GWは熱海の美術館で北斎鑑賞、東方神起MVもよかったよ(278)

【tamaoのOL独り言=2019年5月9日】あっという間にGW終わってしまった。皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか?私は着るもののお片づけ、来客とプチ旅行に行きました。プチ旅行、そう、今見直されている熱海に行ってきました。

熱海の「エムオーエー(MOA)美術館」からの眺め。

なぜ熱海か、というと住んでいる友達に誘われたからなんだけど、どうしても気になっていた「エムオーエー(MOA)美術館」に連れて行ってもらった。ちょっと前に改築されたらしく、箱根の名店オーミラドがあり、おしゃれなランチしちゃった。

庭もきれいだったし、何しろ山から見える景色が素晴らしい。初島だけじゃなく、大島もよくみえて、目がよくなったかと錯覚しちゃった。

そして、美術館ではちょうど「北斎漫画と富獄36景展」をやっていて、赤富士とか、神奈川沖浪裏を見ちゃった。ほら、教科書に出てるやつ!

残念ながら国宝を3点持ってるはずだけれども、1点しか展示してなかった。でも、その1点はちょうどこの季節の藤が描かれている野々村仁清の「色絵藤花文茶壺」だもんね。思ったより小さかったけど、藤がきれいで素敵だった。

これが長い長いエスカレーター。200メートルもある。MVでは椅子のあるところで東方神起が踊ってました。

北斎の赤富士も、実は真似をして作品作りをしたので、細かく、細かく見たつもりだったけど、ちょっと違っていた。まぁ、素人の作品ですから。

そして作品も凄かったけど、美術館の入り口に通じるエスカレーター、長い長いエスカレーターなんだけど、「東方神起(とうほうしんき)」の「スーパースター(super star)」っていうミュージックビデオ(MusicVideo)で使われてたところ。そんなことを思いながら乗り継いで行ったから全然長さを感じなかった。

普段パソコンばっかり見ている目にとって、栄養のある日になったのでした。少しはリフレッシュできたかな?あっという間に過ぎて、もう戦闘態勢となった5月のはじめでした(敬称略、中堅企業に勤めるOLのタマオさんが日常の生活について思っていることを不定期に書きます。注書きは著者と関係ありません)。

注:ウイキペディアによると、「エムオーエー(MOA)美術館」(静岡県熱海市桃山町26-2)は熱海市の高台にある美術館で、世界救世教・教祖の岡田茂吉(おかだ・もきち、1882-1955)が創立者で、彼のコレクションを基盤に国宝3件、重要文化財66件(2016年現在)、重要美術品46件を含む約3500件を所蔵している。

その内容は、絵画、書跡、工芸、彫刻などで、日本、中国をはじめ東洋美術の各分野にわたり、美術的にも、研究的にも大きな魅力と価値のある作品によって構成されている。メインロビーからは、初島や伊豆大島、房総半島から三浦半島、伊豆半島まで180度の大パノラマを眺望できる。

公益財団法人 岡田茂吉美術文化財団が運営し、美術品の展観をはじめ、いけばな、茶の湯、芸能、児童作品展など幅広い文化活動を展開し、美による情操教育など美術教育にも力をいれている。

入口から美術館本館まで約60メートルの高低差があり、総延長200メートルにおよぶ7基のエスカレーターが設置されている。エスカレーターの壁面や天井は照明が刻々と変化し、色彩のグラデーションを楽しむことができる。 エスカレーターの途中に直径約20メートルの「円形ホール」があり、催し物などに使用されている。

設置にあたっては、自然環境をそこなわないようとの配慮からオープンカット方式を採用し、山の斜面を上から掘り下げて通路を設置し、完成後もう一度土を盛って木を植え、元通りの山に復元した。設計施工は鹿島建設。

本館前の相模灘を望むムア広場にはヘンリー・ムーア(Henry Spencer Moore、1898-1986)の「王と王妃」が設置されている。黄金の茶室も1586(天正14)年正月、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし、1537-1598)が時の天皇、正親町天皇(おおぎまち・てんのう、1517-1593)に茶を献じるために、京都御所内の小御所に組立式の黄金の茶室を運びこみ、黄金の道具を用いて茶会を行ったという史実に基づいて復元制作した。

能楽堂もあり、優れた伝統芸能を紹介する目的で設置され、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)の入母屋(いりもや)造となっている。座席数501席。

注:葛飾北斎(かつしか・ほくさい、1760年?-1849)は江戸時代後期の浮世絵師。

注:「東方神起」はユンホ(ユノ)とチャンミン (マックス)の男性デュオで、2003年に結成され、2004年に韓国デビューし、2005年に日本でデビューしている。2010年までは5人組ボーカルグループだったが、所属事務所との訴訟を経て、2011年1月から現在の2人で活動している。

ただ、2015年に2人が兵役義務により、活動を休止し、2017年4月にユンホが除隊、続いてチャンミンも8月に除隊し、約2年に及ぶ兵役を終了しことから2017年8月に活動を再開した。