TASAKIが安藤美姫写真展、VOGUEとコラボ

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【銀座新聞ニュース=2012年11月30日】TASAKI(田崎真珠、中央区銀座5-7-5、03-3289-1111)は11月29日から12月25日まで地下1階で写真展「TASAKI タイムレスクリスマスシアターフィーチャリングミキアンドウ(Timeless Christmas Theater featuring Miki Ando)-安藤美姫 氷上のモダニティ」を開催している。

TASAKI 安藤美姫さん

TASAKIが12月25日まで開催している「安藤美姫 氷上のモダニティ」のポスター。

月刊女性誌「ヴォーグ・ジャパン(VOGUE JAPAN)」(コンデナスト・パブリケーションズ)と協力して、フィギュアスケート選手の安藤美姫(あんどう・みき)さんを「モードの女神」として抜てきし、安藤美姫さんが「ヴォーグ・ジャパン」のモデルとして、氷上でTASAKIのジュエリーを身に付けて撮影し、その中から展示する。また、ショートフィルムも公開している。

さらに、クリエイティブ・ディレクター、タクーン・パニクガル(Thakoon Panichgul)さんが今回のためにデザインし、チャコットが制作した特製コスチュームや、オリンピックや世界選手権などで着用した思い出のコスチュームやスケートシューズなども展示する。

一方、「ヴォーグ・ジャパン」1月号では特別付録としてTASAKIののパール付きスマートフォン・イヤホンジャック・アクセサリーを付けている。

ウイキペディアなどによると、安藤美姫さんは1987年愛知県名古屋市生まれ、9歳でスケートをはじめ、1998年に全日本ノービス選手権Bクラスで3位、1999年に同大会Aクラスで優勝、2001-2002シーズンに全日本ジュニア選手権で優勝、ISUジュニアグランプリ (JGP)もJGPファイナルを含む3戦とも優勝し、シニアの全日本選手権で3位、2003-2004シーズンにJGPファイナルで優勝、全日本ジュニア選手権で3連覇を達成し、全日本選手権で初優勝、世界選手権でも4位と健闘した。

2004-2005シーズンに全日本選手権で2連覇、2005年5月からアメリカに練習拠点を移し、2006年にトリノオリンピックの代表に選出されたものの総合15位に終わった。2010年にバンクーバーオリンピックに出場、5位入賞した。この間、中京大学付属中京高校を卒業、トヨタ自動車に入社し、中京大学体育学部に社会人学生として在籍、2011年3月に卒業した。

「ヴォーグ」は1892年に週刊誌としてアーサー・ボールドウィン・ターナー(Arthur Baldwin Turnure、1857-1906)によって創刊され、1909年にアーサー・ボールドウィン・ターナーの死後、コンデ・ナストが事業を継承し、隔週刊誌とし、1910年代初期にイギリスから国外展開をはじめ、スペインでは失敗したが、フランスでは成功を収めた。

1960年代にアメリカ人のダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland、1903-1989)が編集長に就任し、1971年まで務め、アシスタントのグレース・ミラベラ(Grace Mirabella)さんが編集長に就き、1973年に月刊誌となり、1988年にアナ・ウィンター(Anna Wintour)さんが編集長に就いた。

日本では1999年7月に日経コンデナスト(現コンデナスト・パブリケーションズ・ジャパン)から「ヴォーグ・ニッポン(VOGUE NIPPON)」として創刊、2011年5月号より現在の「ヴォーグ・ジャパン」に改称した。日本版の編集長は渡辺三津子、(わたなべ・みつこ)さん、ファッションディレクターはアンナ・デッロ・ルッソ(Anna dello Russo)さんが務めている。

開場時間は11時から19時30分。入場は無料。