縄文杉や紀元杉、ウィルソン株が有名である。

1560年頃に大隅正八幡宮(鹿児島神宮)の改築にあたって屋久島からスギ・ヒノキ材が運ばれたことが同神宮の石碑に記されている。これが記録に残る初の屋久杉の伐採利用とされている。1587年の九州制圧後、石田三成(いしだ・みつなり、1560-1600)が島津義久(しまづ・よしひさ、1533-1611)に命じて、屋久島の木材資源量の調査を行っており、1590年頃に小豆島の大型船11隻が京都方広寺大仏殿造営のため、屋久杉材を大阪へ運んだとされる。

江戸時代に入り、屋久島出身で薩摩藩に仕えていた日蓮宗の僧で儒学者の泊如竹(とまり・じょちく、日章=にっしょう、1570-1655)が屋久島の島民の貧困を目にして、屋久杉の伐採を島津家に献策したとされ、1640年頃から山岳部奥地の本格的な伐採が始まった。

屋久杉は船材・建築材などさまざまな形で製品化されたが、多くは「平木」と呼ばれる屋根材に加工され、出荷された。屋久杉は薩摩藩により専売制のもと、販売が独占された。島民は薩摩藩に年貢として主に平木を納め、またそれ以外のさまざまな産物も平木に換算して石高が計算され、いわば「平木本位制」ともいうべき経済統制がおこなわれた。

また、年貢の割り当て分以外の屋久杉は、米その他の品物と交換される形で薩摩藩に買い上げられ、島民の収益となった。明治時代、1873年の地租改正で島の90%以上が国有地とされ、島民による伐採が制限された。これを不服とし、屋久島側が国有林の払い戻し(返却)を求めて裁判を起こすが敗訴した。しかし、これによる島の経済的困窮が問題となり、1921年に山林局鹿児島大林区署によって「屋久島国有林経営の大綱」が発令された。判決で国有林化が決定し、屋久杉伐採は本格的に開始された。2001年に各種の保護区以外の国有林では伐採可能な林分を切り尽くし、天然屋久杉伐採は終了した。

「津山銘木有馬店」によると、「土埋木」とは「土に埋もれた木」のことで、自生している木ではなく、かつて伐採され、山に放置された材木や台風などによって倒れた材木などを総称して「土埋木」という。屋久島の山には、「屋久杉」が「土埋木」として多く残存している。

屋久島が薩摩藩に編入されると、江戸時代に大規模な伐採がおこなわれた。屋久島は石でできた島のため、土地が肥沃にならず、安定的に米を作ることができず、年貢として米に代わって「屋久杉」が収められていた。

年貢には、短冊形の小板(長さ50センチ×幅10センチ×厚さ5ミリ程度)に加工されて上納された。油分が多く、年輪が緻密で、丈夫な屋久杉の特性を活かして、屋根材として利用するためで、この小板を「平木」と呼んだ。このため、加工に向かない繊維の入り組んだ屋久杉は、伐採後も山に放置された。これがいまも山に放置されている「土埋木」になる。

「杉」は上空に向かって真っ直ぐに伸びる木のことで、ここから「杉」と呼ばれ、屋久杉も杉なので真っ直ぐ伸びる。しかし、1000年もの樹齢の屋久杉は、根っこの部分やコブなど、繊維の入り組んだ、真っ直ぐとは言えない部位が出てくる。これらの屋久杉は平木への加工に向かないため、山に放置された。屋久杉は多くの樹脂を含んでいるため、数百年たった今でも朽ちることなく、樹木の姿をとどめている。

屋久島は島の山林の85%が国有林で、屋久杉を含む原生林について国がほとんどを管理している。また、1982年に屋久杉の伐採は禁止されたが、国有林の中で、一部の地域は土埋木に限り搬出が認められている。そのために、伐採禁止後も、現在でも屋久杉が市場に出回っている。林野庁が主体となり、土埋木の競り市が定期的に鹿児島でおこなわれてきたからだ。しかし、このままのペースで搬出が進むと、限定地域の土埋木が数年で枯渇するとみられ、そのため近年、屋久杉の原木価格が高騰している。

九州銘木は1977年に設立され、数千年の風雪に耐え、豊富な樹脂分を含んだ樹齢1000年以上の屋久杉の「土埋木」を使って、仏壇、神棚などを制作している。

松原瑞雲さんは1979年大阪府生まれ、2001年に仏師の松原瑞芳(まつばら・ずいほう)さんに師事し、仏像彫刻の道に入り、2005年に第28回日本美術工芸会展で新人賞(2008年会長賞、2010年大阪市長賞、2013年大阪府知事賞、2018年大阪市立美術館館長賞)。

2009年に「日本美術工芸会」事務局長に選任、2013年に独立し、第49回新創美術展で奈良県知事賞(2014年和歌山県教育委員会賞、2015年兵庫県教育長賞)、第49回秋の小品展で大阪府知事賞などを受賞している。

会期中、松原瑞雲さんが仏像彫刻を実演する。

開場時間は9時30分から20時30分(最終日は17時)まで。