丸善丸の内でニチユーが世界のトランプ、タロット展

【銀座新聞ニュース=2020年2月8日】大手書籍販売グループの丸善CHIホールディングス(新宿区市谷左内町31-2)傘下の丸善ジュンク堂書店(中央区日本橋2-3-10)が運営する丸善・丸の内本店(千代田区丸の内1-6-4、丸の内オアゾ内、03-5288-8881)は2月7日から3月30日まで2階実用書特設会場で「世界のトランプ・タロット展」を開いている。

丸善丸の内で3月30日まで開かれている「世界のトランプ・タロット展」の会場風景。

トランプ、タロットカード、チェス、バックギャモン、ボードゲームなどを輸入販売しているニチユー(台東区蔵前4-5-9、OTビル、03-6240-9839)が主催する企画で、世界のトランプ、タロットカード類や絶版品などのめずらしい商品を販売している。

ウイキペディアによると、トランプは4種各13枚の計52枚を1セットとするタイプのものを指していう。起源は諸説あるが、現在では中国説がもっとも有力で、すべて東方に発生したものがヨーロッパに移入されたとする点では一致している。これら東方に発生したものを西アジア方面から復員した十字軍やサラセン人などの手によってヨーロッパに伝えられた可能性が高い。

少なくとも14世紀にはヨーロッパ各地に記録が見られることから、相当数広まっていたと考えられる。ヨーロッパに最初にトランプが出現したのは14世紀前半のイタリアとされているが、スペイン説も有力という。カードの構成は当時のアラブのカードのデザインを用いている。

トプカプ博物館所蔵の15世紀ごろのマムルーク朝のカードは、偶像崇拝に抵触しないように、絵札には人物は書かれておらず、かわりに文字で説明がされている。このためスート名と絵札の名前が判明している。完全な形で残っているわけではないが、ダラーヒム(=貨幣)、トゥーマーン(=カップ)、スユーフ(=刀剣)、ジャウカーン(=ポロ競技用のスティック)の4つのスートがあり、各スートには1から10までの数札とマリク(=王)、ナーイブ(=総督)、ナーイブ・サーニー(=第2総督)の3種類の絵札があったと考えられている。

15世紀も後半になると、フランスではスートがダイヤ、スペード、ハート、クラブに変わり、絵札の騎士が女王と差し替えられた。このフランススタイルが英国に渡り、英語圏に広がっていった。フランスにおいて、フランス革命期には、王は守護神(Génie)、女王は自由(Liberté)、ジャックは平等(Égalité)に置き換わった。これは王政復古(1814年から1830年をさす)くらいまで続いた。

日本では16世紀に、ポルトガルからラテンスートのトランプが伝来した。48枚の札からなっており、ポルトガル語のcarta(カルタ) がそのまま日本語になり、ひらがなで「かるた」と書かれたり、漢字では「賀留多」や「歌留多」や「紙牌」などと書かれた。1597年に長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか、1539-1599)が「博奕かるた諸勝負」を禁止していることから、この頃には既にカルタが相当流行したものと考えられる。また1634年の角倉船の絵馬にはトランプをしている男女の絵がある。

また「トランプ」と呼ぶのは日本だけで、欧米では「プレイングカード」と呼ばれている。トランプとは「切り札」という意味があり、明治時代に入国した欧米人がゲームをしながら「トランプ」という言葉を何度も発していたため、日本人はそれをカードの名称だと勘違いしたものとされている。

ポルトガルから伝わったカルタをもとに日本で作られたカルタは「天正かるた」と呼ばれる。天正かるたはその最初の札に「天正金入極上仕上」と記してあったことから、後世そのように呼ばれた。天正かるたの枚数を増やしたうんすんカルタの名前は17世紀後半の「雍州府志(ようしゅうふし)」や大田南畝(おおた・なんぽ、1749-1823)の「半日閑話」などに見ることができる。

これら西洋カルタ系統のものは早くから賭け事に使われ、江戸幕府でもかるたの賭け事をしばしば禁じた。株札・花札などは、いずれもこの系統のカルタから変化したものである。トランプが再び盛んになるのは明治時代になってからで、トランプの名は1885年に出た桜城酔士(おうじょう・すいし)の「西洋遊戯かるた使用法」に見られ、カードのゲームと奇術(マジック)が紹介されている。

明治では最初、アメリカや英国から輸入されていたが、やがて(英米式で)国産品もつくられるようになった。日露戦争(1904年から1905年)で京都の東福寺がロシア兵の捕虜収容所となり、1902年に彼らのため任天堂が製造を始めたのが契機とされる。任天堂はその4年後に国内向けの販売を開始している。1953年に任天堂がプラスチック素材を取り入れたトランプを開発・販売している。

「タロットカード」は遊戯や占い(タロット占い)などに使用されるカードのことで、78枚1組が一般的で、その内訳は1から10までの数札、4枚の人物札をスートとした4スート56枚の小アルカナ(Minor Arcana)と、寓意(ぐうい)画が描かれた22枚の大アルカナ(Major Arcana)に分けられる。日本では、小アルカナは大アルカナに比べ認知度が低く、一般語のタロットは大アルカナのみを指している場合が多い。1組のタロットカードのセットを「デッキ」という。

タロットの起源を古代エジプトや古代ユダヤに求める説もあるが、学問的な根拠はなく、発祥は不明とされている。記録上では、15世紀前半の北イタリアで制作されたのが最古で、一般的には、ゲーム用として用いられ、その遊びの中の一つとして占いに使われたと考えられている。タロット占いの記録が文献に現れるのは18世紀以降である。

現存する最古のタロットは、「ヴィスコンティ・スフォルツァ版(Visconti Sforza Tarocchi)」と呼ばれ、さまざまな博物館、図書館、世界中の個人コレクションに散らばる、約15デッキのタロットを総称したものである。この中には1484年の日付の入ったものもあるが、それよりも古いもので1442年から1447年の間に作られたと推測されているものも存在する。この「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」はデッキごとにも微妙な違いがあるが、全体的にも「マルセイユ版」とは図柄がかなり異なっている。

1442年の日付で、北イタリアのフェラーラ侯(Ferrara、イタリア共和国エミリア=ロマーニャ州にある都市)であった「エステ家(famiglia d’Este)」の帳簿の中に「トリオンフィ(Trionfi、トライアンフと同義)のカードパックを購入」とあり、その後、1452年、1454年、1461年の日付入りで「トリオンフィ」に言及しており、15世紀半ば頃にはタロットカードが一般的に存在していたことがわかる。

当時は、貴族や富豪のために画家が手描きで描いて作成していた。この頃のタロットは、まだ枚数や絵柄など、どの程度確定していたのか不明であるが、すでに大アルカナと小アルカナが合体したものであることは推察できる。その後、16世紀頃から木版画の量産品が出回るようになり、徐々に庶民、全ヨーロッパへと普及した。特にタロットゲームによるギャンブルは盛んで、風紀を乱すという理由から何度も禁止令が出されている。

フランス最古のタロットは、1557年にリヨンで作られた「ケイトリン・ジョフロイ版(Catelin Geofroy)」だが、このデッキのトランプ(大アルカナ)は図像的にみるとかなり特徴的で、のちの「マルセイユ版(Tarot de Marseille)」の元祖とはいえない。いわゆる現在の「マルセイユ版」とほぼ同じ図像、絵柄が確立したのは、1650年頃のパリで発行された「ジャン・ノブレ版(Jean Noblet)」が最初で、マルセイユ版の元祖といわれている。

最古のタロット占いの記録は、18世紀前半のタロット占いのやり方を記した手書きのシートで、この記録によれば、タロットカードにはそれぞれの意味が1枚ごとに割り振られていたが、当初はもっぱらゲームに使われていた。この頃は1789年のフランス革命前後の不安定な社会を背景に、占い師エッティラ(Etteilla、1738-1791)が活躍していた頃に重なり、タロットを神秘的なものと見る風潮が高まり、占いに多用されるようになっていく。

最初の職業タロット占い師、エッティラが新解釈のタロットを作り出し、カード占いの方法をつかって最初の体系的なタロット占い術を編み出し、1783年から1785年にかけて「タロットと呼ばれるカードのパックで楽しむ方法」を出版し、エジプト起源説によってタロットに神秘主義的な意味づけをした。

またタロット占いに初めて「逆位置(リバース)」という解読法を加え、小アルカナの4スートに、4大元素を当てはめ、初めてタロットと占星術を具体的に結びつけ、大アルカナから3枚を除いた19枚に7惑星や12星座との関連を与え「机上の占星術」という一面をもたらした。これらのタロット大革命により、エッティラは事実上、現代につながる神秘主義系タロットの開祖となった

フランスでタロット占いが盛んになると、イギリスでもレヴィ(Eliphas Levi、1810-1875)のカバラ的解釈を継承する魔術結社「黄金の夜明け団」が生まれ、この系統から後にいくつかの名作タロットが生まれた。

タロット史の第2の革命は、アーサー・エドワード・ウェイト(Arthur Edward Waite、1857-1942)の「黄金の夜明け団」の解釈を元にデザインした「ウェイト版タロット(Waite Tarot)」である。このデッキは単調な数札であった小アルカナすべてに絵柄を与えるという創作を加えた。これが多くのタロット愛好家に受け入れられ、かつてのフランスで一時期はタロットといえば「エッティラ版」をさしたように、一時期の英米ではタロットといえば「ウェイト版」をさすほどであった。

現在では、魔術系タロットのみならず、さまざまなモチーフにアイデアをとった多くのオリジナルデザインのタロットカードが創作されており、映画「007」の小道具として創作されたタロット、ヒンズー教のタントラに基づくタロット、日本風の浮世絵タロット、不思議の国のアリスのタロット、サルバドール・ダリ(Salvador Dali、1904-1989)がデザインした巨大サイズのタロットなどが存在する。

ニチユーは1946年にアメリカの大手トランプ会社との日本正規販売店契約を結んで「日本遊戯玩具株式会社」として浅草で創業した。当時、花札やトランプの製造は京都府が盛んで、遊戯玩具も京都の商品を東京で販売した。また、湘南海岸にビーチハウスの先駆けとなる、海の家「フロリダ」を開業した。その後、日本で初めてとなる海外トランプの輸入をはじめた。

1967年に販売会社「ニチユー株式会社」を設立、1974年に日本初となるタロットカードの輸入販売をはじめ、その後、世界の展示会で見たチェスやバックギャモン、カジノグッズなどの遊戯玩具を取り扱い、2000年には英国万年筆ブランド「コンウェイ・スチュワート(Conway Stewart)」などの取り扱いをはじめた。2010年に「日本遊戯玩具株式会社」と「ニチユー株式会社」を合併し、現在は、遊戯玩具の枠を超え、オーガニックフードなども扱っている。2004年10月から佐藤元泰(さとう・もとやす)さんが代表取締役を務めている。

開場時間は9時から21時まで。