永谷商事、神田こなぎが最古の谷中七福神巡り

【銀座新聞ニュース=2020年1月10日】不動産会社で都心で寄席を経営する永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸上野広小路亭」(台東区上野1-20-10、上野永谷ビル、03-3833-1789)は1月16日に神田こなぎさんによる「講談師と一緒に歩く 歴史と文化の散歩ラリー」を開く。

1月16日に開かれる「講談師と一緒に歩く 歴史と文化の散歩ラリー」で「七福神巡り(谷中)」を案内する神田こなぎさん。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開いている「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。例年、1月は東京の主要な七福神めぐりを開いており、第1弾が「七福神めぐり・深川」、第2弾が「七福神めぐり・谷中」、第3弾が「七福神めぐり・日本橋」を予定している。

第2弾の「七福神巡り・谷中」は、二ツ目の講談師、神田(かんだ)こなぎさんの案内でJR「田端駅」から「福禄寿(人望福徳)」の「東覚寺(とうがくじ)」(北区田端2-7-3、03-3821-1031)、「恵比寿神(愛敬富財)」の「青雲寺(せいうんじ)」(荒川区西日暮里3-6-4)、「布袋尊(ほていそん、清簾度量)」の「修性院(しゅせいいん)」(台東区谷中 7-14-8、03-3821-4474)、「寿老人(延命長寿)」の「長安寺(ちょうあんじ)」(台東区谷中5-2-22、03-3828-1094)を歩く。

その後、「毘沙門天(びしゃもんてん、勇気授福)」の「天王寺(てんのうじ)」(台東区谷中7-14-8、03-3821-4474)、「大黒神(有富蓄財)」の「護国院(ごこくいん)」(台東区上野公園10-18、03-3821-3906)、「弁財天」の「不忍池弁天堂(しのばずのいけべんてんどう)」(台東区上野公園2-1、03-3821-4638)を案内し、そこからお江戸上野広小路亭に移り、神田こなぎさんらが出演する「しのばず寄席」を鑑賞する。

谷中七福神めぐりは江戸時代からあるもっとも古い「七福神めぐり」といわれ、寺院だけで構成されており、受け入れ期間(御朱印帳)が1月10日までになっている。期間外は境内に入れても、板戸が閉まり、本堂には入れないので、七福神が見えないこともあるという。

「東覚寺」は1491年に現在の千代田区に創建され、1596年ごろ現在の地に移された。門前の赤紙仁王像は「身替り仁王」といわれ、病気と同じ場所に赤紙を張ると治ると信じられ、治った場合はわらじを奉納することになっている。

「青雲寺」は「恵比寿」の釣竿(つりざお)があり、「釣りして網せず」とされ、暴利を貪(むさぼ)らない清い心を表しているといわれている。境内には滝沢馬琴(たきざわ・ばきん、1767-1848)の筆塚をはじめ、江戸を代表する文人の碑がある。

「修性院」は江戸時代より「花見寺」とも呼ばれ、その花をイメージさせるピンクの外壁には、春夏秋冬の布袋尊が描かれ、堂の中に高さ2メートル、重さ200キログラムの布袋尊がある。

「長安寺」は1669年に創建され、寿老人像は徳川家康(とくがわ・いえやす、1543-1616)が納めたといわれている。長寿のシンボルとして左ひざに鹿を従えている。

「天王寺」は1274年に鎌倉時代の日蓮宗の僧、日源(にちげん、?-1315)によって創建され、1641年に徳川家光(とくがわ・いえみつ、1604-1651)、徳川家康の側室、英勝院(えいしょういん、1578-1642)、徳川家光の乳母、春日局(かすがの・つぼね、1579-1643)の外護を受け、2万9690坪の土地を拝領し、将軍家の祈祷所となった。1700年から江戸の「三富」として富くじ興行が許可された。

「護国院」は徳川家康ゆかりの寺で、江戸時代には、大黒天に供えたもちを煮溶かしたお湯を飲む「福湯」の行事があり、以来幸福を授かるといわれている。

「弁天堂」は不忍池に島を作り、弁財天がまつられている。当時から芸能の神様として多くの人に信仰され、天井には、この空間を守っているといわれている竜がいる。

谷中七福神の御朱印和紙は長安寺以外の寺で購入でき、谷中七福神御朱印和紙(1000円)と谷中七福神御朱印(200円)がある。

神田こなぎさんは山梨県南アルプス市生まれ、2011年9月に神田すみれさんに入門、前座見習い、12月に講談協会見習い、2016年10月に二ツ目に昇進している。

時間は13時に田端駅に集合し、16時前後にはお江戸上野広小路亭に移り、16時45分からの「しのばず寄席」を観賞する。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3500円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。希望者は永谷商事まで電話で申し込む。