おかしみ、悲しみを描いた政治映画「記憶にございません」(272)

【ケイシーの映画冗報=2019年9月19日】さる映画通のかたと会食中、「映画の悪役タイプ」についての話題となり、「ハリウッド映画の登場人物には上院議員がおおい」ということで意見が一致しました。

一般公開されている「記憶にございません!」((C)2019 フジテレビ/東宝)。

任期が6年とじっくりと議員生活を送れるアメリカの上院議員は、政治力を発揮しやすいといわれています。そのぶん“誘惑”にも弱いらしく、ハリウッド作品での悪役/黒幕には上院議員が目立つような印象があります。

ひるがえって、日本ではあまり映像作品に「政治、政府、内閣」といった題材は取り上げられない気がします。本作「記憶にございません!」のように“まったくの架空”に設定しないといろいろな問題が生じる懸念でしょうか?

“支持率2.3%という史上最悪のダメ総理”と呼ばれている黒田啓介(くろだ・けいすけ、演じるのは中井貴一=なかい・きいち)は病院のベッドで目を覚まします。演説中に聴衆を罵(ののし)った黒田は投石を頭に受け、記憶喪失になっていました。夜の町をさまよう黒田は、首相秘書官の井坂(いさか、演じるのはディーン・フジオカ)に強制的に“保護”されてしまいます。

「首相が記憶喪失になったこと」は、最高機密として秘書官3名の秘密となり、ダーティーな政治家として活動してきた黒田は“純朴な存在”として、総理大臣という立場を演じることになったのです。

まさに人が変わった黒田は、変わらない政治を是とし、歴代の総理をコントロールしてきたという官房長官の鶴丸大悟(つるまる・だいご、演じるのは草苅正雄=くさかり・まさお)との対決姿勢を固め始めますが、政敵との秘密の関係や記憶にない密約など、周囲はトラブルだらけ。

ついには黒田のスキャンダルを掴(つか)んだというフリーライターの古郡祐(ふるごおり・たすく、演じるのは佐藤浩市=さとう・こういち)と対峙することに。内閣と日本の行く末を決するというアメリカ大統領の来日を迎え、“生まれ変わった”黒田総理はこうした諸問題にどう対処するのでしょうか。

脚本・監督の三谷幸喜(みたに・こうき)は、学生演劇の脚本を出発点として、舞台、テレビドラマ、映画と多岐にわたって活躍している表現者です。コメディが中心と思えるのですが、推理ドラマや時代劇でも実力を発揮しています。

内閣や政治・政局をあつかうとなると、「(現状への)風刺や批判がなければ」という意見もあります。映画作品には思想信条がなければならない、といった主旨の発言をした映画監督も存在しています。

“先読み”をしたのか三谷監督は自身の作品へのスタンスをこう述べています。「主義主張のために自分の作品を使いたくないんです。だから今回も現実の政界を批判する気は最初からなかった」(パンフレットより)

個人的にはこの意見に大賛成です。
「もし政治を変えたい、日本を変えたいと思ったら、選挙に出て、政見放送で言うべき。それを映画に利用するのが嫌なんです。そのための映画なんて作りたくない」(2019年9月13日付「読売新聞夕刊」)

日本に存在するほとんどの映画作品は、興行を目的とした商業作品です。主義主張や思想信条の披露が本筋ではないのです。もちろん、表面には出さずに、巧みに語りかけるという手法もあるのですが。

三谷監督は「やっぱり最高権力者のコメディーを作りたかった。ものすごいプレッシャーの中で生きている。そこにおかしみとか悲しみがあるわけで、そこをピックアップしたかった」(前掲紙)と作品の主題を語ります。

本作は三谷監督による「日本国の総理大臣というキャラクターを使ったコメディー映画」という私家版であって、政治を扱っているからといって「こうでなければ」という誰かの勝手な規範に縛られる必要はないはずです。

「まず映画として面白い」これが大前提でなければ、と自分は信じています。三谷監督はこうも語っています。「僕は映画で育ったと思っているので、映画に恩返しをしたい」(前掲紙)

奇しくもこれは、前回の本稿で取り上げた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の脚本・監督であるクエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)がこの作品を「ハリウッドへのラブレターだ」と語っているのに通じているのではないでしょうか。

三谷監督が1961年生まれ、タランティーノ監督は1963年とほぼ同世代。監督作も三谷監督が8本目、タランテーィノ監督も新作で9本目と量産する人物ではなく、また監督作もすべて自身の脚本となっているなど、いろいろな近似値を感じてしまいました。

「史実・歴史」よりも「作品の質」を信条としている映画人の力作を見比べても一興ではないでしょうか。次回は「アド・アストラ」を予定しています(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。