金春通りで能楽祭り、大蔵吉次郎、金春憲和、高橋忍ら、「獅子三礼」も

【銀座新聞ニュース=2019年8月3日】金春通り会と社団法人「金春円満井会」(杉並区南荻窪3-18-10、山田ビル、03-3331-6714)は8月7日に銀座金春通りで能の奉納「第35回能楽金春祭り」を開く。

8月7日に銀座金春通りで開かれる能の奉納「第35回能楽金春祭り」。画像は過去の会場風景。

「金春通り」は銀座8丁目の中央通りから1つ有楽町寄りに入った通りの名称で、江戸幕府直属の「能楽金春流(のうがくこんぱるりゅう)」の屋敷があり、明治以降は金春芸者などが往き交う花柳界として知られ、現在も1863年に開業された公衆浴場「金春湯」(中央区銀座8-7-5)が存在することから、この名前が使われている。

7日18時から開かれる「能楽金春祭り」の演目は、能楽師狂言方 (大蔵流)の大蔵弥太郎(おおくら・やたろう)さんによる「延命冠者(えんめいかじゃ)」、金春流前宗家のシテ方の金春安明(こんぱる・やすあき)さんによる「父尉(ちちのじょう)」。

狂言方の大蔵吉次郎(おおくら・きちじろう)さんによる「鈴之段(すずのだん)」、シテ方で、金春流81世宗家のシテ方の金春憲和(こんぱる・のりかず)さん、シテ方の高橋忍(たかはし・しのぶ)さん、シテ方の金春穂高(こんぱる・ほだか)さんによる「獅子三礼(ししさんらい)」。例年はシテ方が演じる3人大臣の「弓矢立合(ゆみやのたちあい)」だが、2014年の30回目以来、2019年は5年目にあたるため、「獅子三礼(ししさんらい)」が披露される。

笛は栗林祐輔(くりばやし・ゆうすけ)さん、小鼓(こつづみ)が幸信吾(こう・しんご)さん、大鼓が原岡一之(はらおか・かずゆき)さん、太鼓が大川典良(おおかわ・のりよし)さん。後見(シテ方)が井上貴覚(いのうえ・よしあき)さん、後見(狂言方)が大蔵基誠(おおくら・もとなり)さん。

地謡が辻井八郎(つじい・はちろう)さん、山井綱雄(やまい・つなお)さん、本田芳樹(ほんだ・よしき)さん、本田布由樹(ほんだ・ふゆき)さん。

能奉行は中央区長の山本泰人(やまもと・やすと)さんで、能奉行の「能楽始めませ」で、「延命冠者」と「父尉」がそれぞれ面をつけ、白式の装束で狂言方が演じる「延命冠者」から始まる。

続いて白式の翁装束(おきなしょうぞく)に面をつけた「父尉」が天下泰平、国土安穏を祈る。さらに、「鈴の印」の鈴を振り、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈念(きねん)して、足拍子(あしびょうし)で大地を踏む「鈴之段」が演じられる。

最後は5年ごとに演じられる「獅子三礼」で、「石橋」や「望月」といった曲に登場する獅子の舞を、79世金春信高(こんぱる・のぶたか、1920-2010)が金春祭りのために特殊演出したのが「獅子三礼」で、これにより、奉納能の儀式が終了する。司会、解説は能楽師の森瑞枝(もり・みずえ)さん。

「金春祭り」は1985年に第1回が開かれ、以来、2019年で35回目を迎える。演目は金春流が古来より奈良の地で受け継いできたもので、「春日若宮おん祭り」で演じられる「弓矢立合」や、興福寺薪能で演じられる「延命冠者」や「父尉」などを基として構成されている。

路上での演能については、「春日若宮おん祭り」で昔から浅靴を履いて路上(鳥居の下)で演じられてきたことから、「金春祭り」でもその形式が採用されている。

ウイキペディアなどによると、能楽金春流は能の謡や舞を担当するシテ方(主人公)で、6世紀後半に聖徳太子(しょうとくたいし、574-622)に近侍した秦河勝(はたの・かわかつ、生没年未詳)を遠祖としている。

「金春」という名称は能楽が大成された室町時代(1336年から1573年)に鬼能(おにのう)に長じた毘沙王権守(びしゃおう・ごんのかみ)の子どもが「金春権守(こんぱる・ごんのかみ)」という芸名を使ったことから生まれ、その孫で57世宗家の金春禅竹(こんぱる・ぜんちく、1405-1471)が世阿弥(ぜあみ、1363?-1443?)に師事し、娘婿となり、基礎を築いた。

能楽は戦国武将たちにも好まれ、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし、1537-1598)が62世宗家の金春安照(こんぱる・あんしょう、1549-1621)に師事したことから、金春流が公的な催能の際に中心的な役割を果たし、金春安照が重厚な芸風によって能界を圧倒し、大量の芸論や型付を書き残した。

しかし、江戸時代において金春流は観世流に次ぐ第2位とされたものの、豊臣家との親密さから流派は停滞期に入り、明治時代に金春宗家は奈良などで細々と演能を続けていた。こうした流儀の危機にあって、金春流の能楽師、桜間伴馬(さくらま・ばんま、1836-1917)が熊本藩細川家に仕えていたが、明治維新後に上京し、舞台、装束、面などが思うように手に入らない環境のなかで、東京において金春流を守った。

その後、79世金春信高(こんぱる・のぶたか、1920-2010)が上京し、他流に比べて整備の遅れていた謡本を改訂し(昭和版)、復曲などにつとめ、積極的に女流能楽師を認めるなど、多くの改革を行った。小鼓方大倉流、大鼓方大倉流、狂言方大蔵流は金春流から分かれたものという。

また、8月1日から8月7日まで新橋会館(中央区銀座8-6-3)屋上に祀られている「金春稲荷神社」を金春通りに移して一般の人も参拝できるようにする。

「金春稲荷神社」は大和(現・奈良県)を拠点として活躍していた能楽の「大和四座(やまとしざ)」のひとつ「円満井(えんまい)座=金春家」が豊臣秀吉の保護を受け、能楽の筆頭として召し抱えられ、徳川家康も能楽を保護し、四座の宗家(家元)を江戸に移し、幕府直属の能役者である金春太夫(こんぱる・だゆう)が1627年に山王町(現銀座8丁目)に屋敷を拝領し、その屋敷の中にあったといわれている。

京都深草の藤森神社より遷座したもので、「森氏稲荷」ともいわれ、金春太夫が豊臣秀吉から拝領した能面が御神体とされている。1780年ころに屋敷は麹町善国寺谷(現千代田区麹町3丁目から4丁目)に移されたものの、金春屋敷で下働きをしていた女性たちがそのまま住み着き、長唄、常磐津、小唄、端唄、舞などの芸に通じ、人をもてなす才にも長けていたところから、金春芸者(新橋芸者)のはじまりと伝えられている。

金春稲荷神社は1923年の関東大震災前は金春湯の隣りにあり、座敷に向かう前の芸者衆がお参りをしてから出かけたといわれている。大震災で焼失し、その後新橋会館屋上に移されたことになっている。新橋会館には新橋芸者の「見番」(花柳界で芸者と料亭との取り次ぎをしたり、玉代の計算をしたりするところで現在は組合になっている)があり、その前の通りが2011年に「見番通り」と命名された。

金春円満井会(こんぱるえんまいかい)は1984年に金春流能楽の伝統を守り、能の振興を図るために設立され、1986年に社団法人化された。会員は約400人。

25世大蔵弥太郎さんは1974年生まれ、25世大蔵弥右衛門(おおくら・やうえもん、1948年生まれ)の長男で、祖父の24世大蔵弥右衛門(1912-2000)と父に師事し、5歳で「以呂波」で初舞台を踏み、1998年に宗家に伝わる幼名「千太郎」を襲名し、2002年に「大蔵流若手狂言シン(SHIN)」を結成している。公益社団法人「能楽協会」理事。同東京支部常議員。

金春安明さんは1952年奈良県奈良市生まれ、79世金春信高(こんぱる・のぶたか、1920-2010)の長男。1959年に興福寺での薪能(たきぎのう)「海人」子方で初舞台、1961年に「じょうじょう」で初シテ、1976年に学習院大学文学部国文科を卒業した。

1984年に「金春円満井会」を設立(1986年に社団法人化)、初代理事長に就任(現在顧問)、1991年に重要無形文化財「能楽」保持者に認定され、2006年に家元を継承し、2017年4月に家元を長男の金春憲和さんに譲り、金春憲和さんが81世に就任した。

大蔵吉次郎さんは1950年生まれ、24世大蔵弥右衛門(おおくら・やうえもん)の次男、ニ松学舎大学を卒業、1989年に「吉次郎」を襲名した。現在、二松学舎大学と中京大学の講師を務めている。重要無形文化財能楽(総合指定)保持者。

金春憲和さんは1982年東京都生まれ、金春安明さんの長男、6歳で能「邯鄲」にて子方、13歳で能「経政」にて初シテ、2017年に父親の金春安明さんに代わって、金春流81世宗家に就任した。現在、金春円満井会常務理事。

高橋忍さんは1961年奈良県大和郡山市生まれ、国学院大学法学部を卒業、79世金春信高と父親の高橋汎(たかはし・ひろし)さんに師事、1971年に子方で初舞台、1982年に初シテ、1987年に能楽養成会を修了、1998年に「座・スクエア(SQUARE)」を結成している。

金春穂高さんは1965年奈良県生まれ、金春栄治郎(こんぱる・えいじろう、1895-1982)の孫で、金春晃実(こんぱる・てるちか、1931-2002)の長男。神戸大学教育学部を卒業、1969年に子方で初舞台、1978年に初シテなどを経験する。

栗林祐輔さんは1977年生まれで、国立能楽堂第6期研修を修了、これまでに「乱」や「石橋」や「道成寺」を披(ひら)く。国立能楽堂研究生として研さんを積んでいる。笛方森田流。

幸信吾さんは1957年生まれ、17世宗家幸正影(こう・まさかげ、1924-1995)の芸嗣子で、養父の穂高光晴(ほたか・みつはる、1913-2002)、幸流小鼓方の曽和正博(そわ・まさひろ)さんに師事し、1980年に「笠之段」で初舞台を踏み、重要無形文化財総合指定保持者(人間国宝)。社団法人「能楽協会」会員。

原岡一之さんは祖父の原岡正隆(はらおか・まさたか、1926-2010)、葛野流大鼓方の人間国宝、亀井忠雄(かめい・ただお、1941年生まれ)さん、亀井広忠(かめい・ひろただ、1974年生まれ)さんに師事し、9歳で初舞台を踏み、ヨーロッパを中心に海外公演も経験している。葛野流大鼓方。

大川典良さんは1973年生まれ、地元の祭囃子を通して和楽器の楽しみにふれ、大学のサークル活動で能と出会う。その後、国立能楽堂三役養成研修第5期に応募、6年の研修を終え、「望月」や「猩々乱」や「道成寺」を披く。能楽太鼓方金春流能楽師。

井上貴覚さんは1971年生まれ、法政大学文学部日本文学科を卒業、1992年に大宮薪能「江口」ツレにて初舞台、1996年に円満井会定例能「箙」で初シテ、現在、金春円満井会理事。

大蔵基誠さんは1979年東京都生まれ、4歳で「以呂波」にて初舞台、その後、「末広がり」や「那須の語」、「千歳」、「釣狐」などに出演、2000年に奈良市観光大使、2009年にNHKスペシャルドラマ「白州次郎」に出演している。

辻井八郎さんは1966年生まれ、学習院大学経済学部を卒業、1974年に「国栖」子方にて初舞台、1979年に「猩々」にて初シテ、重要無形文化財総合指定保持者に認定され、日本能楽会会員、金春円満井会常務理事。

山井綱雄さんは1973年生まれ、国学院大学文学部を卒業、1978年に5歳で能「柏崎」子方にて初舞台、1984年に11歳で能「経政」にて初シテ、現在、金春円満井会理事。

本田芳樹さんは1977年生まれ、1980年に仕舞「老松」でデビュー、1981年に能「鞍馬天狗」稚児にて初舞台、能楽協会会員、円満井会会員。

本田布由樹さんは1980年生まれ、父親の本田光洋(ほんだ・みつひろ)さんに師事し、東京芸術大学音楽学部を中退、1985年に「善知鳥」子方で初舞台、1990年に「小鍛冶」前シテで初シテ、1999年に「獅子」に出演、「能楽協会」会員、「円満井会」会員。

森瑞枝さんは1961年生まれ、国学院大学大学院文学研究科(神道学専攻)博士課程後期単位取得を修了、1981年から1988年まで国学院大学金春流能楽研究会に所属、2005年に能楽協会に入会、2007年に「東北」(円満井会定例能)で初シテ、円満井会定例能などで地謡を務め、現在、金春円満井会理事。

観覧は無料で、16時から金春通りで座席指定券を配布する。

注:「大蔵流」、「大蔵弥太郎」、「大蔵吉次郎」、「大蔵基誠」の「蔵」と「弥」はいずれも正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。