TAUで安芸高田フェア、ゆず茶、ぽん酢など、安芸高田神楽講座も

【銀座新聞ニュース=2019年11月1日】】広島県(広島県広島市中区基町10-52、082-228-2111)は11月2日と3日にアンテナショップ「TAU」(中央区銀座1-6-10、銀座上一ビルディング、03-5579-9952)で「ひろしま安芸高田フェア」を開く。

11月2日と3日に「たう(TAU)」で開かれる「ひろしま安芸高田フェア」で販売される川根ゆず茶。試飲でもできる。

地元特産品の「川根柚子」を使用したゆず茶、100%安芸高田産のトマトを使用した「トマトぽん酢」、広島県産米のみを使用し、砂糖、酒粕を一切使用せずに、麹の力で甘みを引き出した「甘酒」、味噌、しょう油などを販売する。また、川根柚子ぴぃーる、とまとぽん酢、甘酒などの試食、試飲もある。

さらに、広島の伝統文化「神楽(かぐら)」の団員でもある、安芸高田市職員による神楽を10倍楽しめる「ひろしま安芸高田神楽講座」を開き、2020年1月18日に開かれる予定の「第9回ひろしま安芸高田神楽」の東京公演をPRする。

川根のゆず茶は農薬を使っていない川根柚子の柚子皮と柚子果汁を使い、広島県庄原産のニホンミツバチのはちみつとじっくり煮込んである。

「ひろしま安芸高田フェア」で開かれる安芸高田神楽講座で紹介される安芸高田神楽。

ウイキペディアによると、安芸高田市は2004年3月1日に広島県高田郡にあった吉田町(1896年成立)、八千代町(1960年成立)、美土里町(1956年成立)、高宮町(1956年成立)、甲田町(1956年成立)、向原町(1937年成立)が合併(新設合併)して誕生し、高田郡が消滅した。

市役所は旧吉田町にある。吉田町は戦国大名の毛利元就(もうり・もとなり、1497-1571)の居城があった吉田郡山城の城下町を由来とし、高田郡の中心地として栄えた。

人口は2万7894人(2019年6月1日)で、産業人口(2005年総計調査)は第1次産業が約3000人(19%)、第2次産業が約5000人(29%)、第3次産業が9000人(52%)となっており、農作物ではシイタケ、アスパラガス、ナシ、リンゴ、ハブソウ茶、ユズ、米など、水産物ではアユ、ヤマメ、イワナなどの川魚、加工品として日本酒(喜美福、三矢の訓、百万一心、向井桜、神の蔵、山陽愛泉)、味噌、しょう油、豆腐などが盛んとされている。

「神楽」とは神道(しんとう)の神事において、神に奉納するため奏される歌舞で、平安中期に様式が完成したとされ、約90首の神楽歌が存在する。神楽は、神社に「神楽殿」がある場合はそこで行われることが多い。

一般に「かぐら」の語源は「神座」(かむくら、かみくら)が転じたとされ、神座は「神の宿るところ」とか「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫女(みこ)が人々のけがれをはらったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場であり、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされている。

古事記と日本書紀の岩戸隠れの段で、アメノウズメが神懸りして舞った舞いが神楽の起源とされる。アメノウズメの子孫とされる猿女君(さるめのきみ)が宮中で鎮魂の儀に関わるため、本来、神楽は招魂、鎮魂(ちんこん)、魂振(たまふり)に伴う神遊びだったとも考えられている。神楽は、宮中の御神楽(みかぐら)と、民間の里神楽(さとかぐら)に分けられる。

出雲流神楽は里神楽のひとつで、佐陀大社(さだじんじゃ)の御座替神事を源流とする神楽で、この神事は取り替えた御座を清めるための採物舞と神話や神社縁起を劇化した神能などから成り、この流れを汲んで演劇性を高めた神楽が中国地方中心に全国へ広がり、特に島根県西部や広島県北西部に伝わる石見神楽の系流は、娯楽芸能として人気がある。

ひろしま安芸高田神楽は神楽の様式のひとつで、毛利元就が生涯を過ごした広島県北部の安芸高田市において伝統芸能として受け継がれており、市内に22の神楽団を擁する。安芸高田市の神楽は、出雲流神楽が石見神楽を経て江戸期に伝わったと言われている。

このため、島根県側の邑南町の神楽とのつながりも深く、共同で活動している神楽団もある。米の収穫期にあわせた自然・神に対する感謝の祭りでもある。

安芸高田市美土里町本郷には千畳敷の広さの観客席を持った神楽専用の観覧施設で、2000人が収容できる「神楽ドーム」があり、年間通してさまざまな神楽大会が開かれている。

2日15時30分から3階イベントスペースで、安芸高田市職員による「ひろしま安芸高田神楽講座」を開く。

時間は10時30分から17時(3日は14時)。