広島TAUで江田島産品、うどんやおかずみその試食、「同期の桜」も

【銀座新聞ニュース=2020年1月24日】広島県(広島市中区基町10-52、082-228-2111)が運営するアンテナショップ「TAU」(中央区銀座1-6-10、銀座上一ビルディング、03-5579-9952)は1月25日と26日の2日間、「えたじまブランドショップ」を開く。

「たう(TAU)」で1月25日と26日の2日間、開かれる「えたじまブランドショップ」で販売される大吟醸「同期の桜」。

広島県で2004年11月1日に安芸郡江田島町(あきぐん・えだじまちょう)、佐伯郡大柿町(おおがきちょう)、沖美町(おきみちょう)、能美町(のうみちょう)が合併して誕生した「江田島市」を紹介するイベントだ。

広島県江田島市は、広島湾・宮島を望む海岸線、軽登山に適した標高500メートル前後の5つの山、天然温泉、旧海軍兵学校(現海上自衛隊)などがある広島市の南に位置する島だ。

「えたじまブランドショップ」では完全天日干し製法により作られたうどんや江田島市の伝統食、「瀬戸内みそ高森本店」(広島県江田島市大柿町大君808、0823-57-2162)の「おかずみそ」の試食販売をはじめ、江田島産熟成さつまいもを使用した「もみぢ饅頭てくてく」、江田島唯一の造り酒屋「江田島銘醸」(広島県江田島市江田島町中央2-17-1、0823-42-0001)の大吟醸「同期の桜」などを紹介する。

ウイキペディアによると、海軍兵学校は1876年から1945年まで存続した大日本帝国海軍の将校となる士官の養成を目的とした教育機関で、海軍機関学校、海軍経理学校とともに「生徒三校」と呼ばれた。規模では英国の王立海軍兵学校、アメリカの合衆国海軍兵学校とともに、世界でも最大の兵学校のひとつといわれ、全78期から計1万2433人が卒業している。

海軍兵学校は同期(「クラス」と呼ばれた)を大切にし、海軍で出世に差が生じても、職務を離れれば「貴様と俺」という対等の立場という不文律があり、クラス同士の会合は準公務として扱われた。また、クラスが戦死した場合、残された家族は生き残ったクラスが可能な限り面倒を見るという暗黙の了解があり、こうした「美風」は戦後に至るまで続き、兵学校出身者の絆は強かった。

同じく販売される「もみぢ饅頭てくてく」。

1939年から1945年の第2次世界大戦中、国内の学校では英語教育が「敵性語」として廃止縮小されるなか、1942年10月26日から1944年8月4日まで校長を務めた井上成美(いのうえ・しげよし、1889-1975)の強い信念で従来通り英語教育が継続され、教養教育もなされた。このことが礎となって、東京大学名誉教授(皇族の産婦人科担当医)の坂元正一(さかもと・しょういち、1924-2006)や、建築家の池田武邦(いけだ・たけくに)さんら戦後、各界で活躍している卒業生、元生徒も多い。

戦後の学制改革に伴い、学歴としての「海軍兵学校卒業」は、その他の「海軍生徒学校卒業」および「陸軍生徒学校卒業」とともに、国・地方自治体・民間企業などにおける「学歴免許等資格区分」では短期大学卒と同等と扱われた。

安芸郡は律令制下に置かれた郡で、その領域は現在よりも広く、現在の安芸郡に加え、広島市の東半、江田島市の東半、呉市の西半を含んでいた。平安時代に南北に分けられ、「安北郡」と「安南郡」とされた。

1664(寛文4)年に江戸幕府の指示により安北郡は「高宮郡」、安南郡は「安芸郡」と改称し、明治時代に高宮郡は沼田郡と合併して「安佐郡」となり、その後、広島市に編入されて消滅した。一方、安芸郡は1889(明治22)年4月1日の市町村制施行により、1町29村あったが、その後の市町村の分離などにより、現在、残っているのは海田町(かいたちょう)、熊野町(くまのちょう)、坂町(さかちょう)、府中町(ふちゅうちょう)の4町となっている。

安芸郡江田島町は1888(明治21)年に海軍兵学校(現海上自衛隊第1術科学校及び幹部候補生学校)が東京・築地から江田島に移転し、1889年4月1日に町村制施行により、安芸郡江田島村、佐伯郡津久茂村が成立、1925年2月1日に安芸郡江田島村が佐伯郡津久茂村を編入、1951年10月1日に町制施行により江田島町、1973年10月27日に「早瀬大橋」が開通し、音戸大橋、倉橋島、能美島を介して本土と陸続きになり、2004年11月1日に江田島市が誕生した。江田島市の人口は2016年12月31日現在、約2万4600人。

佐伯郡大柿町は1889年4月1日の町村制施行により、大君、大原、小古江、柿浦の4村が合併して「大柿村」が成立し、1927年8月1日に町制施行により、大柿町となり、1954年11月3日に大柿町、飛渡瀬村、深江村が合併し、新制「大柿町」となった。

沖美町は1889年4月1日に町村制施行により、沖村、三高村が成立し、1956年9月30日に沖村と三高村が合併して「沖美町」が誕生した。沖美町は1889年4月1日に町村制施行により、佐伯郡鹿川村、高田村、中村が成立、1951年1月1日に町制施行により、「鹿川町」になり、1955年4月1日に鹿川町、高田村、中村が合併し、「能美町」となった。

営業時間は10時30分から17時(26日は15時)。