リコー画廊でコーシュティエ「新しい波」撮影現場と「50年代日本」展

【銀座新聞ニュース=2019年10月20日】国内最大のOA機器メーカーのリコー(中央区銀座8-13-1、03-6278-2111)グループのリコーイメージング(大田区中馬込1-3-6)が運営するギャラリー「リコーイメージングスクエア銀座」(中央区銀座5-7-2、三愛ドリームセンター、03-3289-1521)は10月23日から11月17日まで8階ギャラリーゾーン「A.W.P」でレイモン・コーシュティエさんによる「NEW WAVE CINEMA&JAPAN50s -甦る奇跡の日々」を開く。

リコーイメージングスクエア銀座で10月23日から11月17日まで開かれるレイモン・コーシュティエさんによる「ニュー・ウェーブ・シネマ&日本50年代(NEW WAVE CINEMA&JAPAN50s)-甦る奇跡の日々」に展示される「原爆投下後の広島の路上で遊ぶ子どもたち」(広島、1954年、(C)Raymond Cauchetier, courtesy of Boogie Woogie Photography)。

リコーイメージングスクエア銀座では8月17日から11月17日までの3カ月間、3人のフランス人写真家を特集しており、その第1弾がフィリップ・サルーン(Philippe Salaun)さんで、第2弾がベートランド・フェブレ(Bertrand Fevre)さん、最後にレイモン・コーシュティエ(Raymond Cauchetier)さんの個展を開く。

レイモン・コーシュティエさんは30歳から写真の道に入り、約70年のキャリアをもつ写真家で、インドシナ戦争からキャリアをスタートさせ、その後もアジア諸国を撮影した。日本では作品を通じて木村伊兵衛(きむら・いへえ、1901-1974)と親交をもち、それが縁で日本のカメラ誌に作品が紹介される。

その後、作品を日本で紹介する機会は少なくなり、今回は2つをテーマにして展示する。ひとつがフランス映画史を飾るヌーヴェル・ヴァーグ(Nouvelle Vague)の運動と共に数々の映画のスチールカメラマンとして活躍した作品で、主な展示はジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard、1930年生まれ)監督の「勝手にしやがれ」(1960年)、「女は女である」(1961年)。

フランソワ・トリュフォー(Francois Roland Truffaut、1932-1984)監督の「突然炎のごとく」(1961年)、「アントワーヌとコレット」(1962年)、「夜霧の恋人たち」(1968年)、ジャック・ドゥミ(Jacques Demy、1931-1990)監督の「ローラ」(1961年)、「天使の入江」(1963年)など。

同じく「勝手にしやがれ」のワンシーン、ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo、1933年生まれ)とジーン・セバーグ(Jean Seberg、1938-1979)。シャンゼリゼ通り、パリ、1959年。

作品は映画シーンにとどまらず、映画に登場しないスタッフまで活き活きと写し出している。その鋭い観察眼による撮影はヌーヴェル・ヴァーグがもたらした革命を見事なまでに切り出しているとしている。

もうひとつのテーマは、アジア諸国を撮影した中に日本を撮影したものがあることで、1954年の戦後まもない日本各地を撮影した作品を展示する。それらの作品から被写体に注がれる温かい眼差しを感じることができる。

リコーイメージングでは今回、日本での展示は珍しく、必見の価値があるとし、ふたつのテーマに共通する作品はヒューマニズムに溢れ、まさに甦る奇跡の日々と言えるとしている。展示はモノクロームのゼラチンシルバープリント全34点で、ほかに数量限定で写真集「ニューウェーブ(NEW WAVE)」を会場で販売する。

ウイキペディアによると、「ヌーヴェル・ヴァーグ」は1950年代末に始まったフランスにおける映画運動で、「新しい波」を意味する。広義においては、撮影所(映画制作会社)における助監督などの下積み経験なしにデビューした若い監督による、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す。

狭義には映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」の主宰者であったアンドレ・バザン(Andre Bazin、1918-1958)の薫陶を受け、同誌で映画批評家として活躍していた若い作家(カイエ派もしくは右岸派)およびその作品を指す。

ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル(Claude Chabrol、1930-2010)、ジャック・リヴェット(Jacques Rivette、1928-2016)、エリック・ロメール(Eric Rohmer、1920-2010)らで、ジャック・ドゥミら主にドキュメンタリー(記録映画)を出自とする面々のことを「左岸派」と呼び、一般的にはこの両派を合わせてヌーヴェル・ヴァーグと総称することが多い。

呼称自体は、1957年10月3日付のフランスの週刊誌「レクスプレス」誌にフランソワーズ・ジルー (Francoise Giroud、1916-2003)が「新しい波来る!」と書き、そのキャッチコピーをその表紙に掲げたことが起源とされる。以降、同誌は「ヌーヴェル・ヴァーグの雑誌」をキャッチフレーズとしたのだが、この雑誌で言う新しい波とは、当時話題になっていた戦後世代とそれまでの世代とのギャップを問題にしたものだった。この言葉を映画に対する呼称として用いたのは、映画ミニコミ「シネマ58」誌の編集長であったピエール・ビヤール(Pierre Billard、1922-2016)で、同誌1957年2月号において、フランス映画の新しい傾向の分析のために流用した。

この言葉が用いられる以前から後のヌーヴェル・ヴァーグ的動向は既に始まっていた。トリュフォーは1954年1月号の「カイエ」誌に掲載した映画評論「フランス映画のある種の傾向」において、サルトル(Jean-Paul Sartre、1905-1980)が実存主義の考え方に基づいてフランソワ・モーリアック(Francois Mauriac、1885-1970)の心理小説を例に取り、小説家の神のような全能性を根本的に批判したのにならい、当時のフランス映画界における主流であった詩的リアリズムの諸作品に対し、同様の観点から痛烈な批判を行った。

その論法の激しさからトリュフォーは「フランス映画の墓掘り人」と恐れられたが、これはヌーヴェル・ヴァーグの事実上の宣言文となった。ヌーヴェル・ヴァーグの最初の作品は、もっとも狭義の概念、カイエ派(右岸派)の作家を前提とするなら、ジャック・リヴェットの35ミリ短編「王手飛車取り」(1956年)といわれている。

カイエ派(右岸派)にとって最初の35ミリ長編作品となったシャブロルの「美しきセルジュ」(1958年)が商業的に大成功したことにより、今日においてヌーヴェル・ヴァーグの代表作と言われている作品が制作、公開された。

ヌーヴェル・ヴァーグの評価をより確固たるものにしたのは、アナーキストとアナーキズムを主題としたゴダールの「勝手にしやがれ」(1959年)で、即興演出、同時録音、ロケ中心というヌーヴェル・ヴァーグの作品・作家に共通した手法が用いられると同時にジャンプカットを大々的に取り入れたこの作品は、その革新性により激しい毀誉褒貶を受け、そのことがゴダールとヌーヴェル・ヴァーグの名をより一層高らしめることに結びついた。

一方、左岸派の活動はカイエ派(右岸派)よりも早く、時期的にはアラン・レネ(Alain Resnais、1922-2014)が撮った中短編ドキュメンタリー作品「ゲルニカ」(1950年)や「夜と霧」(1955年)が早くに制作された。

その終焉に関しては諸説あり、最短なものでは1960年代前半の嵐のような動向が一段落するまでの時点であり、最長のものとなると現時点におけるまで「ヌーヴェル・ヴァーグの精神」は生き続けているとしている。

しかし、一般的には過激な論陣を張った1967年のカンヌ映画祭における粉砕事件までを「ヌーヴェル・ヴァーグの時代」と捉えるのが妥当といえる。この時点までは右岸派や左岸派の面々は多かれ少なかれ個人的な繋がりを持ち続け、動向としてのヌーヴェル・ヴァーグがかろうじて維持されていたが、この出来事をきっかけとしてゴダールとトリュフォーとの反目に代表されるように関係が疎遠になり、蜜月関係と共同作業とを一つの特徴とするヌーヴェル・ヴァーグは終焉を迎えることとなった。

レイモン・コーシュティエさんは1920年フランス・パリ生まれ、1951年にインドシナ戦争時にインドシナ半島(当時フランス領)にフランス空軍として駐屯し撮影を行い、1953年に写真集「シエル・ドゥ・ゲール・アン・インドシナ(Ciel de Guerre en Indochine)」を出版、1954年に戦争終結後もインドシナに滞在し、ベトナム、カンボジア、ラオスなどアジア各国を撮影し、1955年に写真集「サイゴン(Saigon)」を出版、1957年にサイゴンで撮られた作品群は、日本やアメリカで高く評価され、世界的に注目される。

1959年から1968年にスチールカメラマンとして数多くの映画のスチール写真を撮影、1973年にフリーのカメラマンとしてヨーロッパやアジア各国を訪れ、極東の国々の美術や人々の生活、ヨーロッパ中世の彫刻などを撮影した。2005年からベトナム、パリ、ロンドンなどで個展を開き、2019年には東京で個展を開いている。

開場時間は11時から19時(最終日16時まで)、火曜日が定休日。入場料は520円。