志門で武蔵野美大OB展、内田信、松林彩子ら10人

【銀座新聞ニュース=2019年9月30日】ギャルリー志門(中央区銀座6-13-7、新保ビル、03-3541-2511)は9月30日から10月5日まで武蔵野美術大学OBによる「M-M31展-230万光年の彼方へ」を開いている。

ギャルリー志門で10月5日まで開かれている武蔵野美術大学OBの「M-M31展-230万光年の彼方へ」のフライヤー。

武蔵野美術大学(小平市小川町1-736)OBで、画家として活動している作家たちが新作を中心に作品を展示している。

出品者はイトウジュンさん、池田(いけだ)しょうさん、内田信(うちだ・しん)さん、清水洋子(しみず・ようこ)さん、竹内和彦(たけうち・かずひこ)さん。

田鶴浜洋一郎(たつるはま・よういちろう)さん、土屋恭子(つちや・きょうこ)さん、広光芳江(ひろみつ・よしえ)さん、松林彩子(まつばやし・さいこ)さんの9人。また、前学長の甲田洋二(こうだ・ようじ)さんが賛助出品している。

武蔵野美術大学は1929年に東京・吉祥寺に「帝国美術学校」として開校されたのがはじまりで、1935年に創立者兼初代校長の北昤吉(きた・れいきち、1885-1961)と学生が学校の運営と移転問題をめぐって対立し、学生のストライキ事件(同盟休校事件)を期に学校が分裂し、北昤吉は多摩帝国美術学校(現多摩美術大学)を創設した。

1947年に「造型美術学園」と校名変更、1948年に「武蔵野美術学校」と改称され、1957年に学校法人「武蔵野美術学校」が認可され、1961年に鷹の台校(現鷹の台キャンパス)を開設、1962年に学校法人「武蔵野美術学校」を学校法人「武蔵野美術大学」に改称し、武蔵野美術大学を開設、1969年に鷹の台校に全学を統合し、「武蔵野美術学園」を開設している。

1973年に大学院造形研究科(修士課程)を開設、1988年に武蔵野美術短期大学を「武蔵野美術大学短期大学部」に校名を変更し、2001年にTAC(多摩アカデミックコンソーシアム)として、多摩地区の4大学(国立音楽大学、国際基督教大学、東京経済大学、津田塾大学)と単位互換制度を実施し、早稲田大学とも単位互換制度を締結した。

2002年に造形学部通信教育課程(4年制、本部は武蔵野市吉祥寺東町3-3-7)が開設され、2003年に武蔵野美術大学短期大学部を廃止され、2004年に大学院造形研究科に造形芸術専攻(博士後期課程)を開設、20178年3月に武蔵野美術学園が廃校された。

現在、大学の学部では、造形学部と造形構想学部、造形学部通信教育課程があり、大学院には造形研究科と造形構想研究がある。

開場時間は11時から19時(最終日は17時)まで。

注:「田鶴浜洋一郎」と「広光芳江」の「浜」と「広」は正しくは旧漢字です。名詞は原則として常用漢字を使用しています。