宇宙を舞台に親子の内的対峙を描いた「アド・アストラ」(273)

【ケイシーの映画冗報=2019年10月3日】去年から今年にかけて、ハリウッドでは、現実の宇宙開発に沿った作品が通常よりも多作されたように感じます。1969年7月のアポロ11号による人類初の月着陸から50年という時期も影響したに相違ありません。

現在、一般公開中の「アド・アストラ」((C)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation)。

宇宙開発には、この50年で参入する国が増加しましたが、「人類を月へと送った」のはアメリカただ一国です。

本作「アド・アストラ」(Ad Astra、2019年)の舞台は未来の地球です。アメリカ軍のエンジニアであるロイ(演じるのはブラッド・ピット=Brad Pitt)は、宇宙空間での作業中、サージと呼ばれる電磁嵐によって死の危険に直面しますが、理性的な判断で生き残ります。冷静なロイは、対人関係を築けず、妻とも別れており、孤独な私生活を送っていました。

ロイはアメリカ宇宙軍から呼び出しを受けます。ロイを襲ったサージは世界的に大きな被害を起こし、さらに強力なサージの到来も予測されているというのです。さらに衝撃的な事実が知らされます。ロイの父親であり、優秀な宇宙飛行士ながら宇宙での事故で死んだとされていたクリフォード(演じるのはトミー・リー・ジョーンズ=Tommy Lee Jones)がサージの発生源である、海王星の近くで生きている可能性があるということでした。

16年前、地球外生命体を探査するため、太陽系の外へと向かったクリフォードたち研究チームの宇宙船が海王星の付近にとどまっていることから、息子であるロイに、クリフォードとの接触が要請されたのです。

まず月へ赴き、そこから火星へと降り立ったロイは父親に対する呼びかけをおこないますが、反応はなく、やがて帰還命令が出されますが、納得できないロイはたったひとりで海王星を目指します。

月着陸に成功したころ、宇宙開発の専門家からこんなコメントが出されていました。「人類はあと30年ほどで月旅行ができるようになるだろう」。すでに「2001年宇宙の旅」(2001:A Space Odyssey、1968年)が公開されていたので、その劇中をイメージしての発言かもしれません。

スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick、1928-1999)監督の傑作SF映画である「2001年」では、民間の宇宙船が宇宙空間に進出していました。作品の後半では、地球外生命体を求めて木星を目指す宇宙船が舞台となっていましたので、本作にも一脈、通じているのではないでしょうか。

ロイが地上から月へ向かうロケットは、現代の旅客機をイメージさせますが、地球からはなれるにしたがって“乗客”ではなくなっていき、環境も劣悪になっていきます。くわえて月の地表では、資源をめぐっての略奪行為が常態化しているなど、文明の進んだ世界で未開地のようなの蛮行がなされているという“バラ色ではない未来世界”が描かれていきます。

現状の諸問題がそのまま宇宙にも拡大しているイメージが感じられます。監督・脚本(共同)のジェームズ・グレイ(James Gray)は、本作のアイディアをこう述べています。
「もしも深宇宙にいて何も失うものがなかったとしたらと考えたんだ。どんな実験でも、際限なく実行できるのではないかと。それからジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』や映画『地獄の黙示録』のことを考え始めて、本作のアイディアが生まれた」(パンフレットより)

ジョセフ・コンラッド(Joseph Conrad、1857-1924)による「闇の奥(Heart of Darkness)」は「アフリカの奥地に入ったヨーロッパの象牙商人が文明人でありながら“野生化”してしまう」ストーリーで、主人公はジャングルの奥へ河をのぼりながら、進歩したはずの文明人の内側にある“闇の奥”を直視していく行程が、そのまま映画「地獄の黙示録」(Apocalypse Now、1979年、監督・フランシス・フォード・コッポラ=Francis Ford Coppola)の源泉となっています。

理知的で冷静であったはずの父親が、自身の旺盛な探究心にとりつかれ、理性すら失ってしまったらしいという状況に対峙するロイは、自分と父親とのつながりを感じる一方、決定的な違いも認識することになります。

先端科学の理解者である宇宙飛行士が宇宙での経験からオカルト的な思考にとらわれたり、宗教色を強めるということは珍しいことではありません。それだけ“地表を離れる”という行為が、人間に与える影響が大きいということでもあるのでしょう。

ロイも父親を尊敬する一方、自身の目的のために家族を捨て去ったことへの葛藤を秘めており、それが現在のロイ自身におおきな影響となっていること。映画ほどドラマティックではありませんが、実父を亡くして1年ほどになる自分自身にも、なにか思い当たる部分があるようで、鑑賞後は不思議な感覚に包まれておりました。次回は「ジョン・ウィック:パラベラム」の予定です(敬称略。【ケイシーの映画冗報】は映画通のケイシーさんが映画をテーマにして自由に書きます。時には最新作の紹介になることや、過去の作品に言及することもあります。当分の間、隔週木曜日に掲載します。また、画像の説明、編集注は著者と関係ありません)。