ヤマサ美術館で浜口陽三「さくらんぼ」展、版画講座も

【銀座新聞ニュース=2019年7月24日】しょう油業界第2位のヤマサ醤油(千葉県銚子市新生町2-10-1)が運営する「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」(中央区日本橋蛎殻町1-35-7、03-3665-0251)は7月24日から9月23日まで「真夏のサクランボは闇に輝く。-浜口陽三 夏の銅版画展」を開く。

ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクションで7月24日から9月23日まで開かれる「真夏のサクランボは闇に輝く。-浜口陽三 夏の銅版画展」に展示される浜口陽三の作品。

ヤマサ醤油の「しょう油王」と呼ばれた、第10代目社長、浜口儀兵衛(はまぐち・ぎへえ、号は梧洞、1874-1962)の3男として生まれた、銅版画家の浜口陽三(はまぐち・ようぞう、1909-2000)の代表的モチーフ「さくらんぼ」をテーマに作品を展示し、空間演出を加えて、「さくらんぼをめぐって絵の中を冒険するよう」な展覧会としている。

浜口陽三は1909年和歌山県有田郡広村(現有田郡広川町)生まれ、「ヤマサ醤油」の10代目社長、浜口儀兵衛(はまぐち・ぎへえ、1874-1962)の3男で、1927年に東京美術学校(現東京芸術大学美術学部)彫刻科塑造部に入学、1930年に東京美術学校を中退、フランスにわたり、最初の銅版画「猫」(ドライポイント=銅板に直接針で図柄を描く、銅版画技法の一種)を制作した。

1939年に第2次世界大戦のため帰国し、「自由美術家協会」の結成に参加、1942年に経済視察団の通訳として仏領インドシナ(ベトナム)に渡航し、1945年に帰国している。1951年に銅版画の個展を開き、1953年に再びフランスにわたり、以降、主にフランスで制作を続けた。1954年に現代日本美術展で佳作賞、サロン・ドートンヌの会員に選ばれ、1955年頃からカラーメゾチント(鏡面のような銅板の表面に「ベルソー」という道具を用いて、一面に微細な点を打ち、微妙な黒の濃淡を表現する。これに色版を重ねて刷るのがカラー)を制作、1957年に東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞、サンパウロ・ビエンナーレで版画大賞した。

1958年に毎日美術賞、ルガノ国際版画ビエンナーレ(スイス)で受賞、1961年にリュブリアナ国際版画展(ユーゴスラビア)でグランプリ、1966年、1972年にクラコウ国際版画ビエンナーレ(ポーランド)で受賞、1977年にリュブリアナ国際版画展でサラエボ美術アカデミー賞、1981年にパリからサンフランシスコに移住し、和歌山県文化功労賞、1982年に北カリフォルニア版画大賞展でグランプリ、1983年にサンフランシスコ市から「市の鍵」を授与された。

1984年にサラエボ冬季オリンピック大会のオリンピック記念ポスターに「さくらんぼと青い鉢」が採用された。1985年に東京と大阪で、日本で初の回顧展、ベルギー王立アカデミーの会員、1986年に勲3等旭日中綬章、1994年に北来アート評議会の版画部門最優秀賞、1996年に帰国し、2000年12月25日に逝去、享年91歳。妻の南桂子(みなみ・けいこ、1911-2004)も銅版画家。

「ミュゼ浜口陽三・ヤマサコレクション」はヤマサ醤油の倉庫として使われていたのを、1998年11月にヤマサ醤油が浜口陽三の個人美術館として開設した。カフェもあり、コーヒーが500円。

8月1日から31日まで版画ワークショップを開く。ぬりえ体験で、入館者は誰でも参加でき、カラーメゾチントの色の仕組みを楽しく学べる。参加費は100円。

8月24日、25日の12時、13時、14時からそれぞえれ20分程度、小野沢峻(おのざわ・しゅん)さんが「ムーブメントアクト(Movement Act)」と題した、ジャグリングから着想を得たパフォーマンスを実演する。

小野沢峻さんは群馬県生まれ、2019年3月に東京芸術大学美術学部先端芸術表現科を卒業、年現、同大学大学院先端芸術表現科修士課程に在籍し、ジャグリングパフォーマーとしても活動している。

7月24日から8月25日まで「ぷちメゾチント体験」ができる。5センチ角の小さなメゾチント作品を学べるもので、完成した作品は後日、美術館で刷り、郵送してもらえる。参加費は350円(材料費+郵送費込)。

注:「浜口儀兵衛」の「浜」と「小野沢峻」の「沢」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。