M84でR・ドマシーら「写真絵画主義」展、スュードルの印刷も

【銀座新聞ニュース=2019年5月24日】Art Gallery M84(中央区銀座4-11-3、ウインド銀座ビル5階、03-3248-8454)は5月27日から7月6日まで写真展「ロベール・ドマシーなどのピクトリアリズム」を開く。

アート・ギャラリー・エム・ハッシー(Art Gallery M84)で、5月27日から7月6日まで開かれる「ロベール・ドマシーなどのピクトリアリズム」に出品される作品「音楽のレッスン(La Lecon de musique)」((C)Robert Demachy)。

今回は、フランスの写真家、ロベール・ドマシー(Robert Demachy、1859-1936)やコンスタン・ピューヨ(Constant Puyo、1857-1933)、エドワード・スタイケン(Edward Steichen、1879-1973)らの作品を展示することにより、「美を追い求めた当時の写真家たちの想いを感じ」(アート・ギャラリー・エム・ハッシー=Art Gallery M84)てもらい、「日本の現写真分野において芸術作品の位置付けがどのようになっているのだろうかと考えるきっかけに」なることを期待して開く展示会だ。

ピクトリアリズム(写真の芸術性を追求する絵画主義)は、19世紀末から20世紀初頭に一世を風靡した写真の潮流で、印象派のフランスの画家、セザンヌ(Paul Cezanne、1839-1906)、ドガ(Edgar Degas、1834-1917)と競った「ピクトリアリズム」を代表する写真家がロベール・ドマシーだ。

フランス政府が所有するロベール・ドマシーのオリジナルガラス原板から政府公認のプリンター クロディンヌ・スュードル(Claudine Sudre、1925-2013)が焼き付けたプリント(プラチナプリント)も11点展示する。

また、ロベール・ドマシーが会長を務めた「クラブ・フォト・ドゥ・パリ(club photo de Paris)」の会報や写真集なども展示する。

19世紀末に写真技術の科学者と写真師は同じくくりで扱われていたが、このことに芸術としての写真をめざす人たちが不満を持ったのが、「ピクトリアリズム」写真の誕生のきっかけといわれている。

当時、写真はその記録性のみが注目され、芸術作品としての認識や評価はなされてなかったという。そんななか写真を芸術と認知させるべく、絵画的な写真を目指す動きが広がった。

ウイキペディアによると、「ピクトリアリスム(ピクトリアリズム)」は20世紀の初期に最高潮に達し、モダニズム写真が広い範囲にわたって出現した後の1914年以後急速に衰退した。

1910年ごろからストレートフォトグラフィが普及するに伴い、絵画を模倣するような作品は写真の本来の姿ではないなどと厳しい批判の対象とされ、それ以前の勢力は失った。ストレートフォトの立場からはピクトリアリスムは画面をぼかし、絵画の構図を模倣したものであるという批判がなされた。

英国の風景写真家、ヒントン(Alfred Horsley Hinton、1863-1908)は、写真がリアルなものを写している、という考えへの異議申し立てとして勃興した印象派絵画の理論を導入して、逆に写真そのものを本来の事物に近づけるためにそれらの手法を用いようとしたのであり、単に古典名画から構図を借りたという類のものではないという反論を行った。

ロベール・ドマシーは1859年パリ郊外のサンジェルマンアンレー生まれ、銀行家の息子で、後に莫大な遺産を相続し、経済的に恵まれていた。18歳で軍のボランティアとして1年間奉仕した。1870年代半ばにパリでボヘミアン文化に関わり、1870年代後半には写真をはじめ、1882年に「フランス写真協会(Societe francaisede photosie)」に選ばれ、ヨーロッパの一流の写真家たちと交流した。

1888年にモーリス・ブケ(Maurice Bucquet、1860-1921)とともに、写真美学を主張する「クラブ・フォト・ドゥ・パリ(club photo de Paris)」を結成した。1889年にアメリカ・ミシガン州デトロイト出身のジュリア・デラノ(Julia Adelia Delano、1867-1932)という女性と出会い、1893年5月2日にパリで結婚した(1909年に離婚)。1895年に「クラブ・フォト・ドゥ・パリ」としてガムプリントの展覧会、ロンドンの「リンクド・リング(The Linked Ring)」に選ばれた。

1901年に67重クロム酸ガム印刷物をプリントし、1904年に80重クロム酸ガムプリントによる展示会を開き、1905年にロンドンの「王立写真協会」に選ばれ、1906年頃に油印刷を支持し、重クロム酸ガム印刷を放棄した。

1911年に「モダン・ブロモイル・プロセス(modern bromoil process、油彩印刷)」を完成し、その後、パリ、ウィーン、ニューヨーク、ロンドンで展示会を開催した。しかし、1914年にカメラの撮影をやめてしまい、スケッチを描いた。1936年12月29日、ノルマンディーのヘネケビルで「小動物硬化症」により死亡した。2日後、パリのペールラシェーズ墓地の家族の墓に埋葬された。

開場時間は10時30分から18時30分(最終日は17時)。入場料は500円(税込)。日曜日が定休。展示物はすべて購入できる。

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